《NEWS》2014.10.6産経WESTより
新歌舞伎座、綿業会館…大大阪に生きた建築家・村野藤吾の世界を紹介/大阪歴史博物館で特別展
移転前の大阪新歌舞伎座(大阪市中央区)や梅田吸気塔(大阪市北区)などを手掛けた建築家、村野藤吾氏の没後30年を記念した特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」が大阪歴史博物館(中央区)で開かれている。設計図だけでなく、村野氏がこだわったインテリア家具や建築部材なども紹介。大阪にゆかりの深い村野氏の建築の全貌を紹介している。村野氏は明治24年、佐賀県唐津市生まれ。早稲田大建築学科を卒業後、大正7年、建築家・渡辺節氏の大阪府内の建築事務所に入った。大阪は当時、産業と文化が華やかな“大大阪時代”で、数多くの建築を請け負った。昭和4年に独立し、建築事務所を設立。独立後も完成までチーフ・ドラフトマン(主任製図工)として関わった「綿業会館」(大阪市中央区)は駆け出し時代の名作として知られる。ほかにも旧そごう大阪店(同区)や「近映レジャービル アポロ(現・きんえいアポロビル)」(大阪市阿倍野区)をはじめ、商業施設やオフィスビルなど全国各地で約300の作品を手掛けた。外観だけでなくインテリアにもこだわり、いすや机などの家具も設計。直線と曲線で構成される細くて上品な家具を好んだ。特別展では、村野氏が手掛けた建物を写真や図面、模型で紹介しているほか、家具や愛用品なども含め約200点を公開している。梅田吸気塔の設計図や関連資料も使い、複雑な構造を多彩な視点から解説。村野氏が設計し、大阪・ミナミにあった喫茶店「心斎橋プランタン」の籐のいすや衝立などを、当時の店内を撮影した写真とともに紹介している。大阪歴史博物館の主任学芸員、酒井一光さんは「現在の建築やインテリアを物足りないと感じる人も、大胆と繊細さが見事に調和した村野氏の建築をみれば、魅力的な世界が楽しめるのでは」と話している。13日まで。午前9時半~午後5時(金曜は午後8時まで、火曜休館)。
◆【大阪歴史博物館】◆
540-0008大阪市中央区大手前4丁目1-32/06-6946-5728
http://www.mus-his.city.osaka.jp/
★特別展「村野藤吾やわらかな建築とインテリア」
平成26年9月3日(水)~10月13日(月・祝)
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2014/muranotogo.html
村野藤吾(1891~1984)は、大阪を拠点に活躍した日本を代表する建築家です。今年は、村野藤吾の没後30年にあたることから、建築関係資料やインテリアを通して、その業績を回顧する展覧会を開催します。村野は、建築家・渡辺節のもとで綿業会館などの設計を担当し、昭和4年(1929)の独立後は旧そごう大阪店(現存せず)、梅田吸気塔など、大阪の都市景観に欠かすことができない建築を設計しました。また、迎賓館(旧赤坂離宮改修、国宝)や宇部市渡辺翁記念会館など重要文化財3件、尼崎市立大庄公民館(旧大庄村役場)など登録有形文化財2件を含む、全国各地に300を超える数の作品を残しました。村野は、時代の潮流であったモダニズムから一定の距離をおき、ひとの感性や手仕事を重視して建築を設計しました。こうした彼の姿勢は、建築という無機質で堅牢な印象になりがちな存在を、五感にやさしく訴えかける「やわらかな」ものへと変えていきました。本展では、設計図やスケッチはもちろん、家具や建築部材、村野自身の愛用品などを通して、彼の「やわらかな」作品の魅力と人物像を紹介します。
★平成28年4月13日(水)~8月1日(月)
常設展示/写真パネル展「村野藤吾の建築」
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2016/tenjigae/160413.html
村野藤吾(1891~1984)は、大阪の渡辺節の建築事務所で大阪ビルヂングなどの設計を担当し、昭和4年(1929)38歳の時に独立しました。その作品は全国に分布しますが、生涯大阪に事務所を構え、大阪の施主から多くを学んだことを述懐するなど、商都・大阪を代表する建築家のひとりといえます。93歳で亡くなる直前まで鉛筆をにぎり、現場に立ち、生涯300棟を超える建築を設計しました。その作風は多様ですが、階段や手すり、把手など人の手に触れる細部まで、実に丁寧な設計をしたことでも知られています。ここでは、大阪市内に作られた代表作のいくつかを、写真パネルで紹介します。
常設展示「村野藤吾と心斎橋プランタン」
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2016/tenjigae/160330.html
心斎橋プランタンは、大阪を代表する商店街・心斎橋筋に面して、建築家・村野藤吾の設計で建てられました。本展示では、心斎橋プランタンの家具3点と村野建築の写真パネル等を展示します。村野藤吾は、大阪を代表する建築家として知られています。渡辺節のもとから昭和4年(1929)に独立し、戦前は宇部市渡辺翁記念会館(重文)などを、戦後は広島の世界平和記念聖堂(重文)、志摩観光ホテル、大阪新歌舞伎座、梅田吸気塔などを設計、迎賓館本館(国宝)改修も手がけました。心斎橋プランタンは、浪花組第三代社長・中川貢が施主となり村野に設計を依頼した建築で、村野の代表作のひとつでしたが、残念ながら現存していません。中川が村野に依頼した建築には、他に浪花組本社屋、中川邸、戎橋プランタン(現存せず)などがあります。
★平成30年4月18日(水)~ 7月23日(月)
常設展示「村野建築がある風景」
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2018/tenjigae/180418-2.html
村野建築とは、建築家・村野藤吾が設計した建築を親しみを込めて呼んだ名称です。村野は大阪・阿倍野区に村野・森建築事務所を構え、生涯にわたり全国に300棟を超える建築を設計しました。93歳で亡くなるまで鉛筆を握りしめ、建築への情熱を傾けてきました。その作風は、前衛的であったり、周囲の環境と調和する穏やかなものであったり、多様な表現をみせてくれます。しかし、共通していえることは、細部まで入念にデザインされており、斬新な形態でもとげとげしさはなく、人にやさしい柔らかな印象であることです。村野藤吾の作風はよく「大阪らしい表現」といわれます。商都大阪で、施主の要望を大切にし、そのうえで村野にしかなしえない個性を発揮してきました。ここでは、当館が所蔵する「昔の大阪写真ライブラリー」(財団法人大阪市都市工学情報センター旧蔵写真)の中から、大阪の都市風景にとけこむ村野建築の写真パネル14点を紹介し、大阪のランドマークとして村野建築が果たした役割を再考します。なお、平成30年4月から7月にかけて「村野藤吾建築ネットワーク建築ガイドツアー&講演会・展覧会 2018年」 として、全国で村野藤吾の建築に関する各種の催しが行われています。
常設展示「大阪新歌舞伎座の建築」
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2018/tenjigae/180418-1.html
大阪新歌舞伎座は、日本を代表する建築家のひとりで、大阪に事務所を構えていた村野・森建築事務所の村野藤吾により設計され、難波の地に昭和33年(1958)竣工しました。歌舞伎をはじめ、さまざまな芸能文化の発信地としても常に注目を集めてきましたが、平成22年(2010)上本町に新築移転しました。大阪新歌舞伎座の建築の特徴は、御堂筋に面して唐破風を連続させた意匠にあります。桃山風の華麗な雰囲気をたたえながら、過去の日本の伝統建築にはなかった、まったく新しい建築を生みだした点が当時から高く評価されました。外観ばかりでなく、細部にわたるまで入念な設計が施されています。ここでは建築部材の展示を通して、大阪新歌舞伎座の特徴と村野藤吾の細部意匠にかけた思いを紹介します。
《参考》SERIES・THE SUPERFLUOUS CITY/作:座二郎
https://wired.jp/series/the-superfluous-city/
第6回:巨大海洋生物の中の特等席/2017.8.16
村野藤吾の「子どもの劇場」(日生劇場)漫画家、座二郎が建築と想像の狭間を描く
https://wired.jp/series/the-superfluous-city/06_nissaytheatre/
日本の「戦後建築」の礎を築いた建築家・村野藤吾。彼が子どものために手がけた日生劇場は、海底洞窟のような類をみないディテールで知られる。設計士/漫画家★座二郎が、村野が設計した観劇の体験をひも解く。
村野藤吾、といえば目黒区役所の階段が強く印象に残っている。建築家がデザインしたというよりは彫刻家が階段をモチーフに作品をつくったともいえるような彫刻的な階段。その村野の代表作の一つである日生劇場は、ずっと前から一度中を見たいと思っていて、今回初めてその機会を得た。村野藤吾は巨大な模型をつくり音響の確認をしたと資料に残っている。模型は真ん中で二つで別れるようになっていたとのこと。したがって今回は断面パースで描く。
断面パースという手法は劇場に向いている。観劇という体験を一枚の説明図にするとほぼ断面図のようになるからだ。漫画がコマをすすんでストーリーが進んでいくように、チケットを買って、エントランスをくぐり、ホワイエを経由し、席につき、舞台を臨むまでのシークエンスのようなものがすべて一枚の図に表される。案内してくれた日生劇場の方はグランドサークル階(中段の席)の一番前つまり左右のバルコニー席が個人的に一番好きだと教えてくれた。実際に座ってみると舞台も近く、同時に劇場もよく見える。足を運んで舞台をみる喜びは舞台に来ている人や劇場全体の空間を楽しむことも含んでいる。建築好きにはよく知られる日生劇場だが「最初から子ども向けの劇場として設計された」という事実はあまり紹介されていないように思う。そう思うと海底洞窟のような壁と天井なのも理にかなっている。特徴的な天井は実は青く塗られていて、天井に貼られたアコヤ貝が座席の赤を反射しているというのも現地にいってみないとわからないことだ。今回は天井をあえて青く塗って強調した。まるでクジラかエイのような海の巨大生物を思わせる。この日は見学だったので数人の見学者しかいないし、本当に劇場が輝くのは、たくさんの人と煌々と輝く舞台が繰り広げられるときだろう。日生劇場は街にたたずんで質実剛健な建物のふりをしているが、実は巨大な海底生物なのだ。そのお腹に子どもたちを飲み込んで華やかな舞台を見せる。そんな日を待つ誰もいない劇場を描いた。
【座二郎】ZAJIROH
1974年生まれ。早稲田大学で理工学修士を取得後、建築会社に勤務し、業務施設などを中心に設計を手がける。通勤電車のなかで作品を描き、2012年には『RAPID COMMUTER UNDERGROUND』の連載で漫画家デビュー。同作は第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品に選ばれた。2016年には初めての絵本『おおきなでんしゃ』を刊行。自主制作漫画雑誌『ユースカ』などで活動を続けている。
《参考》「日本の最も美しい名建築」/出版: エクスナレッジ (2015/9/3)
著:田中禎彦、小野吉彦
★日本生命日比谷ビル(日生劇場)
保険会社のオフィス空間と1300席あまりの劇場からなる複合施設です。村野藤吾の設計で、昭和38年に竣工しました。ルネッサンス期の邸宅のような、柱や窓まわりに様式建築のディテールを施した外観も渋みがありますが、圧巻はやはり劇場内部の空間です。ガラスモザイクを張った壁、アコヤ貝で覆われたうねる天井面は、まるで生物の体内のような幻想的な空間で、非日常の雰囲気をたっぷりと味わうことができます。客席にいたるまでも、ホワイエはアールデコ然としたアルミの天井で構成され、ホワイエからロビーにつながる螺旋階段は空中を浮かぶようで、観劇の気分を高めます。時代は単純明快なモダニズム建築の全盛期でしたが、あえて時代の風潮に全力で逆らうかのような姿勢によって建物を真の名作とした、建築家・村野藤吾の矜持がうかがえます。
《参考》新歌舞伎座/「けんざい」224号より(日本建築材料協会)
http://www.kenzai.or.jp/tanbou/224.html
「桃山調」を求めて生まれた外観
新歌舞伎座は、高さ32.7m、間口60m、奥行39.6m、延床面積11,080m2の地上5階・地下2階建て。それまで千日前にあった大阪歌舞伎座を受け継ぐ約1,900席(現在は約1,600席)の新劇場でした。こけら落としは、1958(昭和33)年10月の「東西合同大歌舞伎」。華やかな開幕とともに大阪の話題をさらったのは、連続する唐破風と各階の欄干、巨大な千鳥破風を組み合わせたお城のような外観です。「当時の松尾國三社長が、旧・そごう大阪店なども手がけた建築家・村野藤吾先生に『桃山調で頼みたい』と依頼したと聞いています」と、新歌舞伎座・宣伝担当の星野明子さんに教えていただきました。芝居小屋には欠かせない太鼓櫓を正面に掲げ、連なる唐破風に飾られた建物は、和風建築そのもの。鉄とコンクリートの近代建築とはとても思えません。ふと見上げると、大屋根の四隅には不思議な飾り。お城のしゃちほことも違うようです。「中央が『嫐(うわなり)』、左右が『暫(しばらく)』。どちらも彫刻家★辻晉堂氏の作品です」と星野さん。モチーフはなんと、歌舞伎の隈取りなのだとか。1階正面には、人々をいざなう朱塗りの扉。黄金色の鳳凰の定紋が鮮やかに浮かんでいます。東京・歌舞伎座より1羽多い、2羽をあしらった意匠にも、上方ならではの歌舞伎の殿堂をめざした当時の大阪人の意気込みがうかがえるようです。
・・・工事の進捗状況を観に行きたいと思います。
《ホテルロイヤルクラシック大阪》
542-0076大阪市中央区難波4-3-3/06-6210-1105
あなたの特別な一日を彩る、美しい空間。長い間、大阪・難波の街で愛されてきた「新歌舞伎座」。その跡地に2019年、建築家★隈研吾氏により、その伝統を継承する美しいランドマークとして「ホテルロイヤルクラシック大阪」が誕生します。他のどこにもない、世界でただ一つのあなたのウェディングが叶う場所です。千日前にあった歌舞伎座の後継劇場として1958年に誕生した「新歌舞伎座」。★村野藤吾氏設計による連続した唐破風が大きな特徴となっている。長い間、大阪難波の街で愛されてきた新歌舞伎座。その跡地に伝統と革新が調和した美しいデザインホテルが誕生します。
【隈研吾建築都市設計事務所】
《NEWS》2018.9.5旬刊旅行新聞より
難波に「ホテルロイヤルクラシック大阪」来年12月開業へ
冠婚葬祭大手のベルコ(齋藤秀麻呂代表、兵庫県西宮市)は2019年12月、大阪府・難波の新歌舞伎座跡地に「ホテルロイヤルクラシック大阪」を開業する。同ホテルは、地下1階から地上19階までの20フロアで構成。ホテル内部は150室の客室やレストランのほか、ブライダルに対応できる2つのチャペル、5つのバンケット、フォトスタジオ、ブライダルサロンなどを設け、新歌舞伎座の伝統を受け継いだ歴史ある舞台で唯一無二のウェディングが実現できる。さらに、大阪メトロ御堂筋線「なんば駅」と直結。設計は、新国立競技場や根津美術館などを手掛けた建築家・隈研吾氏が担当する。新歌舞伎座のアイコンとも言える屋根の一部を保存するなど、長く親しまれてきた“ミナミの顔”の意匠を継承した外観が特徴。一方で、高層部はアルミルーバー(羽板)を複数枚重ねた繊細でダイナミックな造りとなり、「伝統」と「革新」が調和したこれまでにないデザインのホテルを予定する。開放感と建築美を備えた空間は、まるでミュージアムのような佇まい。なかでも6階のチャペルは、日本の伝統や文化が感じられる印象的な空間を提供する。羽板を組んだ美しい造形の天井は、外観と同じく新歌舞伎座の建築を継承して作られたもの。和紙調のステンドグラスから、まろやかな光が注ぎこみ、花嫁を美しく演出する。全天候型のため、天気の心配も不要。ウェディングパーティーの舞台となる5つのバンケットは、いずれも壁や天井が特徴的で、それぞれ個性豊かなデザイン。自然の息づかいとともに、都会の洗練された雰囲気を楽しめる。料理は、地元の旬と今の感性を融合させた特別なコースを用意。シェフ自らがふたりの想いを引き出しながら、最高のおもてなしを叶える。「ホテルロイヤルクラシック大阪」は2018年9月30日(日)まで、期間限定でグランドオープンを記念した特別プランの申込を受け付けている。和と洋の魅力を融合した、上質なウェディングをお得な価格で提供。ブライダルサロン来館特典や成約特典も用意している。ブライダルサロンはホテル開業に先駆けて、2018年8月から本町駅から徒歩30秒の場所にプレオープン。自然に囲まれた心安らぐ空間で、2人の想いを形にするウェディングの準備をサポートする。ドレスサロンやフォトスタジオ、ビューティサロンなどのショップや設備も整い、ウェディングの準備をスムーズに進めることが可能。
・・・チラリと屋根部分が見えました。銅板葺きのようですが、はやく全貌を観たいものです。