大阪歯科大学(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【奥野健太郎】 

https://bulbul.osaka-dent.ac.jp/oduhp/KgApp?kyoinId=ymdbyogdggy

大阪大学歯学部卒業、大阪大学歯学研究科博士課程修了、博士(歯学)。 

2009年度~2013年度 : 大阪大学、 歯学部附属病院、 医員 

2010年度 : 大阪大学、 歯学部付属病院、 医員 

2016年度~2018年度 : 大阪大学、 歯学部附属病院、 医員 

2017年度~2018年度 : 大阪歯科大学、 歯学部、 助教

 

 

・・・奥野先生が絶賛する、スタンフォード大学の先生とは、 

 

【西野精治】(1955~) 

★大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎出身。1982年、大阪医科大学卒業。1987年、早石修ERATOの睡眠プロジェクトによりスタンフォード大学睡眠センターで慢性の原発性過眠症であるナルコレプシーの病態生理・病因の解明の研究に主として携わる。1999年、家族性イヌナルコレプシーでその原因遺伝子の発見。2000年、ヒトでのナルコレプシー(narcolepsy)の主たる病態生理の発見の中心的役割を果たす。2005年よりスタンフォード睡眠・生体リズム研究所6]の所長に就任。2007年よりスタンフォード大学精神科教授。医学博士。日本睡眠学会睡眠医療認定医、JournalSleep編集委員、日本睡眠学会学会誌「BiologicalRhythmsandSleep」編集委員、一般社団法人良質睡眠研究機構 (iSSS) 代表理事。 

2017年3月、日本語による初の著書である睡眠啓蒙本★『スタンフォード式最高の睡眠』を出版、各種売上ランキングで1位を獲得するベストセラーとなる。「睡眠負債」「黄金の90分」といったキーワードが大きな関心を集め、テレビ・雑誌等のメディアにおいても多数取り上げられる。

 

 

・・・西野先生は附属天王寺出身、ということは山中伸弥さん(1962~)の先輩、スゴイ人がいっぱいですね。

 

 

・・・さて、「100年会館」前にあるのが「ドーンセンター」です。せっかくなので見学させていただきます。

 

 

《ドーンセンター》設計:安井建築設計事務所 

(大阪府立男女共同参画・青少年センター) 

540-0008大阪市中央区大手前1-3-49/06-6910-8500 

http://www.dawncenter.jp/top/index.jsp

http://www.dawn-ogef.jp/

男女共同参画社会の実現に寄与することを目的として、大阪府が主体となり、1994年(平成6)4月1日に大阪府立女性総合センターとして設立された。乳幼児を抱える女性に配慮された親子室を完備した500席収容のホールを持つ。2009年(平成17)4月1日に現在の名称となった。愛称のドーンとは、物事の始まり、夜明けを意味する英語のDAWNと、「ドーンといってみよう」という大阪の女性たちの★心意気を兼ねた言葉です。 

 

【多田美波】(1924~2014) 

http://www.tada-ken.co.jp/

台湾高雄市生まれ。1944年女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部卒業。1958年二科展入選、1960年二科展特選。1962年に多田美波研究所を設立し代表に就任。光の反射を用いた抽象的立体造形作品を制作。アルミニウムを叩き、シワをつけ半球状型に造形した「周波数」シリーズは代表作。昭和期・平成期を代表する立体造形作家である。皇居新宮殿、帝国ホテル、リーガロイヤルホテル、在米日本国大使公邸(ワシントンD.C.)、外務省飯倉別館(公館)、河内長野市庁舎、松山駅などの室内・構内装飾や、壁面作品(レリーフ)を数多く手掛けた他、立体造形作品を制作した。専門の立体造形の他に、絵画、環境デザイン、工業デザイン、空間デザインでも多くの作品を発表。1995年に文化庁芸術祭第50回を記念しシンボルマークをデザインし現在に至るまで使用されている。献血で贈呈される記念グラス器(冷酒グラス)は多田の作品である。1988年に紫綬褒章、1994年に勲四等宝冠章、2012年に女子美術大学より芸術文化の発展に対する貢献で名誉博士号を授与された。2014年3月20日午前9時30分、肺炎のため東京都杉並区の病院で死去。89歳没。

 

 

【福田美蘭】(1963~) 

https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00106

https://www.tobikan.jp/exhibition/h25_fukudamiran.html

1963年東京生まれ。デザイナー★福田繁雄を父にもつ画家。85年東京芸術大学美術学部絵画科卒業、87年同大学院美術研究科修了。さまざまなメディアや複製技術の氾濫する現代における美術に対して洞察の目を向ける作品を制作。89年安井賞、91年インド・トリエンナーレで金賞、92年現代日本美術展で群馬県立近代美術館賞、94年VOCA賞、96年フィリップモリス・アートアワード1996優秀賞など数多くの賞を受賞。99年現代グラフィックア-トセンタ-で個展開催。 

《NEWS》2018.7.1東京新聞より 

<睡蓮へのまなざし>(上)福田美蘭さん新作「睡蓮の池」 

日本で圧倒的な人気を誇る印象派の画家たち。中でも「巨匠」の称号が最も似合うのは、クロード・モネだろう。だがその肩書は、もしかしたら作品鑑賞の幅を狭めているかもしれない。14日から横浜・みなとみらいの横浜美術館で始まる「モネそれからの100年」は、彼の少し意外な側面に気付かされる企画展だ。印象派という一つの時代を象徴する絵画の枠を超え、現代の美術家を刺激し続ける新しさ。開幕を前に、奥深い魅力を二回にわたって紹介する。「モネの不幸は、印象派の第一人者というレッテルにあったとも思います」。実践女子大学の六人部昭典教授(65)が指摘する。「このため一時は、忘れられかけた作家なのです」それは1926年、モネが没したころ。集大成となる「睡蓮」の連作などを残したにもかかわらず、世間からいい評価はされなかった。セザンヌやゴッホなどポスト印象派と呼ばれる画家たちに乗り越えられた存在として、あまり顧みられなくなっていたのだ。風向きが変わったのは、第二次大戦後だ。米国で花開いた抽象表現主義との関連を中心に、彼の作品から現代美術につながるさまざまな布石が見いだされるようになった。たとえば画家の身体の動きをしっかり伝える筆跡。そして実体のない光という題材…。晩年にかけて、絵からは焦点や遠近もなくなり、抽象の領域に近づく。「モネは形を再現するという約束事から絵を解放した。視力の衰えで自然にそうなった面もあるでしょうが、私はそれだけではないと思います」と六人部教授。「印象派を率いただけでなく、現代美術の先駆者でもあったという点は、もっと広く認識されてもいいのでは」実際、今も第一線の表現者たちが、彼の投げた「問い」と向き合っている。本展では、初期から晩年のモネの絵画25点とともに、後続作家たちの現代美術作品66点を並べ、両者のつながりを示す。画家の福田美蘭さん(55)は、モネの作品から着想した3点を出す。うち2点は本展のための新作、「睡蓮の池」と「睡蓮の池朝」の連作だ。「睡蓮の池」に描かれているのは、夜景の美しいレストラン。白いテーブルクロスが池に浮かぶスイレンにそっくりだ。よく見ると、室内の光景は窓に映ったものだと分かる。「太陽光の微妙な移ろいが、印象派の大きなテーマでしたが、現代の社会で光を意識するのは夕刻からの時間だと思いました」と福田さん。実際に目の前に広がる都会の夜景と、ガラスに反射する像とを画面の中で交錯させた。「モネの絵も、一枚の中で虚像と実像とが混じり合っています」。モネの「睡蓮」を思わせる絵でありながら、夜と昼、自然と人工など主要な要素があべこべになっているのが面白い。「睡蓮の池朝」は同じ景色の夜明けを想像して描いた。福田さんは制作にあたって、モネ作品が展示されている美術館に繰り返し足を運んだ。前に立つと「私の目がモネの目になるようなゆらぎを感じる」と話す。「自分はこう見た、という主観が、画面に表れている。描くとはどういうことか、見るとはどういうことかを、問い掛けているようです」 

 

・・・「多田美波」さん「福田美蘭」さん、「美」つながりですね。