大阪工業大学(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《淀屋橋》 

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000030741.html

最初の橋は、江戸時代の豪商★「淀屋」が私財を投じて架けたと伝えられる。現在の橋は昭和10年に御堂筋の建設に伴い架けられたコンクリート・アーチ橋。中之島を挟んで北側にある大江橋と同じ石造りの重厚な意匠は、土木建造物には珍しく懸賞募集が行われ、その最優秀作品をもとに設計されたもの。橋の南詰西側には★宮本又次氏の碑文を刻んだ「淀屋の碑」が、北詰の日本銀行正面には「淀屋橋・大江橋 欄干復元」の碑が据えられている。 

 

《かき広 (かきひろ)》  

541-0041大阪市中央区北浜3-1-25/06-6231-1891 

牡蠣船は、延宝年間(1673~80)から始まったようですが、「かき広」は創業大正9年、現在のご主人は3代目だということです。明治時代まで牡蠣のシーズンになると広島から牡蠣船が何隻もやってきて季節が終ると広島に帰っていきました。最初は牡蠣を船で販売するだけだったのですが、それから牡蠣料理を出すようになったそうです。かき広は唯一残ってる牡蠣船です。新規の参入は認められず、第三者へ店の譲渡もできないそうです。

 

 

《報道発表資料》2018.9.5 

台風21号による建設局所管の道路・公園等の被害状況について 

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kensetsu/0000445895.html

 

《報道発表資料》2018.9.20 

「実証事業都市・大阪」実現に向けた実証事業支援~「中之島チャレンジ」における移動ロボットの自動走行技術実証の実施について~ 

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/keizaisenryaku/0000447418.html

大阪市は、大阪商工会議所との先進的なまちづくりに資する「実証事業都市・大阪」実現に向けた包括提携に基づき、平成30年9月23日(日曜日・祝日)、24日(月曜日・振替休日)の2日間に中之島で実施する移動ロボットの屋外走行実験「中之島チャレンジ」において、自動走行ロボットの技術実証を支援します。「中之島チャレンジ」は、株式会社プロアシスト(本社:大阪市、代表取締役社長:生駒京子氏)と関西大学、大阪工業大学、大阪市立大学の3大学が構成する「中之島チャレンジ実行委員会(事務局:株式会社プロアシスト)」が企画・実施します。中央公会堂及び中之島図書館周囲の歩道(中央公会堂周辺に設けられる歩行者天国、いわゆる「中之島なにわっ子ホリデー」の時間帯)において、5チーム6台の移動ロボットが、定められたコースを時速4キロメートル(人がゆっくり歩く速度)以下で自動走行し、人が往来する環境における移動ロボットの自動走行技術の開発に役立てます。大阪市内の公道で移動ロボットが自動走行する同様の技術実証実施は今回が初めてです。 

http://www.tv-osaka.co.jp/yasashii/news/?p=2605

 

 

《大阪市中央公会堂》 

530-0005大阪市北区中之島1-1-27/06-6208-2002  

http://osaka-chuokokaido.jp/

今年11月17日に開館★100年を迎える「大阪市中央公会堂」。公会堂SHOPでは、SHOP限定、人気の100周年記念ピンバッジに加え、100周年をお祝いする商品を続々と皆様にお披露目します。また、日本最大級の建築イベント★『イケフェス大阪(生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪)2018』に100周年の公会堂も本格参戦!公会堂SHOPにもイケフェス大阪2018公式ガイドブックが並び、イケフェス缶バッジも登場します。秋の建築散歩にお出かけの際は、地下1階公会堂SHOPにもぜひお立ち寄りください。 

【岩本栄之助】(1877~1916) 

http://osaka-chuokokaido.jp/about/history.html

中之島の、そして大阪市のシンボルともいえる公会堂。かつて、その誕生のために莫大な私財を投じながら、完成を待つことなくこの世を去った人物がいた。それが、「義侠の相場師」ともいわれた株式仲買人、岩本栄之助である。岩本栄之助は1877年(明治10年)、大阪市南区(現在の中央区)にあった両替商「岩本商店」の次男として生まれた。小学校を出て進学した大阪市立商業学校を卒業後は、外国語学校などに通う傍ら家業の手伝いを始めるが、1897年(明治30年)に日露戦争に出征。除隊後の1906年(明治39年)3月に家督を継ぎ、正式に大阪株式取引所の仲買人として登録されることになった。栄之助が仲買人となった直後の1906年(明治39年)5月、北浜の大阪株式取引所を日露戦争終結に端を発する空前の暴騰が襲う。株価は急騰し「買えば必ずもうかる」とささやかれた。このとき、北浜の仲買人の大半は、いずれ暴落することを見越して売方に回っていた。しかし、株価の暴騰は止まらず、多くの仲買人は破産寸前の状況に追い込まれることになる。そこで彼らが頼ったのが栄之助であった。手堅く買方に回っていた彼に売方に転じてもらい、株価を下落させようとしたのである。買方として得た利益を吐き出してくれというこの常識外れの懇願を栄之助は快諾。「父親の代からお世話になっている皆さんへの恩返しだと思って協力しましょう」と答えたのである。この結果、翌年1月21日に株価は大暴落。売方である北浜の仲買人は破産を逃れ、莫大な利益を手にし、栄之助自身も大きな利益を得たのである。北浜の仲買人らは、「岩本さんには足を向けて寝られない」と感謝したと言われている。また、「学問せなあかん」が口癖の栄之助は、証券取引所で働く少年たちのために、学校に行くように勧めると共に、私財を投じて塾を作るなどしたため、ますます人気が出ることとなり、「北浜の風雲児」と称えられた。その栄之助が、仲買人として働き出した当初から強い関心を抱いていたのが、株で得た利益を公共のために活かすことであった。そうした栄之助の思いをさらに強くしたのが、1909年(明治42年)の「渡米実業団」への参加である。(以下略) 

 

 

●第4回企画展Part2/於★大阪市中央公会堂地下1階展示室 

「建築家・都市計画家・片岡安と大阪市中央公会堂」 

2018年9月8日(土)~11月26日(月) 

http://www.josho.ac.jp/ayumi/news/post-23.html

常翔学園のルーツである関西工学専修学校の初代校長・理事長を務めた片岡安が実施設計を行った「大阪市中央公会堂」は今秋、開館100周年の節目を迎えます。このことを記念し、常翔歴史館は現在★大阪市中央公会堂と連携した企画展を開催しています。大大阪時代に様々な活躍をした片岡安という稀代の人物の、建築家・都市計画家としての実績、教育界や経済界での業績を紹介していますので、この機会に理解を深めていただけると幸いです。

 

 

・・・大阪のシンボル、ここは何度来ても何度観ても飽きることがありません。

 

 

・・・次は、久しぶりに「常翔記念館」へ行くことにしましょう。