大山崎(山崎)1 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》六本木ヒルズ・森美術館15周年記念展 

「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」 

https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/japaninarchitecture/index.html

学生が挑む《待庵》安土桃山時代(16世紀)/2018年(原寸再現)制作:ものつくり大学が間もなく完成! 

https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/japaninarchitecture/02/index.html

開幕する「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」。本展では展示のみどころの一つとして、豊臣秀吉の命により千利休が作ったとされる、現存する最古の茶室建築である国宝★《待庵》(京都府・妙喜庵)をものつくり大学(埼玉県行田市)の協力のもと、原寸スケールで再現します。本プロジェクトにあたり、ものつくり大学では40名以上もの学生が、教員および本職の左官職人や大工を含む非常勤講師の指導の下、実測図や文献を紐解きながら、再現に挑んでいます。釘一本から手作りし、土壁や小舞、掛込天井など忠実に再現すべく、学生たちが奮闘した作業工程も、いよいよ大詰めをむかえています。現在は茶室の出入り口であるにじり口上部の土間庇の取り付け、室内、外壁の土壁の左官等、最終工程に入り完成を待つばかりです。本展示では実際に茶室内に入って、その世界を体験していただけます。

 

 

《NEWS》2018.6.18各新聞より 

◆京都府教育委員会文化財保護課によると、大山崎町の妙喜庵内にある千利休ゆかりの茶室待庵(国宝)の壁や書院(重要文化財)の欄間で一部破損が見つかった。同町の戦前のモダン住宅「聴竹居(ちょうちくきょ)」(重文)の母屋の窓ガラスや土壁などにも被害があった。京都市内では、東山区の三十三間堂で本造千手観音立像(重文)の装飾品の一部が落下。下京区の西本願寺境内(国史跡)で土塀の瓦が破損したという。ほかにも、社寺で屋根瓦や灯籠がずれたり、倒れたりしたとの情報があり、確認作業を進めている。 

◆地震により京都、奈良の文化財にも被害が相次いだ。京都府教育委員会などによると、国宝の茶室「待庵」(同府大山崎町)で、外壁の一部にひびが入った。管理する寺院によると、待庵は千利休が唯一残した茶室として知られている。国の重要文化財の住宅「聴竹居」(同町)でも、窓ガラスと土壁の一部が破損した。奈良県によると、東大寺(奈良市)の戒壇院戒壇堂に安置されている国宝四天王立像の一体、多聞天立像が右手に持つ木製の「宝塔」が落下した。宝塔自体に損傷はないという。  

◆震度5強を観測した京都府大山崎町の教育委員会によりますと、町内にある寺の「妙喜庵」で、豊臣秀吉が千利休に造らせたとされる国宝の茶室、「待庵」の土製の外壁にひびが入っているのが見つかったということです。寺によりますと、ひびは縦に2メートルほどあるものの、直ちに壁が崩れるような事態にはなっていないということです。東大寺国宝の像1体が落ちる奈良県によりますと奈良・東大寺の戒壇堂に安置されている国宝・四天王立像のうちの1体、多聞天立像の飾りが地震の揺れで落ちました。落ちたのは大きさ10センチほどの塔の形をした木製の飾りで、高さ160センチ余りの仏像の右手にのせられるようにして飾られていました。落下による破損はないということです。石清水八幡宮石灯籠が倒壊震度5強を観測した京都府八幡市の石清水八幡宮では、参道にある石灯籠20余りが倒壊するなどの被害が出ているということです。石清水八幡宮によりますと、倒壊によるけが人はなく、また、国宝など重要な文化財への被害もないということです。石清水八幡宮は倒れた石灯籠のそばに柵を立てるなどして、参拝客の通行を一部規制しているということです。 

 

・・・こんなニュースを聞くにつけ、ますます行かなくてはと思いがつのっていた「待庵」、ようやく念願かないました。

 

 

《大山崎町》 

http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/seisakusomuka/kannkou/machinoshokai/history/925.html

この地域は「山崎宿」という「山陽道西国街道の摂津国と山城国の境に位置した宿場町」だったのですが、「廃藩置県時、山崎の地名を大阪府・京都府のどちらが継承するかが争われ、大阪側に山崎村、京都側に大山崎村が成立した」のです。 

まず、川があった。淀川は、京都盆地に集まる桂川、宇治川、木津川が合流して形成される、大山崎町の暮らしの風景に欠かせない川だ。淀川の歴史を古代までさかのぼってみよう。奈良時代には、僧★行基が「山崎橋」という橋をかけ、国の手で管理されていたが、この橋は洪水の被害を受けることが多かったという。11世紀には廃絶し、その後、豊臣政権下で一時復活したといわれるが、今日に至るまで橋の再建は行われていない。延暦3(784)年、長岡京という都ができ、都の中心地である現在の向日市まで、前の都であった難波宮や各地から多くの物資が運ばれた。この頃山崎津という港が造られた。当時の運輸は水運が中心だったため、平安時代を通じて、大山崎には多くの国家的施設があり、さまざまな人々が当地を訪れた。京都と大阪を結ぶ大動脈。中世になると、大山崎では油の専売権を獲得した神人たちが活躍し、自治都市として幕府から保護されていた江戸時代には物資や旅人の輸送にあたっていた三十石船、淀川荷船という二十石船などが淀川を航行し、沿岸の荷揚げ場は流通の重要な拠点となっていた。その一方で、淀川とともに発展してきた大山崎には、大きな課題があった。それは、しばしば起こる洪水からいかに田畑や家々を守るかということだ。秀吉や徳川幕府によって堤防工事が実施されたが、なかなか効果が上がらず、村の中での悪水被害も深刻な問題となっていた。明治に入ると新政府はさっそく木津川の付け替えなど治水工事に着手した。明治29年に河川法が制定されてからは、河川に対して国が強い権限を持てるようになり、淀川改良工事が行われた。この工事は明治43年でいったん終了したが、大正七年から新たに増強工事が始まり、昭和5年にほぼ竣工した。このときに、桂川・宇治川・木津川の三川合流点が現在の位置にほぼ定まった。中世以降、山崎から対岸の橋本までは渡し船が利用されていた。この山崎の渡しは昭和三十七年まで続いたが、今は堤防を下る石段のみが往時の姿をとどめている。淀川は、今も私たちの生活とともにある。そしてこの流れは、まちの発展とともにはるかな未来へと続いていくのだろう。 

 

・・・集合まで時間がありますので、まずは「淀川(桂川)」を見に行きます。

 

 

《西国街道》 

西国街道は、京都の東寺口から摂津西宮、さらに兵庫を経て中国・九州の西国へと通ずる幹線道路である。古くからの街道として市民に親しまれ、街道沿いにはその歴史を物語る史跡や石造物が数多く残されている歴史的な街道である。  

http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/seisakusomuka/kannkou/machinoshokai/map/1025.html

道は、未来へと続く。天王山と淀川の間に位置する大山崎町。このまちには、いくつもの道路や鉄道が通っている。東海道新幹線、JR東海道本線、阪急電鉄、国道171号、名神高速道路は、それぞれが並行して走り、まちのほぼ中央を横断している。これらは、京都から大阪、そして西日本へと続く交通の大動脈だ。そして、大山崎町に新たな可能性が誕生した。名神高速道路と京都第二外環状道路の連結部分に完成した大山崎インタージャンクションだ。京都第二外環状道路は、沓掛から久御山まで、京都の南部地域をめぐる道路。京都縦貫道路の一部として整備されている。久御山からは京滋バイパスを通って滋賀県へとつながる。大山崎インタージャンクションの完成により、京都、大阪、滋賀へのアクセスが格段によくなった。淀川の水運や西国街道から、高速道路や東海道新幹線へ、大山崎町は発展を遂げてきた。この発展がもたらしてくれたのは、経済的な恩恵だけではない。道はいろいろなものをつなぐ。道を介して様々なものとの交流によって、大山崎町の可能性はより大きく広がっていくだろう。 

 

・・・そろそろ集合時間、JR「山崎」駅前へ。

 

 

《大山崎町商工会》 

618-0071 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字竜光3 

大山崎ふるさとセンター1階/075-956-4600 

http://oyamazaki.sakura.ne.jp/

地域の商工業の振興と住み良い地域づくりに寄与するため、商工業者によって組織された総合的経済団体です。指導団体として、その地域内にあるすべての商工業者について、公的な立場から地域商工業者の総合的な改善発達と社会一般の福祉増進に取り組んでいます。 

★講師と巡る大山崎ハイグレードツアー 

①国宝茶室『待庵』と国重要文化財「聴竹居」 

http://oyamazaki.sakura.ne.jp/cat-event/4010/

聴竹居倶楽部メンバーで、30年以上にわたり大山崎の歴史を研究してきた郷土史家★林亨氏が歴史秘話に満ちた大山崎の魅力を十二分にお伝えします。個人散策では出会えない歴史ロマンにきっと触れることができるでしょう。 

※大阪北部地震や台風21号等の自然災害の影響により、見学先施設に被害が発生しております。今後、見学先の建築物の修繕と重なった日程は中止になる場合がありますので、予めご了承ください。 

《大山崎探訪5つの特典》 

●ポイント1「妙喜庵(待庵)」日頃なかなか拝観することができない千利休が残した国宝の茶室「待庵」を拝観(にじり口からの拝観となります)。わずか二畳の空間は究極とも言われています。天下統一を目指す秀吉は利休と何を語り合ったのでしょうか?唯一現存する利休の茶室で利休の息吹をぜひ感じて下さい。(普段は往復はがきによる事前の申し込みが必要です。)
●ポイント2「聴竹居」普段は予約しないと見学できない昭和の名建築、平成29年7月に国の重要文化財に指定された聴竹居をゆっくり見学。環境共生住宅を体感していただきます。昭和初期の建築とは思えない驚きの数々。普段は公開していない藤井厚二の書斎であり、茶室でもあったくつろぎのスペース(閑室)にて昼食「聴竹居」弁当をお楽しみいただきます。
●ポイント3「離宮八幡宮」エゴマ油製油の同業者組合であった大山崎油座の一員として司馬遼太郎の「国取り物語」に登場する斉藤道三。後には大山崎から美濃の国に出て一国の城主になったことはとても有名です。離宮八幡宮では、日頃見ることのできない製油と販売にかかわる重要文化財の離宮八幡宮文書を特別公開。災いから身を守ってくれる「油断大敵」お守を授与。 

●ポイント4「宝積寺(宝寺)」一寸法師が修行した寺、圧巻の「日本一の閻魔大王とその眷属像」を拝観。この寺は天下分け目の「山崎合戦」で勝利した秀吉が天王山に築城した山崎城の一部にもなりました。秀吉「一夜の塔」や「出世石」も残されています。 

ポイント5「アサヒビール大山崎山荘美術館」普段見学できない国登録有形文化財の茶室「彩月庵」、「橡の木茶屋」を見学。ニッカウヰスキー創始者の一人であり大山崎山荘の主加賀正太郎の知られざる人となりと人間ドラマをお話します。国登録有形文化財の本館と2つの安藤忠雄建築の地中館と山手館。木津川、宇治川、桂川の三川が合流する大パノラマをバルコニーからお楽しみ下さい。 

 

・・・地震や台風等の影響により見学先に被害が発生ということで、申し込んだものの半分アキラメていたのですが、結果「聴竹居」見学のみ中止となり、かわって「サントリー山崎蒸溜所」が行程に入りました。願ってもないことです、「聴竹居」はまたの機会に。 

 

《参考》一般社団法人「聴竹居」倶楽部事務局/075-956-0030 

https://chochiku.exblog.jp/

 

・・・まずは「離宮八幡宮」へ。

 

 

《離宮八幡宮》 

618-0071 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎西谷/075-956-0218 

http://rikyuhachiman.org/

平安京の裏禁門として都を守り、人々の平安を願って創建された1500年以上の歴史を誇る古社。荏胡麻油発祥地で油の製造と販売の中心「油座」として栄え、現在は油の神様として親しまれている。黒門跡石碑や禁門の変跡の史跡があるほか、重要文化財に指定されている寺宝を所蔵している。春と秋の例祭のほか、1月にはどんど祭を開催。