・・・「道草」もほどほどにしなければと思いますが、もう少しお付き合いください。
《NEWS》2019.1.20日刊スポーツより
AKIRA、大森南朋と「この道」一緒にカラオケ
EXILEのAKIRA(37)が20日、都内で行われた公開中の主演映画「この道」の舞台あいさつに出席した。童話誕生100年を記念した同作は、ダブル主演の大森南朋(46)演じる詩人★北原白秋の波乱に満ちた半生を、AKIRA演じる音楽家★山田耕筰との友情やさまざまな人物とともに描いた物語。AKIRAは「SNSやブログで、作品を見たという方にコメントをいただいています。幅広い層に届いているんだなと実感しましたし、『こういう童謡があったんだ』『北原白秋、山田耕筰の作品だと初めて知った』というコメントもあって。新たな日本の発見をしていただけたんじゃないかなと思います」と喜んだ。初共演の大森とのエピソードを聞かれ、「ミステリアスでクールでおちゃめな北原白秋を演じるすてきな方ですし、すんなり山田耕筰を演じられました。芝居の話は一切せず、現場にぱっと入ったライブ感で演じていましたね」と振り返った。「一緒にカラオケで『この道』を歌ったのも思い出になりましたし、プライベートでも今もお付き合いさせていただいていますので、すごくいい出会いだったなと思います」と感謝した。30代から60代まで3つの時代の山田耕筰を演じたため、特殊メークにも挑戦した。60代の山田が指揮をするシーンでは、数時間かけて顔や頭に特殊メークを施したという。「最初、僕だと気づかれなかったですもんね。大変でしたけど、いい経験でした」と振り返った。共演の松本若菜(34)は「大変ですよねー!AKIRAさんの指揮が好きでした」とコメントしていた。
《映画「この道」》
自由奔放な天才詩人・北原白秋と、西洋音楽を日本に導入した秀才音楽家・山田耕筰。この二人の友情から日本の「歌」が生まれた。もし彼らが居なかったら、日本の音楽シーンは全く違っていたかもしれない。童謡誕生100年の今年、白秋の波乱に満ちた半生を、耕筰との友情とともに、笑いと涙で描き出す映画『この道』。今、日本歌謡誕生の瞬間に立ち会うことができる。日本の子供たちの心を表す新しい童話や童謡を作りだそうと、文学者・鈴木三重吉は「赤い鳥」を1918年に創刊した。童謡もこの児童文芸誌の誕生とともに生まれたことになる。白秋と耕筰もここを舞台に名曲「からたちの花」や「この道」などを発表した。それまで、日本の子どもたちの歌は、各地に伝承されてきた「わらべ歌」か、ドイツから入ったメロディーに日本語の歌詞を乗せた「ドイツ童謡」しかなかった。日本人による日本人のための新しい歌が、白秋・耕筰コンビらによって生まれたのだ。
白秋を演じるのは、『ハゲタカ』(09年)や『アウトレイジ 最終章』(17年)など今や日本映画に欠かせない存在となっている大森南朋。女性にだらしなく、姦通罪で逮捕されるなどのスキャンダルにもまみれた白秋は、今の時代でいうラッパーにも通じる独特のリズムを持つ、誰にもまねの出来ない詩を書く天性の能力に恵まれていた。自意識も強く、子どものように自由な詩人を、大森がしなやかに演じている。日本初のオーケストラを作るなど西洋音楽の普及に貢献した耕筰役は、EXILEのパフォーマーとして活躍するAKIRA。俳優としても映画『草原の椅子』(13年)、『アンフェア the end』(15年)などに出演、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』(17年)でハリウッド・デビューも果たした。今回は、これまで経験のなかったバイオリンの演奏や指揮、歌にも挑戦。持ち前の身体能力の高さで難役をこなしている。このほか、鈴木三重吉役は柳沢慎吾、与謝野鉄幹、晶子夫妻は、松重豊と羽田美智子、白秋の最初の妻・俊子は松本若菜、三度目の妻・菊子は貫地谷しほりが演じる。童謡を歌う活動を続けている歌手の安田祥子、由紀さおり姉妹も、NHKラジオの第1回放送で「からたちの花」を歌う歌手役で特別出演している。また、主題歌「この道」をAKIRAと同じEXILEのメンバーのATSUSHIが歌っていることも注目される。監督は、『陽はまた昇る』(02年)、『半落ち』(04年)、『ツレがうつになりまして。』(11年)などを手掛けてきた、日本映画界の名匠・佐々部清。脚本は、『かぐや姫の物語』(13年)などの坂口理子が手掛けた。
・・・映画はまだ観ていませんが、「この道」の曲は大好きです。
《この道》作詞:北原白秋/作曲:山田耕筰
歌詞には、北原白秋が晩年に旅行した北海道(1-2番)と、母の実家である熊本県南関町から柳川まで(3-4番)の道の情景が歌い込まれている。日本の歌百選に選定されている。
この道はいつかきた道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ ほら 白い時計台だよ
この道はいつかきた道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ
あの雲もいつか見た雲 ああ そうだよ 山査子の枝も垂れてる
《参考》「この道」著:大石直紀
★映画主題歌「この道」(EXILE ATSUSHI)CD付き
https://www.shogakukan.co.jp/books/09386519
童謡誕生100年に制作された映画『この道』の脚本から生まれたオリジナル小説。稀代の詩人・北原白秋と天才音楽家・山田耕筰の交流を通して人間味溢れる表現者たちの人生を描く。さらに映画の原点となった長編小説★『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』の著者である瀬戸内寂聴と北原白秋を演じた大森南朋、山田耕筰を演じたAKIRA、瀬戸内寂聴の秘書・瀬尾まなほによる『この道』スペシャル座談会、瀬戸内寂聴と主題歌を歌うEXILE ATSUSHIとAKIRAのスペシャル鼎談も収録。
《ここ過ぎて 白秋と三人の妻》著:瀬戸内寂聴
北原白秋をめぐる三人の妻を描いた長編小説。国民的詩人・北原白秋が没して4年後の1946年暮れ、大分県香々地の座敷牢で一人の女性がひっそりと息を引き取った。歌人であり詩人であったその才女の名は江口章子。白秋の二番目の妻でもあった。詩集『邪宗門』をはじめ、数多くの詩歌を残し、膨大な数の童謡や校歌などの作詞も手掛ける一方で、姦通罪による逮捕など様々なスキャンダルにまみれた稀代の天才の陰には、俊子、章子、菊子という三人の妻の存在があった。丹念な取材を元に瀬戸内寂聴が1984年に発表した渾身の長編小説に著者の書き下ろし「あとがき」を収録。白秋の生涯を描いた★2019年1月11日公開の映画『この道』の原点。
※『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』担当者より
https://www.shosetsu-maru.com/column/editors/2018-11-21
「大正11年生まれで、いま96歳ですけど、関東大震災も太平洋戦争もこの目で見てきました。私が生まれ、生きてきた時代が描かれていて、もう一度人生を生き直した映画のようだったわ。私の小説"ここ過ぎて"が原作だったら、もっと面白い映画になっていたと思うけど(笑)、思ったより、とてもいい映画。反戦映画として若い人たちに観てほしいわね」連日40度近い酷暑が続き、屋外に出るだけで汗が噴き出し、ジリジリとした太陽が肌を焼く7月の京都・太秦。松竹試写室で、新春1月11日に公開される映画『この道』の試写を鑑賞した瀬戸内寂聴先生は開口一番こう語った。映画『この道』は童謡誕生100年を記念して制作され、国民的詩人・北原白秋と作曲家・山田耕筰の友情を軸に、人妻と不倫し、姦通罪で逮捕されるなど、様々なスキャンダルにまみれながらも、素晴らしい作品を書き続けた人間味溢れる天才・北原白秋の素顔を描いた人間ドラマ。この日は北原白秋を演じた大森南朋さん、山田耕筰役のAKIRAさんと瀬戸内先生、秘書の瀬尾まなほさんによる映画『この道』に関する座談会(その内容は11月29日発売の単行本『この道』に掲載)を収録する日だった。「そもそもこの映画の原点は瀬戸内先生の『ここ過ぎて』。この小説にとてもインスパイアされました」(映画の総指揮を執る間瀬エグゼクティブプロデューサー)。丹念な取材を元に瀬戸内先生が1984年に発表した渾身の小説『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』。映画とは異なり、稀代の天才を陰で支えた俊子、章子、菊子という三人の妻たち、なかでも壮絶な人生を送った二番目の妻・章子に焦点をあてて描いた長編小説。不倫して姦通罪に問われた一番目の妻・俊子のその後は?白秋が没して4年後の1946年暮れ、大分県香々地の土蔵で一人ひっそりと息を引き取った二番目の妻・章子の一生は?二人の子を産み、白秋の最期を看取った三番目の妻・菊子はどんな女性だったのか?この作品は素晴らしい創作の裏側にはそれぞれに魅力的な女性たちの存在があったという「真実」を伝えてくれる。まさに読んでから観ても、観てから読んでも、胸を打つ作品です。
《参考》「桐の花」著:北原白秋/青空文庫より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/56857_54427.html
【山田耕筰】(1886~1965)
https://www.kwansei.ac.jp/r_history/r_history_008472.html
東京市本郷に生まれる。1902年、姉のガントレット恒子を頼り、岡山の養忠学校に入学し、義兄G.E.L.ガントレットから音楽の手ほどきを受ける。転校して★関西学院普通学部1年に入学。グリークラブと野球部に加わった。在学中の16歳秋に “MY TRUE HEART" を初めて作曲した。(以下略)
・・・そろそろアート(美術)の話題に入りたいと思います。
《道》作:東山魁夷1950/蔵:東京国立近代美術館
http://kanshokyoiku.jp/keymap/momat14.html
東山魁夷が、青森県八戸市の種差海岸の風景をスケッチしたのは、戦前のことでした。戦後、そのスケッチから灯台や放牧馬などをすべて省き、道ひとつに構図を絞って描いたのがこの作品です。画家自身この絵について、「遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもあり、絶望と希望を織りまぜてはるかに続く一筋の道であった――遠くの丘の上の空をすこし明るくして、遠くの道がやや右上りに画面の外に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」と語っています。実際の風景から取材しながらも、心象風景とすることに成功しています。
・・・「道」という題名なので最初に紹介しましたが、東山魁夷さんの作品としては森や湖など「青」が特徴です。シルクロードを描いた平山郁夫さんの方が、道の作家と言えるかもしれません。
《平山郁夫美術館》
722-2413広島県尾道市瀬戸田町沢200-2/0845-27-3800
《平山郁夫シルクロード美術館》
408-0031山梨県北杜市長坂町小荒間2000-6/0551-32-0225
http://www.silkroad-museum.jp/
《佐川美術館》
524-0102滋賀県守山市水保町北川2891/077-585-7800
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/
佐川美術館では、日本を代表する日本画家・平山郁夫先生、彫刻家・佐藤忠良先生、陶芸家・樂吉左衞門先生の作品を収蔵し、各作家の監修による展示空間で作品を常設展示しております。3人の巨匠を一度に鑑賞できるたぐいまれな美術館をお楽しみください。
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/hirayama/collection.html
《参考》早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/
平山郁夫氏は、「平和の祈り」の作品を描き続ける一方で、平和ボランティア運動として、世界の文化遺跡の保存にご尽力されていました。また、学生のボランティア活動の支援にも惜しみなく力を捧げており、その意志を受けて2002年に設立されたのが、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター (WAVOC)です。WAVOCは、早稲田大学の教育、研究に次ぐ使命である社会貢献活動の推進役を担っています。設立以来、活動地は国内はもちろん、海外にも広がっています。