■1967《ホワイト・ボックス/In the Infinitive(The White Box)》
メディウム:79枚のメモのファクシミリを白い★プレキシグラスの箱に収めたもの
サイズ:33.3 × 29 cm、150部限定
1967年にマルセル・デュシャンが制作したオブジェ作品。79枚のメモを白いプレキシグラスの箱におさめたもの。ケースの表面には、「大ガラス」の水車の部分がシルク・スクリーンで刷られている。デュシャンは晩年になって「グリーン・ボックス」と同時期のメモの複製を集めた箱「ホワイト・ボックス」を発表している。メモの複製は「グリーン・ボックス」と同様、実物に忠実な形でなされているが、「グリーン・ボックス」がバラバラの断片であったのに対し、「ホワイト・ボックス」は全体のメモを7つのグループに★分類しているのが特徴である。そのグループとは「思弁」「辞書と地図」「色彩」「ガラスとの新しい関連」「外観と出現」「透視図法」「広がりと連続」の7つである。ただし各グループ内のメモの配列は、グリーン・ボックス同様順不同となっている。最大の特色は多次元幾何学に関するメモで、1913年頃にデュシャンがポワンカレ、ジェフレ、ポウロウスキーなどの著作から学んだものである。また具体的な絵具の配合のメモもあり、「グリーン・ボックス」よりも★実際的な面がある。
《参考》「プレキシグラス」PLEXIGLAS
https://www.plexiglas.de/product/plexiglas/de/
アクリル樹脂は1934年ごろ工業化され、数多くの商標名がある。ドイツのエボニック・デグサ社「プレキシグラス」などが有名。プレキシグラスは、日本のメーカーに無い色調・サテンのような光沢・テクスチャー仕上げを特徴といたします。プレキシグラスは家具・POPディスプレイ・看板・イルミネーション装飾等様々な分野で、従来のアクリル板では表現できない全く新しい色彩が提供されています。
■1991「Chess Box」
Ronny Van de velde HC版、木製
1991年にアントワープのロニー・ヴァン・ド・ヴェルド画廊にて開催された「マルセル・デュシャン展」の際に制作されたマルチプル。チェス盤を模した木箱の中に、展覧会カタログ、ブルトンとシュワルツの文章を収めた冊子、デュシャンの作品の複製や写真等を収めたポートフォリオ、デュシャンのインタビューを録音したカセット等が収録されている。カセットのケースには、1947年のシュルレアリスム展カタログの表紙に用いられた乳房のマルチプル「触ってください」の複製がアレンジされている。
《参考》「マルチプル/multiple」
作家の指示のもとに量産された美術作品。一点制作の高価な作品にだけ芸術としての独創性を求めるのではなく、量産されることでより広く普及する作品にも固有の美を認めようとするもの。
デュシャンは「グリーン・ボックス」制作後も、いくつかデュシャンはマルチプルの取り組みを行った。その中でも「デュシャンのマルチプル」を特徴付ける重要な試みは二つある。一つは他者によるレプリカ制作、もう一つはミラノの画商で、デュシャンの研究者であるアルトゥーロ・シュワルツとの1964年の共同制作である。自作の再制作そのものは、デュシャンだけではなくニューヨーク・ダダの友人、マン・レイらも行っている。マルチプル制作も画期的なことではあったが、デュシャンはそれをさらに押し進め、他者による制作も寛容に受け入れている。1960年のウルフ・リンデによるレプリカ制作と、1964年のシュワルツと共同のマルチプル制作。そして、1960年代以降に行われたこれらマルチプル制作は、デュシャンが再評価され、現代美術史に明確に位置づけられることと軌を一にしている。
1954年にフィラデルフィア美術館において、アレンズバーグ・コレクションに含まれるデュシャンの多くの作品が展示された。さらに、ロベール・ルベルによるモノグラフと、カタログ・レゾネ、デュシャンの著作をまとめた『塩売りの商人』、『独身者によって裸にされた花嫁、さえも』の英訳が次々に出版される。限定版であった《グリーン・ボックス》と異なり、これらの著作物は広く普及したため、デュシャン研究が大きく前進する。こうした背景の下に、1960年にスウェーデンのデュシャンの研究者であるウルフ・リンデが、出版された写真と記録のみを用いて、デュシャンの★許可なくレディメイドと《大ガラス》のレプリカの制作を行い、展覧会を開催した。デュシャンはこの展覧会を訪れ、レプリカに署名をしている。デュシャン自身、他者によって複製可能であるというアイディアを★面白がったのだろうか。芸術作品のオリジナル神話を破壊する意図もあったためだろうが、デュシャンは鷹揚に受け入れている。1964年にはシュワルツが、デュシャンのレプリカに着目した展覧会を企画し、デュシャンも参加している。この展示に際して、14種のレプリカを再制作、販売を行った。デュシャンはサイズ、それぞれの値段、展示の仕方について考え、14種をそれぞれ異なる職人に作らせた。細部までオリジナルに正確なマルチプルを制作しようとし、1種ずつ、ドローイングと詳細な計画が練られ、その一枚一枚にデュシャンが署名をしている。今日、私たちが目にする多くのデュシャン作品は、この★シュワルツ版の普及に拠るところが大きい。もちろん、★商業主義的なマルチプルのあり方には賛否両論がおきた。こうした声に応えるように、今までほとんど公に口を開かなかったデュシャンは、積極的にインタビューなどに応じるようになる。デュシャンによる言葉は、レディメイドや《大ガラス》などを制作していた1910年代ではなく、この頃が圧倒的に多い。また、1950年代後半より隆盛になったネオ・ダダの創始や、デュシャン研究の進展が相まって、デュシャンの評価は決定的となった。
デュシャンのマルチプルの広がりとして、★瀧口修造の《檢眼圖》と《大ガラス》(東京ヴァージョン)がある。デュシャンの再評価と呼応するように、世界中でデュシャンのオマージュ制作が様々に行われていった。日本では、デュシャン受容は比較的早かったと言える。瀧口は、ブルトンの「花嫁の燈台」にいち早く反応し、3年後の1938年、雑誌『みづゑ』に「マルセル・デュシャン」を発表した。詩人であり、戦前戦後を通じて日本を代表する美術評論家であった瀧口は、デュシャンを本格的に日本に紹介する、決定的な役割を果たした人物である。1958年には、予期せぬデュシャンとの出会いを果たし、二人に交流が生まれ、1960年代以降の瀧口の活動に大きな影響を与えた。1977年に、瀧口は大ガラス下部(独身者の領域)の右端にある、「眼科医の商人」と呼ばれる3つの楕円と「マンダラ」という部分を立体化したオブジェを制作し、《檢眼圖》と名づける。既にデュシャンは亡くなっており、当初瀧口は、未亡人のティニー・デュシャンに贈るために、小部数限定で制作するつもりだったようだ。制作を実行するにあたって、オブジェ作家として広く知られた岡崎和郎が選ばれている。本作の面白さは、《大ガラス》において楕円に描かれた円を、再び二次元の平面に戻して、三次元のオブジェにした点にある。デュシャンがメモ集《不定法で》のなかで四次元について論じていることからも分かるように、《大ガラス》は★次元の問題と深い関わりがある。瀧口はこの作品を通して、次元に関するデュシャンの言葉を再解釈したと見ることもできよう。さて、もう一つ瀧口が深く携わった重要な作品として、《大ガラス》のレプリカ(東京ヴァージョン)が挙げられる。1976年★東京大学が創立100周年を迎えるにあたり、《大ガラス》のレプリカを制作する計画が持ち上がった。この時、ティニー夫人は、瀧口と東野芳明両名を監修に付けることを条件に、制作を許可している。1926年に破損する以前の《大ガラス》を復元するというコンセプトのもと、計画はスタートした。瀧口は★荒川修作からもらった葉巻の空き箱のなかに《大ガラス》やデュシャンについて記したメモをためこみ、打ち合わせの際に時々目を通していたという。これが通常★《シガー・ボックス》と呼ばれるメモ集である。しかし、瀧口は1979年に世を去り、《大ガラス》は1980年に完成した。芸術のオリジナル神話に対し、懐疑的な態度をとっていたマルセル・デュシャン。芸術家をやめることで伝説になった彼が、複製可能なマルチプルをもって、決定的に美術史に名を刻むようになるとは、極めてデュシャンらしい皮肉な振る舞いであり、運命である。
《参考》『マルセル・デュシャンとチェス』
著:中尾拓哉/刊:平凡社2017
マルセル・デュシャンが1923年に《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称「大ガラス」)の制作を未完のまま中止し、★チェス・プレイヤーに転向したことはよく知られている。創作活動からの撤退は、「芸術の放棄」「沈黙」と評され、デュシャン特有のシニカルな態度か、もしくは芸術/生活の境界を融合させる企てと見なされてきた。美術評論家・中尾拓哉の初単著となる本書は、その通説に一石を投じる意欲作である。しかも、著者は一冊丸ごとをデュシャンとチェスのいまだ踏み込んで語られてこなかった関係に捧げている。「チェス」というトピックでデュシャンを語るにしても限界があるのでは?――読み進めていくうちに、そんな横槍は無意味であることがよくわかった。どうやら「チェス」は、デュシャンの初期から晩年までを貫く思考の原理であり、芸術/非芸術の区分すらもすり抜ける「造形的問題」であったようなのだ。造形的問題とは言っても従来の絵画や造形のそれとは異なり、脳内で展開される無数のチェスの手のパターンを含み込むような、純粋で高次元の運動のことをさす。刷新された「造形」の概念は従来の美術史の枠組みを超える手で迎え撃たなければならない。そこで著者は、「頭脳戦」には「頭脳戦」で応えると言わんばかりに、数学や幾何学も駆使した作品分析に挑む。チェスに興じる人々を描いた初期タブローの画面分析、レディメイドにおける「選択」「配置」の操作とチェス駒がつくり出す運動の比較検証、20世紀初頭の美術家たちを魅惑した「4次元」の概念をチェス・ゲームに接続させる数学・幾何学的読解。デュシャン作品の最大の謎とも言うべき《遺作》(1946~1966)が、チェスにおける「エンドゲーム」になぞらえて読み解かれる終盤に至っては、デュシャンの芸術/人生が美しい棋譜として完成するのを目撃するような感慨を引き起こす。デュシャンが実際に行った対局の棋譜分析など、チェスのルールに明るくない人間には難渋な箇所もあるが、すべてはデュシャンの思考の運びに手を抜かず付き合った結果なのだろう。デュシャンは芸術家の「創造行為」が観賞者――とりわけその芸術家の死後に現れる後世の――によって、創造過程に参与するかたちで読み解かれることを望んだが、デュシャンと著者の★「対局」といった趣を持つ本書は、その望みを完遂させたと言えるかもしれない。半世紀も前に没した芸術家の頭脳と生者の頭脳が繰り広げる接戦。クールでアツい作品論だ。気鋭の美術評論家がチェスとデュシャンの失われた関係を解き明かし、制作論の精緻な読み解きから造形の根源へと至る、スリリングにしてこの上なく大胆な意欲作。生誕130年、レディメイド登場100年! 「チェスとデュシャンは無関係だという根拠なき風説がこの国を覆っていた。やっと霧が晴れたような思いだ。ボードゲームは脳内の抽象性を拡張する」いとうせいこう氏推薦。
【目次】
序 章 二つのモノグラフの間に
第一章 絵画からチェスへの移行
1 はじまりの記憶
ピュトーの庭で/画家の手/独身者とポーン
2 プレイヤーの体感
完全情報ゲーム/仮想空間の可視化/カンヴァスとチェス盤
3 頭脳的な運動
チェス・プレイヤーと裸体/速度のフォルム/花嫁の行方
第二章 名指されない選択の余地
1 絵画は私を
旅と転機/ブエノスアイレスの夢/ナイトのイメージ
2 固定されない彫刻
色づけられるチェス駒/既製の色/選択と配置
3 消失する造形
網膜を超えて/言語と色彩/灰色の物質
第三章 四次元の目には映るもの
1 空間と幾何学
科学的思潮/新しい尺度/表象的空間
2 基本的平行関係
数学的モデル/射影/四次元の国への旅
3 見えないキューブ
透視図法/切断/無数の観測位置の中で
第四章 対立し和解する永久運動
1 高次元の対立
ハイパーモダン/中盤のひらめき/ビショップのレバー
2 オポジションと蝶番
理論書の出版/見出されたダイアグラム/引き合うリズム
3 高次元の和解
半透明のチェス盤/回転/折り返される可動領域
第五章 遺された一手をめぐって
1 チェスと裸体
隠されたイスム/ルーク・エンディング/紙の表と裏の間
2 鋳型の手
二次元から三次元への通路/鏡映/二つの同一物の間
3 終わりの風景
三次元の外観/恋人たち/プロモーション
第六章 創造行為、白と黒と灰と
1 「遺作論」以後
沈黙の流派/引き出されるもの/一〇〇年先に
2 必然と偶然
二つの選択/論理と直感/一致の記号
3 二つの活動形式
機を失わず/起こりうる運動/ひらめきの論理
あとがき
【中尾拓哉】
美術評論家。1981年東京生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(芸術)。2014年に論考「造形、その消失において──マルセル・デュシャンのチェスをたよりに」で『美術手帖』通巻1000号記念第15回芸術評論募集佳作入選。近年の論考に“Reflections on the Go Board"(Gabriel Orozco, Visible Labor, Rat Hole Gallery Books, 2016)など。
《シガー・ボックス》作:瀧口修造
葉巻の箱、メモ、写真、他 /21.5×16.5×3.6cm
《シガー・ボックス TEN-TEN》作:瀧口修造
ミクストメディア/16.8×21.2×6.2cm
http://www.tokinowasuremono.com/tenrankag/izen/tk1411/256.html
《参考》1992「デュシャン大ガラスと瀧口修造シガー・ボックス」/著・写真:奈良原一高
和英併記/37x27cm/出版:みすず書房1992
https://www.msz.co.jp/book/detail/04242.html
フィラデルフィア美術館所蔵のマルセル・デュシャンの大ガラス作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」を特別許可のもとに撮影した奈良原一高のカラー写真55点を初めて発表するオリジナル作品集。1973年、ニューヨークに住んでいた奈良原のもとを訪れた瀧口修造は、最後のデュシャン論のための写真を自由に撮って欲しいと依頼、写真家は、この作品を「一枚の割れたガラス」と思って、対決するように撮影した。瀧口は書き上げられぬままこの世を去り、メモだけが葉書の木箱に残された。十余年を経て実現された本書は、その写真群、亡き二人に捧げる奈良原のテキスト、「シガー・ボックス」に納められた全メモの原寸複製から成る画期的な美術書である。デュシャンに捧げる写真集。
(奈良原一高)僕にとって、それは「光のガラス、時間のガラス」でした。絶えずカラー・メーターを片手に、そのときの光の性質に応じて様々に色温度を調節するフィルター・ワークに終始しました。閉じこめられた物質の内蔵的な真チュールや色をダイレクトに取り出すために、すべてはそこに流れる時間に身を任せたのです。
【瀧口修造】(1903~1979)
近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であり、近代詩の詩人とは一線を画す存在。1979年、心筋梗塞のため死去。瀧口の所持していた一万点に及ぶ美術資料は、★多摩美術大学にて瀧口修造文庫として保存されている。また作品と遺品の多くは★富山県美術館に瀧口修造コレクションとして収蔵されている。
・・・瀧口さんについては、また別の機会に特集してみたいと思います。
■2016「Museum in a Box」
出版社:Walther Koning/タイプ:BOX型/言語:英語
サイズ: 37 x 37.5 cm (BOX外寸)/69点のレプリカ、紙による複製。外箱有。
本書は、「Box in a Valise (From or by Marcel Duchamp or Rrose Selavy)」(トランクの中の箱)のレプリカ版となります。このマルセル・デュシャンの「Box in a Valise」は、持ち運び可能な小型のモノグラフです。その中には、69個のデュシャンの作品のレプリカが入っています。1935年から1940年の間には、茶色のスーツケースにデザインと内容が些少なバリエーションで、20箱を制作。1950年代と1960年代には、更に6つの異なるバーションが制作されました。最終的にこのBOXは、約300個ほど制作され、ほとんどが現在は美術館や個人のコレクションとなっています。この書籍は、フランス人アーティスト:Mathieu Mercierによって概念化され、この度初めてブックオブジェクトとして刊行されました。Mercierによって、中に納められた69個の作品は、詳細に図られ複製されました。数点のプラスチック制のもの以外は全て紙で出来上がっています。