《青は藍より出でて藍より青し》三省堂編修所より
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza07
出典:荀子(じゅんし)・勧学(かんがく)
意味:弟子が師を越えることのたとえ。「藍(あい)」は蓼(たで)科の一年草。これをしぼって青い染料をとる。★本来の意味は、学問は中断しなければ、すぐれた効果を上げるということ。
英訳:The student may surpass the teacher.One day the student will become the teacher.
原文:君子曰、学不レ可二以已一。青取二之於藍一、而青二於藍一。冰水為レ之、而寒二於水一。〔君子曰(いわ)く、学は以(もつ)って已(や)むべからず。青はこれを藍(あい)より取りて、藍よりも青し。冰(こおり)は水これを為(な)して、水よりも寒(つめ)たし〕
訳文:君子がいった。「学問は中途でやめてはいけない。青という色は藍(あい)という草から取るが、その色は元になっている藍よりもいっそう鮮やかな青色になる。氷は水が元になってできるが、いったん氷になると、水よりももっと冷たい。
解説:一般には[意味]のように師弟関係を表す句として用いられているが、「君子曰(いわ)く、学は以(もっ)て已(や)むべからず」とあるように、学問は中断してはいけない。努力すればするほど精錬されてすぐれたものになるというのが本来の意味である。青と藍(あい)の句が用いられて、氷と水の句はあまり用いられない。『荀子(じゅんし)』の冒頭の一句だが、宋(そう)代の刊本には「青取二之於藍一」と「取」の字が用いられており、このほうが常用されている。ただ宋代の王応麟(おうおうりん)の『困学紀聞(こんがくきぶん)』巻十には、「青出二之藍一」と引用されており、これが「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」のもととなっている。
類句:◆藍(あい)より出(い)でて藍(あい)より青(あお)し◇青(あお)はこれを藍(あい)より取(と)りて藍(あい)よりも青(あお)し◆出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ
・・・「藍」ってイイなあ。今回あらためて調べて、本来の意味を知りました。まさしく、「学問は中断してはいけない」ですね。
《参考》『藍より青く』
山田太一による小説。 NHK連続テレビ小説の第12作として、1972年(昭和47年)4月3日から翌1973年(昭和48年)3月31日にかけて1年間放送された。テレビドラマ化は山田自身の脚本による。太平洋戦争末期から敗戦後にかけての、熊本県天草を舞台にしている。ヒロインの真紀は、厳格な校長である父に反対されながらも網元の息子周一と結婚するが、長男が生まれる前に夫は出征、そのまま帰らぬ人となる。周囲に支えられながら、真紀は戦争未亡人同士で商売を始め何事にも負けず強く明るく、中華料理店を経営するまでを描いた。
http://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010172_00000
NHKのアーカイブには、第1回しか残されていない。
《参考》『藍より青し』
http://www.nbcuni.co.jp/rondorobe/anime/aiyoriaoshi/aiao_index.html
http://www.nbcuni.co.jp/rondorobe/anime/aiyoriaoshi/aiao_index2.html
https://web.archive.org/web/20091209065912/http://www.younganimal.com/aiyoriaoshi/index.html
文月晃による日本の漫画作品。これを原作として、テレビアニメ、小説、ゲームなども制作された。タイトルは『荀子』勧学篇の言葉「青は藍より出でて藍より青し」(青出於藍而勝於藍)から由来(荀子本来の意味とは異なる)。「これは時とともにさらなる愛を育んでいた、まるで藍染めの着物が、時を経ねてより青く染まるかのように……。」 白泉社の漫画雑誌『ヤングアニマル』にて1998年23号から2005年17号まで連載。単行本は全17巻。その他にドラマCDやノベライズ、キャラクターグッズなども発売されている。テレビアニメは、2002年4月から第1期が、2003年10月から第2期『藍より青し〜縁〜』(あいよりあおし えにし)が放送された。また、PS2やPCでゲームも発売されている。作品の舞台地域は埼玉県新座市・志木市・朝霞市周辺。東武東上線の10030系と思しき電車や池袋駅・朝霞台駅・志木駅周辺と酷似した風景もある。桜庭館のモデルは旧松本邸である。
《青縞》
http://www.bushuichi.com/history.html
埼玉県羽生市など、埼玉県北部地域で江戸時代末期ごろから生産されている藍染物の伝統工芸品。武州織物、武州正藍染とも。天明期に、現在の羽生や加須、行田、騎西など北埼玉で藍の栽培が開始されたことに伴い、農家の主婦が農閑期を利用して家族の衣服を作ったことが発祥とされる。最盛期を迎えた明治40年代には、当時の羽生町を中心とする同地域の一大産業となり、藍染め職人が200軒以上の紺屋を構えた。2008年9月19日には、羽生市・加須市・行田市で生産された正藍染を施した織物と、その織物を用いて生産された被服の一部が、特許庁の地域団体商標に登録された。 藍染めの普及などの活動を行う武州織物工業協同組合(昭和24年設立)の現在の組合員数は14軒で、うち11軒は羽生市に立地する。資料館を併設する武州中島紺屋がある。藍の葉から「自然発酵建て」により採取した染料を用い、手染めで染色する。糸の段階で染める糸染めと、布にしてから染める型染めがあるが、青縞の多くは前者の手法で生産される。 色調をもとに、「武州紺織」と「武州唐桟」に大別される。武州紺織は、藍の濃淡だけの素朴でシンプルなデザインを活かし、剣道着などに使われる。全国で生産される正藍染の剣道着のうち、8割が武州紺織といわれる。
http://www.bushuichi.com/index.html
・・・縞模様で重要なことを忘れていました。
《綱島理友のユニフォーム物語》
https://hanshintigers.jp/data/uniform/
・・・父が「阪神ファン」だったこともあり、小学校時代からの「阪神ファン」です。村山投手と握手したことも大切な思い出です。相撲では「朝潮ファン」でした。当然、阪神の「縦縞」は、しっかりと目に焼き付いているわけです。