戦後という時代(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・最近の制作において、「風」は大切なイメージとなっているだけに、今回の「西宮」訪問はとても意義深いものになりました。 

 

《NEWS》2018.5.3朝日新聞デジタルより 

記者襲撃、あの夜から 

http://www.asahi.com/special/timeline/hanshin-shugeki/

憲法記念日の5月3日夜、突然の凶弾が記者の命を奪った。2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件から30年が過ぎた。一連の事件は2003年に完全時効となり、いまも真相は闇のままだ。 

2018.1.19朝日新聞デジタルより 

阪神支局襲撃事件で重傷、犬飼兵衛さんが死去73歳 

https://www.asahi.com/articles/ASL1M36MVL1MPTIL002.html

1987年5月の朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)襲撃事件で重傷を負った元朝日新聞記者の犬飼兵衛さんが16日、急性心臓死の疑いで香川県内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は近親者のみで営んだ。事件は憲法記念日の5月3日夜に発生。目出し帽の男が阪神支局に侵入して散弾銃を発砲し、小尻知博記者(当時29)が殺害された。支局にいた犬飼さんは2、3メートルの距離から200個以上の散弾粒を浴び、右手の小指と薬指を失った。事件後、「赤報隊」名の犯行声明文が送りつけられたが、東京本社銃撃や静岡支局爆破未遂など一連の朝日新聞襲撃事件(警察庁広域重要指定116号)の全てが未解決のまま03年3月までに公訴時効となった。犬飼さんは阪神支局事件の1年後に兵庫・淡路島の洲本支局長として取材活動に復帰。姫路支局長などを経て、長野県の諏訪支局を最後に07年に退職した。阪神支局事件の時効を前にした記者会見で、犯人に対して「人間ならば言葉で訴えなさい。なぜ阪神支局を襲ったのか、その口から直接聞きたい」と語っていた。 

 

《参考》「赤報隊事件」 

1987年(昭和62)から1990年(平成2)にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件である。警察庁広域重要指定番号から、「広域重要指定116号事件」とも呼ばれた。現在において犯人の特定や逮捕には至っておらず、2003年(平成15)に全ての事件が公訴時効を迎え未解決事件となっている。 

特に朝日新聞「阪神支局」襲撃事件では執務中だった記者2人が殺傷され、言論弾圧事件として大きな注目を集めた。警察庁は、「赤報隊」が犯行声明を出した一連の事件を広域重要指定事件に指定した。同庁は地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件と同じく、「市民社会に深刻な脅威をもたらすテロ」と位置づけた。精力的な捜査が行われたにもかかわらず、2003年までにすべての事件が公訴時効を迎え、事件は未解決のままとなっている。日本放送協会(NHK)は、★未解決事件を検証するテレビ番組『未解決事件』で、朝日新聞阪神支局襲撃事件をリストに取り上げ、『赤報隊事件』として放送した(2018年1月27日・28日放送分)。目撃情報などの事件の情報提供を求めている。情報をもとに取材する事もあるとしている。

 

 

《旧多聞ビル》昭和3年築/設計:古塚正治 

662-0927 兵庫県西宮市久保町2‐1  

長く八馬汽船の本社として使われていましたが現在は空屋となっています。最初は1階が西宮銀行、2階が八馬汽船の本社でした。八馬汽船は米穀商だった八馬家が起こした海運会社で歴代の船には多聞丸の名が付けられています。これは八馬家が信仰する毘沙門天(多聞天)に由来するものです。多聞の名称は八馬家の酒造会社「多聞酒造」の清酒名でも知られています。1920(大正9)多聞興業株式会社設立。1930(昭和5)多聞酒造株式会社と改称。2002(平成14)倒産。2005年に「大関」に引き継がれた。 

《参考》「多聞天」 

日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は★「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒天にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。 

多くの物事を聞き知っていること。物知り。「博学多聞」。多くの人に漏れ聞こえること。仏語では、仏法を多く聞いて身を持すること。城の石垣の上にある長屋風の矢倉をいい、走り櫓(やぐら)、多聞長屋ともいう。松永久秀が大和の多聞城に初めて作ったのでこの名があるという。  

 

《宮水(西宮の名水)》兵庫県西宮市久保町~石在町周辺 

http://www.nada-ken.com/main/jp/index_mi/89.html

 

 

《Henri Charpentier》設計:伊東建築計画室1997 

662-0927兵庫県西宮市久保町5-16 ハーバースタジオ43南館/0798-36-8700 

http://www.suzette.co.jp/

http://www.henri-charpentier.com/

1969芦屋本店開店。1969年に創業者である蟻田尚邦が阪神電鉄芦屋駅前に開いた喫茶店が始まりである。1975年、神戸そごうからの出店要請により、生菓子以外にギフト用焼き菓子を扱うようになって以降、業容は大きく拡大することとなった。阪神大震災で痛手を受けたものの、高級洋菓子メーカーとして関西地区中心に高いブランド力を持つ。現在は関西以外にも多くの店舗を構えて、日本を代表する菓子メーカーへと成長した。2011年3月、ハーバースタジオ43を増築し、芦屋市から本社を移転。 

http://www.ito-arch.com/other/henri.html

※1期1997/2期1999兵庫県人間サイズのまちづくり賞、西宮市都市景観賞

 

 

《白鷹禄水苑》設計:竹中工務店2001 

662-0926 西宮市鞍掛町5-1/0798-39-0235 

https://hakutaka-shop.jp/

http://www.takenaka.co.jp/majorworks/43907412001.html

https://www.nishi.or.jp/kotsu/keikan/keikannotorikumi/keikan/4keikansho.html

蔵を再生した見学施設と新しいレストラン棟とが中庭を挟んで一体的に配置され、施設全体に酒どころとしての歴史と文化を伝える様々な配慮がうかがえます。印象的な大屋根は、和風塀や植栽などの演出と共に、酒蔵通りの街角にふさわしいランドマークになっています。 

http://www.yane.or.jp/iraka/iraka.cgi?vkai=s12 

 

《西宮交通公園》 

662-0927兵庫県西宮市久保町9-20/公園緑地課0798-35-3622 

https://www.nishi.or.jp/access/koen/kotsu.html

信号機や道路標識も本物そっくりで、歩道橋や横断歩道も完備し、子供たちが遊びながら正しい交通の知識とルールを学べる公園です。 

 

《内田建設株式会社》設計:遠藤秀平1998 

UCHIDA CONSTRUCTION CO.,LTD.(本社) 

662-0927兵庫県西宮市久保町12-1/0798-36-3366  

http://www.u-ken.jp/

https://kenchiku-pers.com/photo/uchida-construction.html

 

・・・「街歩き」は様々な建築物などが観察できるので、ついつい長時間・長距離に及びます。

 

 

参考《西宮大橋》《御前浜橋》2015.11.21朝日新聞デジタルより 

西宮市南部の人工島、西宮浜地区に住んでいます。対岸の市街地に行くのに跳ね橋の「御前浜橋」を渡りますが、週末には橋が跳ね上がっていて、待たされることがあります。そもそも大型の船が通るのを見たことがありません。橋を開閉する必要があるのでしょうか。(西宮市男性68歳) 

「御前浜橋」は西宮浜と対岸の西波止町を結ぶ、長さ60メートルの歩行者専用の橋。桁下の高さは3・9メートル(満潮時)しかなく、大型の船が通過できるよう橋桁が跳ね上がる構造です。橋が開くのは土・日と祝日の1日4回(午前10時、正午、午後3時、5時)。いったん跳ね上がると、閉じるまでに約20分かかり、この間、歩行者は橋のたもとで待たされます。先月中旬には橋桁が閉まらず、橋が一時通行止めになるトラブルがありました。まだ修理が終わらず、現在は開橋を見合わせています。どういう経緯で跳ね橋ができたのでしょう。市によると、西宮浜の埋め立て工事が終わった1992年の時点で、まだ御前浜橋はありませんでした。人々が使っていたのは東側★西宮大橋(長さ590メートル)。橋は急勾配で、高さ16メートルまでの船が下をくぐれるようになっています。 

ところが、95年★阪神大震災で、その西宮大橋が壊れて通行止めに。今の御前浜橋がある場所が埋め立てられ、仮設の連絡道路ができました。その後、西宮浜地区には被災者の仮設住宅や復興住宅が建ち、住民が増加。西宮大橋は復旧したものの、生活利便性の高い歩行者専用の橋の建設計画が浮上したのです。この際、港湾管理者の県は船が自由に航行できるようにすることを主張。西宮市は歩行者が渡りやすいように起伏を少なくすることを求めました。結果、跳ね橋になり、99年6月、御前浜橋が開通しました。市によると、開橋が必要な大型の船の航行数はこの10年間では2005年度の123隻が最多。わずか3隻(12年度)や2隻(13年度)という年もあります。市は開閉操作に年間約250万円支出していますが、そもそも船が通らない状況は確かにあるようです。しかし、西宮ヨットハーバーにある船の係留施設・西宮マリーナ社長で、阪神地区マリン利用促進協議会会長の諏訪禎男さん(69)は「西宮浜の埋め立てや周辺の開発が進むまで、船は自由に行き来できていた。大型のヨットが移転を強いられた経緯もある。橋をずっと閉めておけと言われるのはつらい。かなり譲歩し、今の開閉回数になっている」と言います。現在、市は橋の両岸に公園を整備中。今後とも橋を渡る歩行者は増えていくとみています。担当者は「開閉回数を減らすことも含め、見直しを検討する」と言い、協議会などと話し合っていく方針です。 

 

・・・「ヨットハーバー」移転にまつわる様々な思い、経緯があるようです。ようやく「新西宮ヨットハーバー」に到着、本当によく歩きましたヘロヘロです。