・・・中村式鉄筋コンクリートブロック「鎮ブロック」を最初に知ったのは、
《「栗原邸」継承のための一般公開》2018.5.8DOCOMOMO Japanより
旧鶴巻邸/★本野精吾設計/1929年竣工/国・登録有形文化財
この建物は、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)校長を務めた染色家の鶴巻鶴一の邸宅として1929年に建設されたものです。設計者は同校教授であった建築家・本野精吾(1882-1944)。★「中村式鉄筋コンクリート建築」と称される当時最先端の特殊なコンクリートブロック(通称:鎮ブロック)で建てられた、合理性を追求した建築です。一方でウィーン分離派やウィーン工房の影響を思わせる装飾的なデザインも見られ、モダニズムへの移行期に生み出された独自の建物だと言えます。2007年にはモダニズム建築の保存に関する国際組織DOCOMOMO Japanより優れた日本のモダニズム建築の1つとして選定され、2014年には国の登録有形文化財に登録され、2017年には京都市による「京都を彩る建物や庭園」に認定されるなど、近年その文化財的評価が高まっています。建物は老朽化により傷んでいましたが、2011年度より★京都工芸繊維大学大学院の教育プログラムにより、学生とともに修復作業を行ってきました。
https://www.kit.ac.jp/events/events170520/
この建物は、現在、購入者を探しています。建物の歴史的・文化的価値を継承し、長く居住もしくは活用してくださる方を希望しています。この建物の歴史的・文化財価値や修復の成果を広く知っていただき、よりよい継承を実現するため、所有者の栗原眞純氏のご協力により期間を限定して公開することになりました。多数のご来場をお待ちしております。
https://www.garage-chintai.com/vintage/22172
モダニズム建築の保存に関する国際組織 DOCOMOMO Japan から、優れた日本のモダニズム建築として選定されていて、保存を前提とした活用で継承してくださる方を募集しています。
敷地面積:991平米
延床面積:393.83平米 (1階198.55平米 2階145.69平米 3階49.59平米)
地域地区:第一種低層住居専用地域
※京都市景観重要建造物または指定文化財に指定し、継承してくださる方に限ります。
《NEWS》2018.11.28日本経済新聞「時の回廊」より
学都に咲いたモダニズム栗原邸(もっと関西)
木々が色づく琵琶湖疏水沿いに立つ洋館、栗原邸(旧鶴巻邸、京都市山科区)は日本のモダニズム建築初期の作品の一つだ。完成から90年近くたった今もコンクリートブロックむき出しの外壁が厳かな存在感を放つ。学術の都である京都の風土が、機能を追求する大胆な実験を可能にした。栗原邸は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の校長を務めた染色家、鶴巻鶴一の邸宅として1929(昭和4)年に建設された。設計者は同校教授の本野精吾だ。鉄筋コンクリート造3階建てで、延べ床面積394平方メートル。独特の外壁は★「鎮式ブロック」と呼ばれるL字型のブロックを組み合わせてつくられた。長辺353ミリ、短辺と高さ173ミリ、厚さ30ミリで規格化され、瓦のように重ねて運べる。手で型枠のように組み上げ、角の内部を鉄筋コンクリートで固める。23(大正12)年の関東大震災では、このブロック造りによる建物が倒壊を免れて注目された。本野は栗原邸や自邸に鎮式ブロックを採用し、初めて構造体であるブロックをそのまま外壁として見せた。近代建築史が専門の京都工繊大の★笠原一人助教は「ドイツ留学でモダニズム建築に触れた経験から、本野はブロックを覆い隠す仕上げを不要な装飾と考えたのだろう」と指摘する。モダニズム建築は欧州で工業化や市民社会の進展と共に盛んになり、20年代に日本に伝わった。石造りに比べて設計の自由度が増した鉄筋コンクリート造りを使って、従来の装飾パターンに従った様式主義を離れた。合理性や機能性を追求した結果、装飾は不要なものとして省かれていった。本野が京都を中心に装飾を排除した実験的な建築に挑戦したのが20年代。明治以降に大学が集積して学都として発展した京都には、探究心を追求できる空気があった。一方、大阪では30年代に鉄筋コンクリートの外壁にタイルを貼るなど装飾を取り入れた様式建築が建てられていく。笠原助教は「商都だった大阪では人々に受け入れられることが求められた。2つの都市の性格が建築に対照的な影響を与えた」と説明する。その後、日本のモダニズム建築の抽象化は高度成長期の50年代にピークに達し、よりシンプルな箱に近づいていく。栗原邸は2007年に近代建築の保存に取り組む国際組織の日本支部「DOCOMOMO Japan」が日本を代表するモダニズム建築の一つに選定。14年に国の登録有形文化財となった。ただ、個人所有の近代建築は保存と活用が課題となっている。栗原邸は11年度から京都工繊大大学院の教育プログラムの一環として、学生らが屋上防水や室内のしっくいなどの修復を施した。現在の所有者は高齢と相続税負担を理由に売却を希望している。笠原助教ら研究者や建築士、弁護士らによる一般社団法人、住宅遺産トラスト関西が支援。建物の価値を理解して継承するオーナーを探すため、17年と18年に一般公開した。19年も実施する方向だ。京都市は歴史的建造物などの補修費を助成する「京都を彩る建物や庭園」に栗原邸を認定した。「価値を顕彰することで市民ぐるみで残す機運を高め、様々な活用を探って継承したい」(文化財保護課)。過去から託された遺産を未来につなぐ知恵が求められる。
・・・「栗原邸」見学の頃は、本野精吾さんの設計ということに興味関心が向いており、「鎮式ブロック」(中村鎮)について調べることもなかった。笠原さんの説明にもあるように、大阪(1930年代)では鉄筋コンクリートの外壁にタイルを貼るなど★装飾を取り入れた様式建築が主流であり、私もそちらの方に目が向いていたからです。その最たるものが、「村野建築」への傾倒でした。
【本野精吾】(1882~1944)
【中村鎮】(1890~1933)
【村野藤吾】(1891~1984)
《建築用コンクリートブロック》
明治時代中期、初代浅野総一郎が★浅野セメント東京工場事務所をコンクリートブロックで建築しており、これが日本で最初に使用されたものと言われている。第二次世界大戦後、焼け野原になった都心を復興させるために、簡易で高い不燃性を有する素材が必要となったことからコンクリートブロックが注目された。アメリカからブロック製造機が輸入され、工場で規格化されたブロックの大量生産が始まると、またたく間に全国へ普及した。日本でも技術開発が進み、特に建築家★中村鎮が開発した中村式鉄筋コンクリートブロックによる建物は、1921年から彼の亡くなる1933年にかけて全国で119件が建築されている。このブロックは特徴あるL字型のものであり、彼の名前にちなんで「鎮ブロック(ちんブロック)」と称されている。国産品の出現もあり、規格が乱立するおそれが出たため、早くも1952年には★JIS規格化されている。(JIS A5406)
《参考》太平洋セメント株式会社
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/index.html
1998年に秩父小野田(1994年に秩父セメント、小野田セメントが合併)と日本セメント(1947年に浅野セメントから改称)が合併して設立されたセメント業界最大手の企業である。
★コンクリートブロック塀等に関する所有者からの相談窓口について/2018.6.25大阪市
http://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000439574.html
平成30年6月18日に発生しました大阪府北部を震源とした地震により、コンクリートブロック塀や石積みの塀が倒壊する事故が発生し、同様のコンクリートブロック塀等を所有・管理されている方が不安を感じていると思われるため、技術的基準に関する相談窓口を開設します。相談には、塀を設置した時期や図面の有無などの情報や、今後の対応の検討が必要となる場合があるため、塀を所有・管理されている方からご相談ください。
★2018.7.2茨木市
http://www.city.ibaraki.osaka.jp/kikou/toshiseibi/shinsashido/42011.html
平成30年6月18日に発生した大阪府北部を震源とする地震(マグニチュード6.1)ではブロック塀の倒壊が発生し、改めて基準を満たさないブロック塀の危険が認識されたところです。ブロック塀の安全性の確保は所有者の責任です。「たかがブロック塀」などと安易に考えることなく、リーフレットの点検表を参考に点検を行なってください。安全点検の結果、危険性が確認された場合には付近通行者への速やかな注意表示及び補修・撤去等が必要です。
★高槻市学校ブロック塀地震事故調査委員会からの答申及び調査報告書について/2018.10.29
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/m/kakuka/sougou/seisaku/shingikai/tyousaiinkai/1542080887928.html
・・・合掌。