・・・すっかり間延びしてしまいましたが、「大工大」で気になっていたことがありました。以前「常翔歴史館」を訪問した際、「発祥の地」碑レプリカが展示されていたのですが、実際に現地を訪れたことがなかったので、「大阪くらしの今昔館」での講演会後に行ってみました。
《関西大学「天六学舎」》
531-0061大阪市北区長柄西1丁目3番22号
http://www.kansai-u.ac.jp/past/global/guide/maptenroku.html
《NEWS1》2014.7.17日本経済新聞より
関大、天六キャンパスを売却 苦学生支えた歴史に幕
関西大学(大阪府吹田市)は2014年7月16日、かつて夜間学部(2部)があった大阪市北区の「天六キャンパス」を売却すると発表した。同日、売却先の阪急不動産(大阪市)と売買契約を締結。働きながら学ぶ苦学生を支えた「まちなか」のキャンパスが、85年の歴史に幕を閉じる。売却額は約40億円で、跡地にはマンションの建設が計画されている。関大は梅田駅近隣の土地(北区鶴野町)を阪急不動産から購入し、新たに社会人教育などの拠点を設けるという。天六キャンパスは1929年に完成、35年から65年までは大学本部があった。法学部や商学部などの2部が置かれ、都心のキャンパスとして苦学生らが学び、関西の政官財界、法曹界などに多数の人材を輩出した。今年10月から解体工事が始まる。同大学の2部は全国的な夜間学部の人気低迷とともに94年には千里山キャンパス(吹田市)に移転、2003年に廃止された。天六キャンパスでは公開講座などを実施していた。楠見晴重学長は「活用を模索してきたが有効策がなかった。社会人教育の機能は梅田で継承したい」と話した。
《NEWS2》2016.8.22産経WESTより
大臣も市長も学んだ関大天六学舎 解体されウクレレに
戦後から高度経済成長期にかけて働きながら夜間に学ぶ学生を支え続け、昨秋解体された大阪市北区の関西大学天六キャンパス(旧称・天六学舎)。85年の歴史を刻んだ校舎の中で象徴的な存在だった体育館の廃材を使ったウクレレを、豊中市在住の美術家が制作した。床板やバスケットゴールの板、女子更衣室の床などの材料とともに、さまざまな思い出も凝縮。来月行われる天六学舎の記念碑除幕式で披露されるほか、10月からは関大博物館で展示予定だ。取り壊される建築物の廃材でウクレレを制作することで、過去の記憶を残す活動を全国で行っている豊中市の美術家★伊達伸明さん(51)が手がけた。その名も「関西大学天六学舎体育館ウクレレ」。床板が使われたボディーには黄色いラインテープがあり、一目で「体育館」と分かる。ネックには平行棒の一部、ヘッドにはバスケットゴール板の黒縁、側面には女子更衣室の床をそれぞれ使用した。ボディー内部には器具庫にあった「整理整頓」と書かれた貼り紙もそのまま使われている。
https://www.ameet.jp/events/1151/
在学中、バスケットボール部の活動で天六学舎を毎日利用していた関大の池内啓三理事長(73)は「体育館ではみんなで譲り合いながら、限られた時間に集中して練習していた。そんな思い出の詰まった場所がウクレレになって音色を響かせるとは」と驚く。天六学舎は昭和4年に完成。昭和23年に夜間教育を行う「第2部」が創設されてからは勤労学生の教育拠点となり、元国土交通相の冬柴鉄三氏や前神戸市長の矢田立郎氏ら約4万7千人が学んだ。体育館では多くの学生が毎日、授業や部活などで汗を流した。平成6年に第2部が吹田市の千里山キャンパスへ移転した後は、社会人向けの資格講座などを開講していたが、21年からほとんど使われなくなり、26年に不動産会社への売却が決定。現在はマンションを建設中だ。関大博物館の石立弥生子学芸員(52)らによると、天六学舎の記憶を形にして残したいという大学側の思いが高じ、廃材でウクレレを制作することに。昨年5月、伊達さんが体育館を視察。床や更衣室など、歴史や思い出を感じる部分を切り取り、約半年かけて制作した。ウクレレは来月28日、天六学舎の記念碑除幕式で披露されるほか、10月5日から関大博物館でも展示予定だ。池内理事長は「天六学舎という歴史があったことを知ってほしい」と話している。
・・・すっかり忘れていましたが、関西大学「天六学舎」跡も見ることができて幸運でした。
《大阪工業大学》
【大宮キャンパス】535-8585大阪市旭区大宮5丁目16-1
【梅田キャンパス】530-8568大阪市北区茶屋町1-45
【枚方キャンパス】573-0196枚方市北山1丁目79-1
1922年(大正11)関西工学専修学校を創設
1926年(大正15)財団法人関西工学を設立
1927年(昭和2)関西高等工学校を開設
1933年(昭和8)関西工業学校を開設《現在の常翔学園高等学校に発展》
1940年(昭和15)関西高等工業学校を開設《現在の大阪工業大学に発展》
《大阪市立豊崎中学校》
531-0074大阪市北区本庄東3-4-8/06-6371-7452
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j512005
昭和24年4月11日大阪市立大淀第2中学校として創設
昭和24年5月1日大阪市立豊崎中学校と改称
《大阪市立北図書館》
531-0074大阪市北区本庄東3丁目8番2号/06-6375-0410
https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=398
開館:1984年(昭和59)8月21日。図書館は3階、1・2階:大淀コミュニティセンター。大淀コミュニティセンターと併設の施設です。長柄橋のたもと天神橋筋8丁目西、豊崎中学校西隣にあります。ぜひお気軽にお立ち寄りください。
【松本鐡太郎】(1947~)
http://sac.sakai.ed.jp/details/21/person.html
1947堺市に生まれる
1965★大阪工業大学高等学校建築科卒
1967大阪市立美術研究所彫刻部修了
http://www.shimobou.com/monyumennto.htm
1982株式会社彫刻工房マツモト設立
http://matumoko.server-shared.com/index.html
1985外遊(ヨーロッパ・アジア各地)
1990秋篠宮様に彫刻作品を御買上戴く。
http://www.takuminomura.gr.jp/modules/contents/index.php/content0013.html
・・・大阪工業大学に関わりある松本さんの作品が、すぐ近くに設置されているとは不思議な縁ですね。