【白洲次郎】(1902~1985)旧白洲邸「武相荘」
195-0053東京都町田市能ヶ谷7丁目3番2号/042-735-5732
https://buaiso.com/about_buaiso/jiro.html
兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と★正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。
・・・白洲正子さんは、骨董に造詣が深く「目利き」として有名です。
【白洲正子】(1910~1998)
父方の祖父・樺山資紀は薩摩出身の軍人・政治家。正子も、自分に薩摩人の血が流れているのを強く感じていたという。幼時より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。その後、アメリカのハートリッジ・スクールに留学。帰国後まもなく次郎と結婚する。互いに「一目惚れ」だった。西国巡礼のころ 戦後は早くより小林秀雄、青山二郎と親交を結び、文学、骨董の世界に踏み込む。二人の友情に割り込むために、飲めない酒を覚えるが、そのため三度も胃潰瘍になるなど、付き合い方は壮絶。加えて銀座に染色工芸の店「こうげい」を営み、往復4時間の道を毎日通っていた。この店からは田島隆夫、古澤万千子ら多くの作家が育つ。青山に「韋駄天お正」と命名されるほどの行動派で、自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢は、終生変わらなかった。次郎と同様、葬式はせず、戒名はない。
★『 骨董との付き合い 』著:白洲正子
https://archives.mag2.com/0000079496/20160325100000000.html
「太陽」(平凡社)1996年2月号掲載、のち「風花抄」(世界文化社)収録。現在、「白洲正子全集 第十四巻」(新潮社)収録。
https://www.shinchosha.co.jp/zenshu/shirasu_masako/
(前略)末続氏は、骨董エッセイストということだが、外国で修行なさったのか、失礼ながら日本の骨董屋とはあまりお付き合いがないのではないか。「『伝世』とか★『箱書き』と言った奇妙なブランド志向」と氏はいわれるが、伝世にも箱書きにもれっきとした存在理由がある。たとえば正倉院にあるガラスの白玉碗などは、イランに行けば同じ時代の同じ姿のものが無数にあるが、いずれも発掘品だから正倉院の玉碗のもつ★トロリとした味わい、雲間を洩れるおぼろ月のさだかならぬ手触りには遠く及ばない。そんな国宝中の国宝をとりあげるまでもなく、私などが日常使っている安物の伊万里でも、毎日使っていればおのずからまろやかな味が出てくる。おそらく外国ではそんな美意識は通用せず、伊万里は伊万里として十把ひとからげで値段をつけるに相違ない。私の友達で最近亡くなった星野武雄さんは、有名な目利きであったが、そういうものの味をこよなく愛し、★中身の陶器の数倍もするみごとな箱を名人に作らせていた。名前は忘れたがその名人の箱はひと目でそれと知れるもので、中身も箱によっていっそう美しく見えるのは、ヴァレリィが★本の装丁を大切に思ったことと通ずるものがある。そういうヴァレリィも若い頃は、外側よる内容が大事だと信じていたらしいが、晩年になって考えを改めた。それは人間を見てもよく解ることで、よい人生を送った人たちは、顔の出来不出来に拘らず実に★美しい表情をしているものである。明治の頃に多くの古美術品がアメリカやヨーロッパに渡ったが、それは先にもいったように心ない日本人が、日本のものは全部ダメで、外国を手本にすべきだと短絡的に考えたからに他ならない。それでも一流中の一流品、――特に茶器の類は幸いにして日本に残った。外国人は、わび・さびの文化にはまったく無知だったからである。この頃は多少解る人もふえたが、それは極く少数で、とても外国業者の入札に堪え得る代物ではない。
《なんでもないもの白洲正子エッセイ集<骨董>》著:白洲正子/編:青柳恵
★焼物の話
(前略)一つ一つにそうした思い出、将来は伝説ともなるべき物語がついて廻るのです。私は何度も聞くうちに覚えてしまいました。それは邪道かも知れませんが、美術品に対して、人は何かいうとすればそんな事しか言えないのです。美しい、といったとて何を現すでしょうか。お話もない場合、何かぶつぶつ口の中でつぶやく他はない。古い茶器に様々の伝説がつきまとっているのも、そういう次第だからで、★箱や箱書も、一種の「言葉」には違いありません。それがある為に、さほどでない中身が高くなっても文句は言えない。まして利休みたいな達人が、そばに置いたというだけでほしくなるのも無理はありません。時にはつまらないものを友達から高く買ったり、いいものを只で貰ったり「友情」に価を払っているだけのこと、お互いに損する事など一つもありはしないのです。
・・・私が骨董に興味を覚えるのは、この「箱」であり「箱書き」にです。
《参考》和比×茶美HPなどより
https://wabi-sabi.info/archives/313
お茶道具の目利きで最初にポイントになるのは、箱です。意外と思われるかもしれませんが、商品より箱の状態を見ることで、中の商品がどういったものなのか?ということが、ある程度把握できます。通常、中に入っている作品の由来や伝承、作品の希少性などを箱に記入した訳です。依頼を受けた権威のある鑑定家が作品の真贋について、本物であるという保証を与えたのが一般に鑑定書といわれるものですが、その延長線上にあるのが「箱書き」なのです。箱書きには大きく分けて3種類あり、「書付箱」と「極め箱」、「共箱」があります。
◆書付箱・・・お家元や高僧など権威のある人物が作品の品名を書いた箱です。
◆極め箱・・・極め書きがされた箱です。その筋のプロ・目利き(楽茶碗であれば当代の楽吉左衛門)が、鑑定をし間違いないという事で書かれたものが極め箱です。
◆共箱・・・作品の作者が商品の内容を記した箱です。共箱には商品の名称と作者の署名が書かれています。共箱の書き方のパターンはいくつかありますが大きく分けて4つです。
・蓋の甲に「商品名」と「作者名」の両方が書かれているパターン
・蓋の甲には「商品名」で、蓋の裏に「作者名」のパターン
・蓋の甲には「商品名」で「作者名は」箱の身の底に書かれているパターン
・箱の側面に「商品名」と「作者名」が書かれているパターン
基本的な情報(人の名前や印のカタチなど)は、知識として持っておく必要はありますが、それだけでは判断出来ないことが多いのも確かです。むしろ印のカタチ等はいくらでも模造できるので、それだけに頼るのは危険です。パターン、決まり、クセを知ることで、目利きの幅が広がると思います。目利きまでの道のりはそう簡単ではないですが、少しづつでも道具に触れることで着実に情報は蓄積されます。
http://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/art/antique/antique_2/post_84.html
箱は「桐」でできたものが多いのですが、じつはここにも鑑定のポイントが隠されています。現在の桐の箱は大体江戸時代の中期以降に使われだしたようです。その前は杉の箱に収められるケースが多く、そこに鑑定のおもしろさがあります。すなわち江戸前期に活躍した茶人などの箱書きが「桐」箱に書かれていることはないのです。もしその箱書きが本物であるなら、当然のことですが「杉」の箱に書かれていなければならないのです。江戸時代中期ころまでの古い陶磁器の保存には杉の箱が使われ、そこに購入した年号などが書かれていることが多いのです。もちろん杉の箱は現代でも作ればありますが、桐の箱で江戸前期の箱はまずありません。ちなみに鑑定書にあたる「折り紙」や「箱書き」というものは、詳細ははっきりしませんが、江戸時代前期の本阿弥光悦あたりから始まったとされています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mystudy/kikite/column/column9/kikite9.htm
茶道具・道具類の大部分は、その箱書きや伝来の価値でしかない、と言い切る者もいます。日本人の”共箱文化”は非常に面白いと思いますが、外国のアンティークの世界ではあまり見かけません。美術品や骨董は本来、その本体自体が★正当に評価されるべきだと思います。製作者の銘や権威で価値が上がることは、モノの付加価値を楽しむ骨董の世界ですから否定はしませんが、しょせん本体は10分の一の価値しかないことになります。もちろん、柄の細い茶杓にいちいち銘を入れることは困難だったという理由もあったのかもしれません。これは、★包装文化の発達した日本の特異な文化かもしれませんが、外国人には奇異に映るようです。日本の共箱に関連した骨董が、世界でも大々的にきちんと通用しているとの話は聞いたことがありません。漆工芸品や浮世絵、根付は外国でも有名オークションハウスが定期的に取り扱うほどに、立派に流通しています。海外では日本以上にもの凄い量の美術品が取り引きされています。しかし、茶杓や備前焼が外国で大量に流通しているとは聞いたことがありません。一方、根付の場合は、海外では、根付本体のみで勝負されています。一部の現代根付を除いて、殆ど全ての根付には共箱は付いていません。根付に共箱がないのは、そもそもの発祥が一般庶民が日常生活で使用する民芸品だったからかもしれません。根付本来の意匠や彫り、仕上げ、保存状態で、価値が適正に評価され、価格に反映されています。一般的に外国人にはそのような傾向があるようですが、根付の銘で価値が判断されることはないとよく言われます。外国人は、根付本体の価値と自分の好みで、蒐集上の価値を定めます。共箱が付いているからといって、市場価格が5倍10倍になることはあり得ません。
・・・「本体自体が正当に評価されるべき」と書かれていますが、だとするならばデュシャンの「泉」など単なる「小便器」ですから、どう考えればいいのでしょうか?「泉」に「箱」はありませんが、デュシャンによる「R.Mutt」という署名こそが「箱書き」であり「価値」なのだと思っています。そして、デュシャン公認の様々なレプリカが存在すること、骨董の世界に近いものを感じています。現代アートと骨董って、似てると思いませんか?
・・・映画「嘘八百」もたいへん面白かったですし、まさしく価値というのは「人間模様」というか、単に「個性」と表現するだけではあまりにも不十分で、それぞれの価値観に基づいた「生き方(生きざま)」そのもの、ではないでしょうか。そして、そこに「アート」が存在すると思うのです。