芭蕉(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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さらに、芭蕉のことを調べてみました。 

 

【松尾芭蕉】(1644~1694) 

江戸時代前期の俳諧師。三重県上野市(現在の伊賀市)出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(★はせを)と改めた。北村季吟門下。俳諧(連句)の芸術的完成者であり蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。

 

 

《芭蕉は仮名俳号をなぜ“はせを”と書いたのか》著★林義雄 

「千六本」「犬の鳴き声」「じゃり」から、「芭蕉の仮名俳号のなぞ」まで★やまとことばの不思議を解決。俳句・俳諧を素材にことばの移り変わりを明らかにする日本語エッセイ。好書『俳人のためのやまとことばワンポイントレッスン』の第2弾。★『俳句朝日』連載のコラムを再編集。 

《参考》「Oruha Design」(新川春男) 

http://newriver3143207.wixsite.com/oruhadesign/identityhaikuasahimore

《参考》俳句朝日「休刊のお知らせ」 

「俳句朝日」の2007年3月号に「休刊のお知らせ」が正式に掲載されていた。朝日新聞社出版担当兼出版本部長・神徳英雄の名義で片面に告知文「創刊当初からの経営状況は厳しく、最近の出版不況もあいまって、逆風はますます強くなるばかりでした。」が、つづいて反対側の頁に俳句朝日編集長越村隆二の名前で具体的な対応(俳句朝日賞の取り扱い、すでに受け取っている投句の扱いその他)がのせてある。1995年5月1日に、朝日新聞社から創刊されたこの「俳句朝日」は、何を残したのだろうか。 

https://banyahaiku.at.webry.info/200702/article_5.html

 

【林義雄】(1939~) 

福島県生まれ。専修大学文学部教授。日本語学会・訓点語学会会員。目下、インターネットウェブ「SIG電脳連句」、ブログ「専修大学文学部林ゼミ写真帳」を運営中。

 

 

《参考》大和言葉 

古くは和歌や雅語のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対する日本の固有語をさす。飛鳥時代頃まで大和国や大和飛鳥を中心に話されていたと思われる。 

●漢語や外来語と動詞「する」からなる複合語を除くほとんどの動詞や形容詞、および、全ての助詞が大和言葉である。みる(見る)、はなす(話す)、よい(良い)、が(主格の助詞)、うみ(海)、やま(山)、さくら(桜)などがあげられる。 

●大和言葉「音韻」の 特徴 

語頭に濁音・半濁音が来るものは一部の語彙に限られる。「だく(抱く)」、「ばら(薔薇)」等の場合、古くは語頭にイ・ウ・ムなどを持つ語形があり、「いだく」、「いばら・うばら・むばら」という形があった。その他「ビュービュー」「ピカピカ」などの★オノマトペ、動植物名(ブリ、ブナなど)、清音から交替して作られたもの(ジジ<チチ、ババ<ハハ、ガニマタ<蟹・股など)、概してマイナスの意味を持つ語(ズルイ、ブツ(打つ)など)がある。語頭にラ行音が来ない。これはアルタイ諸語と共通する特徴である。古語の「らうたし」、「らうがはし」のラウは漢語と推定される。また合成語が作られる際、前の語の母音が変化することがある。き + たつ(木 + 立つ) → こだち(木立)、さけ + たる(酒 + 樽) → さかだる(酒樽)など。ただし、必ずしも「き」や「さけ」などが古い形とは言えない。 

 

《参考》「Origami Japan」 

https://origamijapan.net/origami/

https://origamijapan.net/origami/2018/02/21/yamatokotoba-omoi/

 

 

《NEWS》2018.9.6産経ニュースより 

女性に宛てた芭蕉の手紙/兵庫、平仮名を多用 

兵庫県伊丹市の博物館★「柿衛文庫」は6日、江戸時代の俳人松尾芭蕉(1644~94)が晩年、女性の弟子・智月に宛てた直筆の手紙が新たに見つかったと発表した。「ぞんじまいらせそろ」という言葉遣いや平仮名を多用するなど、女性宛ての手紙の特徴が現れているという。既に見つかっている芭蕉の書簡約200通のうち、女性に宛てた手紙はこれまでに8通しか見つかっておらず、智月宛ては6通目。柿衛文庫によると、手紙は2枚で、大きさはいずれも縦約15センチ、横約36センチ。芭蕉が江戸に滞在していた元禄6(1693)年に書かれたとされる。5月221付で智月から送られてきた手紙に対する6月22日付の返信だった。今年6月、京都市の所蔵者から情報提供があり、堀信夫神戸大名誉教授と柿衛文庫が確認した。柿衛文庫は10月6日~11月11日に特別展で手紙を公開する。

 

 

《柿衛文庫》 

664-0895兵庫県伊丹市宮ノ前2-5-20/072-782-0244 

http://www.kakimori.jp/index.php

★秋季特別展『芭蕉の手紙』伊丹市 

2018年10月6日(土)~11月11日(日) 

芭蕉の筆蹟研究の第一人者である岡田柿衛が創設した柿衛(かきもり)文庫(伊丹市)で10月6日から 秋季特別展『芭蕉の手紙』が開催される。11月11日まで。「古池や蛙飛びこむ水の音」や「奥の細道」など数々の名句や名作を発表したことで知られている松尾芭蕉。同展では、彼が書いた「手紙」から知ることが出来る日々の考えや、人間性を紹介する。また、関連イベントとして講演会や俳句朗読会、学芸員によるスライドトークなどが催され、芭蕉の世界を思う存分堪能できる。担当者は、「手紙から芭蕉のさまざまな表情を読みとる楽しさを、ぜひご堪能ください。」と呼び掛けている。 

 

《オノマトペ》 

古代ギリシア語の「ὀνοματοποιία (オノマトポイーア)」を由来とする 英語の「onomatopoeia(アナマタピーァ)」およびフランス語の「onomatopée(オノマトペ)」を日本語発音にしたオノマトピア 、オノマトペア 、オノマトペを用いる場合もある。「擬声語」「物声模倣」「声喩法」「擬声法」「写音法」「声喩」、日本の文部科学省が版行する『学術用語集』は「onomatopoeia 」を「擬声語」としている。

 

 

・・・「芭蕉」→「はせを」→「大和言葉」→「オノマトペ」と強引につないで、「しーん」へと辿り着きました。しかし、チコちゃんによると実際に★「しーん」と聴こえているということでした。 

 

《参考》「蝸牛」 

蝸牛(うずまき管)の断面を見ると、基底板と呼ばれる膜の上に音を電気信号に変える細胞が並んでおり、細胞に栄養を与える血管条と呼ばれる細い血管が周囲を走っています。基底膜の中央階側にはコルチ器(organ of Corti) と呼ばれる繊細で堅牢に構成された小さな器官が整然と配列されている。 コルチ器の上部には内有毛細胞と外有毛細胞と呼ばれる 2 種類の有毛細胞が蝸牛管に沿って規則正しく並んでいます。このうち内有毛細胞が振動の情報を神経パルスへと変換する一次感覚受容器である。 

通常、感覚器官とは外界の刺激を受動的に受け取り中枢神経へと伝達するものであるが、蝸牛増幅器の概念はこの見方を覆すものであった。実際、1978年にイギリスのケンプによって蝸牛が音を受動的に知覚するだけでなく、★自ら小さな音をたてていることが明らかとなっていた。これは何の刺激がないときにも、外部からの刺激への反応としても現れ、耳音響放射(じおんきょうほうしゃ、otoacoustic emission, OAE) と呼ばれている。適切な周波数の違いを持つ 2 種の純音を重ね合わせた刺激に対しては、それらとは別の周波数に非線形の効果による反応が表れることも明らかになっており、これは特に新生児に対する聴覚検査として臨床上も有用である。 この耳音響放射も蝸牛増幅器の活動によるものであると考えられている。 

 

・・・人間のカラダって本当にスゴイですね。 

 

《チコちゃん》 

初回放送(2017.3.24)の時から基本キャラ(5歳)は変化していませんが、第2弾放送(2018.4.13)では顔がプチ整形されています。真実はわかりませんが、巷では「奈良美智」さんのキャラクターに似ていたからという噂があります。 

 

【奈良美智(ならよしとも)】(1959~) 

世界的に評価されている美術作家で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど日本の現代美術の第二世代を代表するひとり。 特徴的なこちらを見返す人物をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。 

青森県弘前市で出生後、青森県立弘前高等学校卒業まで弘前市で育つ。武蔵野美術大学を1年で★中退して、1981年に愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻に入学し、1985年に卒業、1987年に同大学大学院修士課程を修了した。河合塾千種校美術研究所講師を経て渡独、1988年ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー(Kunstakademie Düsseldorf)に入学、A.R.ペンク(A. R. Penck)に師事し1993年にマイスターシュウラーを取得し、アカデミーを修了した。1994年から2000年まではケルン近郊のアトリエを拠点に作品を制作した。1998年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校にて非常勤客員教授を★村上隆と共に3か月間務める。1995年には名古屋市芸術奨励賞を受賞した。2000年にはドイツでの12年間の生活を終え帰国した。2001年には日本における大規模な個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」を横浜美術館で開始し、広島市現代美術館や吉井酒造煉瓦倉庫(弘前市)など開始国内の5ヶ所の美術館を巡った。2005年からは土地が安いという理由で東京近郊の田園地帯に移転している。2006年度に★武蔵野美術大学客員教授を務めた。2010年には米文化に貢献した外国出身者をたたえるニューヨーク国際センター賞を受賞。アジア人としてはヨー・ヨー・マに次ぐ受賞であった。2013年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。2013年以降はBlum & Poe、Pace Gallery(英語版)で発表している。

 

・・・前回「チコちゃん」や「奈良さん」についての説明を書いてなかったので、今回掲載しておきます。