《参考》「オーデュボンの祈り」著:伊坂幸太郎/新潮社2000
2000年の第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞し、同年に新潮社から出版された。2003年に文庫化(新潮文庫)。2004年にラジオドラマ化、2009年に漫画化、2011年には舞台化された。
既存のミステリーの枠にとらわれない大胆な発想で、読者を魅了する伊坂幸太郎★デビュー作。レイプという過酷な運命を背負う青年の姿を爽やかに描いた『重力ピエロ』や、特殊能力を持つ4人組の強盗団が活躍する『陽気なギャングが地球を回す』など、特異なキャラクターと奇想天外なストーリーを持ち味にしている著者であるが、その才能の原点ともいえるのが本書だ。事件の被害者は、なんと、人語を操るカカシなのである。コンビニ強盗に失敗した伊藤は、警察に追われる途中で意識を失い、見知らぬ島で目を覚ます。仙台沖に浮かぶその島は150年もの間、外部との交流を持たない孤島だという。そこで人間たちに崇拝されているのは、言葉を話し、未来を予知するというカカシ「優午」だった。しかしある夜、何者かによって優午が「殺害」される。なぜカカシは、自分の死を予測できなかったのか。「オーデュボンの話を聞きなさい」という優午からの最後のメッセージを手掛かりに、伊藤は、その死の真相に迫っていく。嘘つきの画家、体重300キロのウサギさん、島の規律として殺人を繰り返す男「桜」。不可思議な登場人物たちの住む島は、不条理に満ちた異様な世界だ。一方、そんな虚構に比するように、現実世界のまがまがしい存在感を放つのが、伊藤の行方を執拗に追う警察官、城山である。本書が、荒唐無稽な絵空事に陥らないのは、こうした虚構と現実とが絶妙なバランスを保持し、せめぎあっているからだ。本格ミステリーの仕掛けもふんだんに盛り込みながら、時に、善悪とは何かという命題をも忍ばせる著者の実力は、ミステリーの果てしない可能性を押し開くものである。(中島正敏)
【重要】「オーデュボンの祈り」とは?/百本文庫ブログより
https://hyakuhon.com/category/novel/isaka/
(前略)田中は生まれつき足に障害を持ち、それゆえに島民ともあまり仲がよくありません。そんな彼にとって、友人と呼べるのが優午と鳥たちでした。田中が話すには、オーデュボンは動物学者であり、★「リョコウバト」という種類の鳩を発見しました。彼らは億単位の群れで行動しますが、人間の乱獲によって絶滅に追いやられてしまったのです。田中の見せてくれたリョコウバトの求愛の絵。彼はこの鳥たちを愛していたのです。しかし、何もできなかった。優午はそんなオーデュボンに自分を重ね、この島がもしリョコウバトのような末路を辿るのであれば、オーデュボンのように見ているしかないと嘆いていました。(後略)
《旅行鳩》(passenger pigeon)
http://www.yamashina.or.jp/hp/yomimono/shozomeihin/meihin01.html
北アメリカ大陸東岸に棲息していたハト目ハト科の渡り鳥。生息地のアメリカにちなんで、アメリカリョコウバトとも俗称される。鳥類史上最も多くの数がいたと言われたが、乱獲によって20世紀初頭に絶滅した。
リョコウバトの肉は非常に美味であったと言われ、都会でも良い値段で売れたため、銃や棒を使用して多くの人々が捕獲を行った。北アメリカの先住民もリョコウバトの肉を食用としていた。19世紀に入ると北アメリカにおける人口は急増し、電報などの通信手段が発達すると効率的に狩猟が可能となり、食肉や飼料、また羽根布団の材料になる羽毛の採取を目的とした無制限な乱獲が行われるようになった結果、わずか数十年ほどでリョコウバトの数は激減していった。保護すべきとの声もあったが、それでもまだ莫大な数がおり検討されなかった。その間にもリョコウバトの数は減り続け、密猟が絶えなかった。ヒナまで乱獲される事態まで起こった。1890年代に入るとその姿はほとんど見られなくなり、ようやく保護も試みられたが、すでに手遅れであった。
1906年にハンターに撃ち落とされたものを最後に、野生の個種は姿を消す。1908年に7羽、1910年8月にはオハイオ州のシンシナティ動物園で飼育されていた雌のマーサ(ジョージ・ワシントンの妻マーサから名をとった)のみとなる。マーサは動物園で生まれ、檻の中で一生を過ごした。1914年9月1日午後1時、マーサは老衰のため死亡し、リョコウバトは絶滅した。マーサの標本は現在スミソニアン博物館に収蔵されている。
★「リョコウバトのマーサを偲んで」/2014.8.28フォルテHPより
https://www.forte-science.co.jp/articles/saiensu-nyusu/255-2017-12-05-05-15-49.html
ワシントンDCにあるスミソニアン協会の自然史博物館は、2015年10月までの予定で現在特別展を開催しています。「Once There Were Billions: Vanished Birds of North America(その昔、何十億も存在した:北アメリカで絶滅した鳥たち)」と題されたこの特別展は、北アメリカ全土で絶滅に至った鳥種に焦点を当てています。本展の目玉は、今世紀初めて展示される鳥の「マーサ」です。 マーサは絶滅したリョコウバトの最後の生き残りの1羽として有名です。リョコウバトはかつて北アメリカで鳥類最多の生息数を誇っており、空を覆い尽くすほどのハトがひとつの群となって移動することで知られていました。2014年9月1日は、シンシナティ動物園でのマーサの死から100年にあたる記念日です。リョコウバト最後の1羽となったマーサは、死後スミソニアン博物館に送られ剥製にされました。リョコウバトが生存の危機に晒されていることは周知されていたものの、科学者や動物学者はマーサが死に至るまでの間、生存するごく少数の野生リョコウバトを救うことはできませんでした。数十年前までは絶滅など考えられないほど繁栄していたリョコウバトが、マーサの死によって種の終わりを迎えたのです。並外れた棲息数を誇ったリョコウバトでしたが、彼らの生息域を奪い、安価な食糧源として彼らを乱獲した人間には対抗できなかったのです。一般的な種であったリョコウバトの突然の絶滅は、絶滅危惧種を保護する法律の必要性を喚起し、近代の環境保護運動の基礎作りに貢献しました。しかしあれから100年経った今、私たちがマーサから学べることはまだあるのではないでしょうか。絶滅危惧種というと、私たちは個体数が減少している動物に焦点を当てがちですが、人間はリョコウバトのケースのように十分な個体数の動物種を数年の間に絶滅に追いやることもあるのだということを常に心に留めておくべきで す。この教訓を忘れないために、(リョコウバトプロジェクト)などの団体は、マーサの死の記念日にリョコウバトついて知識を広める機会を設けるだけでなく、人間によって絶滅していった動物について、また生物の多様性がいかに重要であるかについて、認識を高める活動を行っています。人類のためにも、マーサの教訓をしっかりと受け止め、未来に生かしていきたいものです。
★「リョコウバト、100年ぶりの復活へ」/2014.9.2ナショナル ジオグラフィックHPより
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9671/
100年前の9月1日、かつて強大な勢力を誇っていた1つの種が絶滅した。シンシナティ動物園で飼育されていたリョコウバトのマーサが29歳の生涯を終えた日だ。 1800年代半ばまで、耳をつんざくような声で鳴くリョコウバトの群れがアメリカの東半分に何十億羽も生息していた。ところが、人間にはかなわなかったようで、急激に進歩した技術によってものの数十年で絶滅まで追い込まれた。絶滅から100年が経過した現在も、リョコウバトは象徴的な存在であり続け、技術的な偉業をめざす人々にひらめきを与えている。遺伝子工学やクローニングを組み合わせ、絶滅したリョコウバトをよみがえらせようと試みる研究チームもあれば、DNAの断片を解析し、今や謎に包まれてしまったその生態を再現しようという研究も進められている。初期の博物学者にとって、リョコウバトが絶滅するなど想像しがたいことだった。技術革命の足音が近付いていることに気付いていなかったためだ。★「電報の発明によって、“ハトはここにいる”と知らせることが可能になった」。アメリカ科学環境評議会(National Council for Science and the Environment)の上級研究員で、リョコウバトプロジェクト(Project Passenger Pigeon)の発起人でもあるデイビッド・ブロックスタイン(David Blockstein)氏はこう説明する。何千もの狩猟者がこぞって発明されたばかりの列車に乗り込んだ。そして、リョコウバトがいると言われればどこへでも行き、乱獲を始めた。狩猟者たちは家族が食べる分だけ捕まえていたわけではない。たるいっぱいにリョコウバトを詰め込み、いくつものたるを列車に積み込んだ。リョコウバトが詰まったたるは遠く離れた都市に運ばれ、青空市場から高級レストランまで、あらゆる場所で売られた。「技術が市場を生み出した」とブロックスタイン氏は話す。ほどなく、リョコウバトは激減した。この事態を重く見た連邦議会はレーシー法を可決した。アメリカで最初につくられた野生生物保護法の一つだ。レーシー法は後に多くの種を救った。しかし、リョコウバトを救うには遅すぎた。(以下略)
・・・人間の「愚かさ」を知らしめる重要で悲しい出来事です、語り継がなければなりません。乱獲され積み上げられたリョコウバトの写真、会田誠さんの作品が頭をかすめました。
《参考》「ドードーの絶滅」
http://www2u.biglobe.ne.jp/KA-ZU/index.html
ドードーは、1598年頃にインド洋上のモーリシャス諸島で発見され、わずか100年後の1681年頃に絶滅した鳥は、「醜い、飛べない大きな鳥、それもハトだった」のです。 驚いたことに、この鳥は大きなハト(鳩)だったのです。インド洋の絶海の孤島で捕食者のいない生活は、飛ぶことを忘れさせてしまいました。この事実が分かったのはつい最近と言っても良いでしょう。ドードーは氷河時代以前から生息していた原始的なハトだったのです、しかもインド洋のモーリシャス諸島(モーリシャス・レユニオン・ロドリゲス島)にしか生息しておらず、地球上の何処にも見つけることの出来ない貴重な孤立種であったのです。欲望に目が眩んだ人間が支配した大航海時代に、インドに向かうインド洋の便利な寄港地としてモーリシャス諸島が発見され、そこに住んでいたドードーも便利な食料として捕獲・乱獲されたのです 。 また、人間の持ち込んだペットなどの動物達(サル・豚)もドードーや卵を食べました。最後にドードーにとどめを刺し、生息域を奪ったのは砂糖のプランテーション開発だと言われています。私達は知らずに地球上から貴重な孤立種を絶滅させてしまったのです。いま世界中でドードーは「絶滅動物のシンボル」として知られています。欲望や単なる好奇心のために動植物や地球の資源を奪うことは、限りある地球の命を縮め、人間自身の命を奪う行為であることに気づかなければ成りません。
★2015.3.17FUNDOより
マダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた絶滅鳥類“ドードー鳥”が350年ぶりに発見されたとして大きな話題を呼んでいます。
【榎本香菜子】(1951~)
★作品名『最後の個体』
http://www2u.biglobe.ne.jp/KA-ZU/32_2.html
この絵は、2004年9月、『主体展』(主体美術協会・第40回記念展)に出展された作品です。
http://www.shutaiten.com/index.html
作品名は『最後の個体』額縁の上に横たわる鳥は「最後の旅行鳩」のマーサ、初代アメリカ大統領ワシントンの夫人名です。(マーサは1914年にシンシティー動物園で死んだ最後の一羽)。このハトは旅行鳩(和名)と言われ、主に北アメリカ(西部)に生息した。名前(旅行鳩)のとおり冬場には寒さを避けるためメキシコに移動した。1800年代には、何億羽(推定では50憶羽とも言われる)も生息していたため絶対に絶滅はしないと思われていました。しかし、鉄道が開通して、西部開拓により生息域を奪われ、畑を荒らす害鳥として狩猟され始めました。そのうえ、羽は羽布団の材料として大量に使用されたため大量に殺されました。また、娯楽のスポーツ狩猟により無差別・大量に殺されました。それでも個体として絶滅することないと思われていたために狩猟は続きました。気がつくとあんなに空を真っ黒に覆うほどいた旅行鳩は、1850年から急速に姿を消し始め、ついに1914年に絶滅しました。絵の額縁うえに横たわるハトが「マーサ」です。足には最後の一羽を証明する博物館のラベルが付けられています。絵には暖める親を失い永遠にふ化することのない多数の卵が描かれています。榎本香菜子さんは、この絵により「損保ジャパン美術財団」奨励賞を受賞されました。言葉や解説のいらない、まっすぐ心に響いてくる作品です。2006年、同作品は、「損保ジャパン美術財団選抜奨励。
★食べ尽くされたリョコウバト/文:西江雅之
https://www.fnsugar.co.jp/essay/nishie/19
★雄松堂デラックスファクシミリ版『アメリカの鳥』The Birds of America
https://myrp.maruzen.co.jp/timewithbook/matsuo_001/
http://www.takeo.co.jp/reading/collection/18.html
・・・これらの思い・願いをこめて、「巣箱」そして「バードコール」を作りたいと思います。