道草(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》「はいくないきもの」あかちゃんの俳句&ファンタジー

文:谷川俊太郎/絵:皆川明/クレヨンハウス2015

http://www.crayonhouse.co.jp/shop/g/g9784861013058/

においをかぎたい、空を飛びたい、歌をうたいたい……そう強く願ううちに、ちょっと変わった姿かたちになった12の「いきもの」たち。「おしめしべ まだのんなりむ かふっふん」と、意味がないようであるような、ふしぎなことばとともに登場。どこかで会ったことがあるような、ないような「いきもの」たちと、★五七五の俳句調のことば。あかちゃんという「無知の時間」をだいじに、おとなも一緒にたのしんでほしい。そんな願いが込められています。

 

 

・・・「道草」話にずいぶん道草を食っていますが、谷川俊太郎さんの「詩」も紹介しましょう。

 

《みち》谷川俊太郎.comより

http://www.tanikawashuntaro.com/archives/1050

みちがどこまでもつづいているんだ

ぼくはそのみちをあるいてゆく

ゆくてにあかちゃけたおかがみえる

みちがのぼりざかになって

のぼりきるとなにがあるのか

のぼりきってみえるのはやはりみち

のぼりざかくだりざかがうねって

みえるのははるかに

どこまでもおわらないみちだけ

しらないあいだにぼくのからだに

だれもしらないうたがうまれて

こころがだまってうたっている

みちがぼくをどこへつれてゆくのか

ぼくはもうきにしない

そらにわをえがきながら

いちわのとんびがついてくる

 

《道》作:谷川俊太郎

その道は誰の道

そうして私たちは歩いていった

その道はもくせいの匂う道

夜 野良犬のこっそり駈けてゆく道

昼 雑木林の風に鳴っている道

そうして私たちは歩いていった

その道は誰の道

乾いた砂埃の白く続き

空はいつまでもその上にあった

その道は誰の道

誰でもが歩いてゆくより他のない

その道は誰の道

春 黄色い蝶は舞い

冬 どこかで雪のどさっとおちる道

いつも遠い山の中腹に町は光り

人声が風に乗って聞こえる道

その道は誰の道

通りゃんせ

太陽の輝いている道

星の降る道

通りゃんせ

誰の道でもない道

通りゃんせ

 

《倉渕への道》作:谷川俊太郎/詩集『世間知ラズ』

倉渕への道は曲がりくねっている

北側には低い山が連なり

南側には川が流れているらしく水音がする

なだらかに山へと向かう野に時折小道が通じていて

灌木のあいだに点々と花が咲いている

遠くから見ると目立たぬ花々だが

近く寄って摘もうとすればみなこまやかに美しい

 

倉渕への道の途中で女と花を摘んで束ねた

知っている花の名は僅かだった

もろもろの観念の名は数多く知っているのに

六十年前に父が建てた小さな家に花をもち帰り

針金で繕ってある白磁の壺にいけた

死後にこの日のことを思い出せるといい

言葉をすべて忘れ果てたのちに

 

《どきん》谷川俊太郎少年詩集 (詩の散歩道)理論社1983

著:谷川俊太郎/イラスト:和田誠

★連作詩「みち1~12」

●みち1

みちのはじまりは

くさのなかです

みちのはじまりは

ちいさなけもののあしあとです

つりがねそうのくきがおれて

ふまれて

ゆうだちにうたれて

またくものあいだから

おひさまがかおをだします

みちのはじまりは

あしおともなく

しんとしています

●みち6

みちのおわったところでふりかえれば

みちはそこからはじまっています

ゆきついたそのせなかが

かえりみちをせおっている

でももどりたくない

もっとさきへ

あのやまをこえてゆきたい

たとえまいごになっても

まぼろしのように

うみなりがきこえます

もういっぽまえへでれば

そこはきりぎしのうえなのでしょうか

●みち8

ひとばんのうちに

すべてのみちがきえてしまった!

おおきなみちもちいさなみちも

まっしろなゆきのしたに

みぎもないひだりもない

まえもなくうしろもない

どんなみちしるべもちずもない

どこまでもひろがるしろいせかい

どこへでもゆけるそのまぶしさに

こころはかえってたちすくむ

おおぞらへつづくひとすじのあしあとを

めをつむりゆめみながら

 

 

・・・谷川俊太郎さんの詩を紹介しつつ、寺山修司さんのことを思い浮かべました。

 

★寺山修司名言集

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。

それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。

振り向くな、振り向くな。後には夢がない。

遠くへ行きたい。どこでもいいから遠くへ行きたい。遠くへいけるのは、天才だけだ。

この世でいちばん遠い場所は自分自身の心である。

行方不明のこころを探す人生の道しるべ。

 

 

《質問》著:田中★未知/1977、2000、2018

http://bunshun.jp/articles/-/6134

あなたとあなたの大切な人の人生を変える伝説の書、待望の復刊。日本語と英語それぞれ365個の質問。答えを考えていくうちに、あなたと世界の関係が動き出します。

―あなたの夢は何角形だと思いますか?

―意識は透明でしょうか

―ここより一番遠い場所とはどこでしょう

この本には、右から開けば日本語、左から開けば英語で1ページにひとつずつ、合計365個の質問が用意されています。どこから開いても構わない。ページの余白のぶんだけ、時間を掛けてじっくりと、私たちは思考をめぐらすこととなります。すぐに答えが思い浮かぶものもあれば、しばらく考え込んでしまうもの、考えても答えが見つからないものもある。日1ページずつ、ひとつの質問を考えるとしたら、365日=1年分の時間の重さがこの本にはぎっしり詰まっています。質問の答えに正解はありません。読み手によって、読むタイミングによって、その時々で答えは変わるでしょう。自分自身の内面に語りかけ、覚醒させる。ひとりでじっくり読むことはもちろん、だれかに質問を投げかけて、コミュニケートすれば新しい発見があるかもしれない。言葉の力を今こそ感じて自分と向き合うために必携の一冊です。

【田中未知】

1945年東京生まれ。作曲家、楽器作家、実験映画監督。演劇実験室「天井桟敷」の初期メンバーとして入団。制作・照明を担当し、1983年に寺山修司が亡くなるまでの16年間、秘書兼マネージャーを務めた。音楽家としてヒット曲「時には母のない子のように」をはじめ、寺山修司作詞・田中未知作曲のコンビで数多くの歌を残したほか、東陽一監督作品『サード』『もう頬づえはつかない』『四季・奈津子』『ザ・レイプ』、寺山修司監督作品『迷宮譚』、『ローラ』などの映画音楽も手がける。

 

・・・この本の中に★「行く道と帰り道とどちらが好きですか」という質問がある。寺山修司さんは「好き嫌いを問わず、帰り道っていうのを通ったことは一度もない。生まれてからずーっと行きっぱなしだという、そういう風に思っています」と答えています。そして、田中未知さんの★「寺山修司と生きて」という本が、とてもとても気になりました。

http://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20170108/p1

https://1000ya.isis.ne.jp/1197.html

 

・・・「と、ここまで書いてみて、本書を紹介するのがまことに野暮なことに思えてきた。」と★松岡正剛さんが書かれるほど、心かき乱される内容なのです。話題を変えましょう。高村光太郎さんの「道程」を掲載しようかなと思いましたが、医師:黒石敏弘さんのHPにとても詳しく掲載されていますので、興味のある方はそちらを参照してください。

http://www20.big.or.jp/~ent/omoukoto/2003_8/zakkan_old21.htm

 

 

《参考》森山大道写真展 「あゝ、荒野」

2017年9月29日(金)~10月15日(日)

Bギャラリー (ビームス ジャパン5F)160-0022 東京都新宿区新宿3-32-6

http://cinefil.tokyo/_ct/17117849

初版「あゝ、荒野」(現代評論社)が出版されたのは 1966 年。当時の表紙を担当した森山大道の写真を加えた小説「あゝ、荒野」(パルコ出版)が 2005 年に出版されました。60 年代の写真を多く含む 211 枚のプリントを挿入し完成した本書は言葉と写真が互いに熱く反応し合い、寺山修司の小説の情景が見事に表現されています。2011 年に、蜷川幸雄の演出により舞台化され、初版出版後 50 年の時を経て遂に映画化されます。60 年以上新宿を撮り続けてきた森山大道の新たな挑戦となる本展と写真集「あゝ、荒野」とあわせ寺山修司の世界観を知る必見の展覧会となっています。

 

・・・大好きな森山★大道さんは、生前の寺山修司さんと親交がありました。「質問」への寺山修司さんの答えについて考えていたら、「ニーチェ」が浮かびました。

 

 

《ツァラトゥストラかく語りき》(Also sprach Zarathustra)

https://ddnavi.com/review/2069/a/

1885年に発表された、ドイツの哲学者フリードリヒ★ニーチェの後期思想を代表する著作。全4部から構成されている。1883年2月にわずか10日間で第1部が執筆され、同年6月に出版。続いて、同年夏に2週間で第2部、翌1884年1月に10日間で第3部が執筆され、4月に第2部、第3部が合わせて出版されたが、ほとんど売れず反響もなかった。最後に1885年に第4部が執筆されたものの、これは引き受けてくれる出版社がなく私家版40部が印刷され、その一部が親戚や知り合いに配布されただけであった。

★「ツァラトゥストラかく語りき」重さの霊についてより

「ひとに道を尋ねるとき、こころ楽しまなかった。それはわたしの趣味に反した。むしろ道じたいに尋ね、道じたいを進んで試みた。ただ歩いてみるということに、それが問い尋ねることであり、試みることであった。」「これは、わたしの道だ。君たちの道はどこか」。わたしはそう答えた、「道はどこか」と尋ねた者たちに。つまり定まった道というものはないのだ。

 

・・・ですね。