・・・今さらですが「箱」について、
★はこ 【箱・函・筥・匣・筐】
①物を入れておく器。多くは直方体で蓋(ふた)が付く。
②列車の車両。どの-も満員だ」
③三味線を入れる物。また、三味線。また、三味線を持って芸者に従って行く男や芸者をもいう。
④得意にしている物事。箱入り。→おはこ
⑤厠(かわや)に置いて大便を受けるもの。しのはこ。また、大便。 「 -すべからず★宇治拾遺5」
⑥挟み箱。
⑦「箱入り娘」の略。
・・・デュシャンの「泉」をオマージュしましたが、箱そのものが上記⑤のように★「お便所」に関係するとは、おもしろいですね。
《宇治拾遺物語》
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100231966/viewer/1
●宇治拾遺物語 第一話
今ではもう昔のこと、傅殿(ふどの)・藤原道綱の子に、道命阿闍梨(あじゃり)という好色な僧がいた。和泉式部を愛人として通っていた。経文の読誦(どくじゅ)に優れていた。この道命が和泉式部の許へ行って同衾していた夜、ふと目覚め、心を澄まして『法華経』を読み始め、ついに全八巻を読み終えて、未明に眠気を催してうとうとした時に、人の気配がしたので、「そこにいるのは、誰だ」と問うたところ、「私めは、五条西洞院のあたりにおります翁でございます」と答えたので、「これは何事か」と道命が言うと、「このお経を今晩聴聞申し上げたことが、今後生まれ変わりましても未来永劫(えいごう)、忘れがたく存じます」と言ったので、道命は「『法華経』を読誦申し上げるのは、いつものことだ。どうして今宵(こよい)ばかりを言われるのか」と言うと、五条の道祖神は「身を清めて読誦なさる時は、梵天(ぼんてん)や帝釈天をはじめとする神々が聴聞なさいますので、この翁などは、お側に近づいて拝聴することがかないません。今宵は、行水もなさらず読経申し上げなさったので、梵天、帝釈天も御聴聞なさらぬ間隙(かんげき)で、私も、近づき参じて、お声を承ることができましたのが、忘れがたく存じます」とおっしゃったとか。
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5886
13世紀前半頃(鎌倉時代初期)に成立した、中世日本の説話物語集である。『今昔物語集』と並んで説話文学の傑作とされる。編著者は未詳。 題名は、佚書『宇治大納言物語』(宇治大納言源隆国が編纂したとされる説話集、現存しない)から漏れた話題を拾い集めたもの、という意味である。全197話から成り、15巻に収めている。古い形では上下の二巻本であったようだ。収録されている説話は、序文によれば、日本のみならず、天竺(インド)や大唐(中国)の三国を舞台とし、「あはれ」な話、「をかし」な話、「恐ろしき」話など多彩な説話を集めたものであると解説されている。ただ、オリジナルの説話は少なく、『今昔物語集』など先行する様々な説話集と共通する話が多い(説話の直接の出典には、『古事談』『十訓抄』『打聞集』などに類似の話が見られ、『今昔』との重出話にいたっては80余話もの数にのぼる)。貴族から庶民まで、幅広い登場人物が描かれている。また、日常的な話題から滑稽談までと内容も幅広い。「芋粥」や「絵仏師良秀」は芥川龍之介の短編小説の題材に取り入れられている。
《参考》『宇治拾遺物語』(巻五 七)076仮名暦あつらへたる事
これも今は昔、ある人のもとに生(なま)女房のありけるが、人に紙乞ひて、そこなりける若き僧に、「仮名暦書きて給べ」といひければ、僧、「やすき事」といひて、書きたりけり。始めつ方はうるはしく、神、仏によし、坎日(かんにち)、凶会日(くゑにち)など書きたりけるが、やうやう末ざまになりて、あるいは物食はぬ日など書き、またこれぞあればよく食ふ日など書きたり。この女房、やうがる暦かなとは思へども、いとかう程には思ひよらず。さる事にこそと思ひて、そのままに違へず。またあるいは、はこすべからずと書きたれば、いかにとは思へども、さこそあらめとて、念じて過す程に、長凶会日(ながくゑにち)のやうに、はこすべからず、はこすべからずと続け書きたれば、二日三日までは念じ居たる程に、大方堪ふべきやうもなければ、左右の手にて尻をかかへて、「いかにせん、いかにせん」と、よぢりすぢりする程に、物も覚えずしてありけるとか。
※現代語訳
ある屋敷の新米侍女が、知り合いの僧に日々の吉凶や禁忌を記した「仮名暦」を書いてくれるよう頼んだ。僧は気軽に「いいとも」と引き受けてくれた。初めは「神事仏事によし」「坎日(かんにち)」「凶会日(くえにち)」と真面目に書いていたが、だんだん「断食日」とか「飽食日」などと、適当なことを書くようになった。侍女は「変だなあ」とは思ったが、まさか出鱈目とは思わないから、「多分理由があるだろう」と、暦に従って日々を送った。ある日、暦に「大便するべからず」と書いてあった(はこすべからずと書きたれば)。「えっ!」「いやいや、理由があるはずだ」と、一日我慢して過ごした。 翌日も、その翌日も「大便するべからず」とある。連日「大便するべからず」が続いた。二三日のうちは我慢できても、いつまでも堪えられるものではない。侍女は両手でお尻を抱え、悶えていたが、とうとう気が遠くなって脱糞してしまった。
《参考》平安時代(794~1185~1192)のトイレ事情~当時は屋敷中が臭かった?
http://www.heianjidai.com/toire.html
平安時代の人々は、★「樋箱(ひばこ)」に用を足していたとされています。樋箱とは現代の「おまる」に相当する木製の箱であり、一般庶民はもちろん、かの有名な貴族たちも樋箱を使っていました。身分が高い者でさえ、樋箱に用を足すことが当たり前だったのです。ただし、樋箱の管理は自分より身分の低い「樋洗(ひすまし)」と呼ばれる人々にさせていたと言われています。樋洗は排泄物が溜まった段階で川まで排泄物を捨てに行きました。とは言え、どの屋敷にも樋洗がいた訳ではなく、一般庶民は自分自身で管理を行っていました。そのため、平安時代の家屋は総じて「臭かった」と言われています。平安時代を舞台とした時代劇などで「お香」を炊いている光景を見ますが、これは便や尿の臭い消しの目的で炊いていたことも多いようです。また、当時の人々は風呂に入るという習慣がほとんどなかったため、体臭を消すためという理由もありました。
《日本下水文化研究会/分科会「屎尿・下水研究会」》
http://sinyoken.sakura.ne.jp/index.htm
★平安・鎌倉における屎尿にまつわるよもやま話
http://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cayomo012.htm
●樋洗童/芥川龍之介に「好色」という小説がありますが、これは★「宇治拾遺物語」(鎌倉初期)の「平貞文、本院侍従の事」を下敷きにしています。好色で鳴らした平貞文は懸想した女(本院侍従)を忘れ切れずにいたが、その思いを断ち切るためにその女の「おまる」の中身を見れば幻滅するだろうと、家来を使って「おまる」を取り扱う樋洗(ひすま し)からそれを奪い中身を見るという話です。「紫式部日記」では樋洗童(ひすましわらは)、「字津保物語」や「和泉式部日記」では樋洗、「枕われています。樋道路側溝へ流れ込んでいました。
「字津保物語」は、奈良の春日大社へ参詣に向かう男60~80人、大人の女40人、若い女20人、下女20人という大勢の行列の中に、樋洗が6人同行していたと記しています。
●樋殿/寝殿造の邸宅には便所といえる定まった場所がなく、御簾で仕切られた樋殿(ひどの)と称する一画を設けて、移動便器の「おまる」に排泄していました。おまるは、大便用が樋箱(ひばこ)とか清箱(しのはこ)と、女性の小便用が虎子(おおつぼ)、男子の小便用が尿筒(しとづつ)と呼ばれていました。十二単重の着物を着ている女性が「おまる」を使うのはたいへんだったと思われるでしょうが、樋箱にはT字型の支えが付いていて、これに長い裾を掛けて着物の中に「おまる」を入れてしゃがみこんで排泄していました。道路側溝から暗渠(木樋)で屋敷内に引き入れた水路にしゃがんで直接ここで排泄することも行われましたが(貴族の使用人などが)、下流の側溝に排水する前にトラップを設け糞便を垂れ流さないような配慮をしていたと想定されています。ここも樋殿といいましたが、いわゆる「カワヤ(川屋→厠)」の語源はここからきています。
●野糞/一般の庶民は、どのように排泄していたのでしょうか。「餓鬼草紙」(12世紀後半・鎌倉初期)には、崩れた築地塀に沿った道端で老若男女が足駄を履いて排泄している姿が描写されています。このように、屋敷の裏や町の片隅の空地に排泄の場を定めていました。当時、庶民のほとんどは裸足か草履であったので、履いている足駄は足元や着物の裾が汚れることを避けるための共同使用のものであったと考えられています。零落した家のまわりの小路は、共同の野糞場として格好の場所だったのでしょう。極めて素朴な共同便所であると推定されます。
《参考》チェスター・ビーティ図書館(Chester Beatty Library)
アイルランド共和国ダブリンの図書館、美術館、博物館。1954年に開館し、鉱山業界の有力者だったアルフレッド・チェスター・ビーティ卿のコレクションを収蔵しており、特にイスラム世界、インド、日本、中国の美術品が多く収蔵されている。現在の図書館はビーティの生誕125周年記念であった2000年2月7日にダブリン城 の敷地に開館したものであり、2002年にはヨーロッパの「今年の博物館」に選ばれた。
《参考》「ダブリンで日本美術のお世話を: チェスター・ビーティー・ライブラリーと私の半世紀」著:潮田淑子/平凡社2014
ダブリンに住むこととなった日本人主婦が、司馬遼太郎の讃える「そのひかえめな人柄とすばらしい知性」で、小さなライブラリーに眠っていた日本美術の宝物を、整理し、目録を作成し、修復の実現、研究者の世話、世界に日本に紹介し、日・愛、二つの国をつないだ。半世紀の軌跡の自伝的エッセイ。
【潮田淑子】
https://www.ie.emb-japan.go.jp/taishikan%20no%20katsudo200704.htm
1931年、水戸市生まれ。東京女子大学日本文学科卒業。1960年より、アイルランド、ダブリンでの生活を始める。1970年よりチェスター・ビーティー・ライブラリーで学芸員の仕事に関わり、96年退職(80年まではボランティア、以後正規職員)。2006年外務大臣賞受賞、2007年旭日双光章受章。
https://www.ie.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000113.html
《NEWS》2014.9.21産経ニュースより
アイルランドのダブリンにある小さな美術館には、奈良絵本や浮世絵、工芸品など日本美術の名品が多数秘蔵されていた。学芸員に日本語を教えてほしい、という依頼をきっかけにカタログ作りを手伝うことになった日本人主婦は、ついには学芸員となり、四半世紀にわたって両国の文化交流に尽くす。本書はその日々を回顧する自伝的エッセー。★司馬遼太郎が「そのひかえめな人柄とすばらしい知性」を称賛した著者は〈貴重な経験を、そして生涯忘れられない思い出を作ることができた私は、司馬先生のお言葉を借りれば「果報者」である〉と記す。
・・・テレビっ子だった私の生涯忘れられない名前、「はなと★こばこ」さんです。楽しくおもしろい話がつまった、「玉手箱」のようです。
《参考》【花登筺】(1928~1983)
滋賀県大津市出身の小説家、脚本家。本名は、花登善之助。昭和30年代の上方喜劇ブームの立役者であり、またテレビ草創期におけるスター脚本家であった。高度経済成長期には、大阪の商人を主人公とした商魂物・根性物を多数執筆した。移動する新幹線の車内でも原稿用紙に向かい、「カミカゼ作家」「新幹線作家」の異名も取った。最盛期における執筆ペースは月に原稿用紙2000~3000枚、生涯に書いた脚本の数は6000本を超えると言われる。また、劇団喜劇の主幹でもあった。主な作品に、『やりくりアパート』、『番頭はんと丁稚どん』、『船場』、『道頓堀』、『細うで繁盛記』(『銭の花』)、『ぼてじゃこ物語』、『アパッチ野球軍』(アニメ)、『どてらい男』、『おからの華』、『あかんたれ』、『鮎のうた』、『ぬかるみの女』、『女商一代 やらいでか!』などがある。人気作品の多くは、人間の成長過程を描いた物でもある。
《NEWS》2019.1.21インプレスwatchより
思い出全てをその筺(はこ)へ……平成仮面ライダー20作品記念「折りたたみコンテナ」登場
通販サイト「プレミアムバンダイ」は、平成仮面ライダー20作品記念し、収納ボックス「平成仮面ライダー20作品記念折りたたみコンテナ」を3月に発売する。同時に「立花レーシングクラブコンテナ」も発売、価格は各7,020円(税込)。受注は本日13時より。魅力的なグッズは多数発売されるものの、並べていくうちに部屋をどんどん圧迫してしまう……今回の商品はそんなファンの悩みに答える折りたたみ可能の収納ボックスだ。サイズは53×36.6×33.4cm(幅×奥行×高さ)で、50Lの大容量となる。複数購入することで重ねることも可能。グッズは箱のまま入れてもいいし、中のアイテムだけ入れればより省スペースにすることもできる。「平成仮面ライダー20作品記念折りたたみ★コンテナ」は黒を基調に平成仮面ライダー20作品記念ロゴや歴代平成仮面ライダーの名前がはいっており、内側にも記念ロゴをあしらった豪華仕様となっている。「立花レーシングクラブコンテナ」は、昭和仮面ライダーシリーズに登場するバイクショップ「立花レーシングクラブ」のマークを黒を基調に赤い文字でデザインした折りたたみコンテナとなっている。
・・・仮面ライダーのニュースではあえて「筺」という文字が用いられています。特別なコダワリや使用時に用いられるような気もします。
《筺》
かご。食料・書物・衣服などを入れる竹のかご。 四角いわく。外わく。四角いわくのある寝台。筺の部首は竹であり、竹を部首にもつ漢字の集まりを竹部という。竹部には「イネ科植物の竹、葉が垂れる様子、竹製品」という意がある。
《参考》産業用鋳物/カネソウ株式会社HPより
http://www.kaneso.co.jp/index.htm
「筺(きょう)」とは、制水弁、空気弁、消火栓、止水栓および水道メーターなどを地中に設ける場合に、これらを納めるコンクリート製または鋳鉄製などの箱のことをいいます。
弁や栓などの操作のためと、外傷からの保護および位置の明示のために設けます。「筺」は、「きょう」「こう」「はこ」「かご」と読みます。
《参考》「コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった」
著:マルク・レビンソン/翻訳:村井章子/日経BP2007
20世紀最大の発明品の1つといわれるのがコンテナ。コンテナの海上輸送が始まったのは1956年3月のことだ。アメリカの陸運業者マルコム・クリーンは、コスト削減と交通渋滞回避のため運賃の安い沿岸航路に目をつけ、トラックから「箱」だけ切り離して船に載せるアイデアを思いつく。陸上、海上輸送の兼業を禁止する規制当局と戦い、さらには埠頭を牛耳る沖仲仕の組合の抵抗を押さえ、1956年3月、コンテナの海上輸送が世界で初めて実現する。天性の企業家マクリーンは次々に船会社を買収し、ベトナム戦争では軍事物資の輸送に食い込み、世界最大級の海運業者に飛躍する。日本、韓国、シンガポールなどアジアの国々は、巨大なコンテナ専用埠頭を設置し、欧米との貿易で巨額な黒字を溜め込み、世界経済への影響力を増していく。グローバルな経済の成り立ちを「箱」に焦点を当てて振り返ったノンフィクション。
・・・この本も読んでみたいのですが、もはや「積読」が崩れかかっていますのでガマン、ガマン。