子午線 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《ART HOUSE》 

550-0014大阪市西区北堀江1-12-16/06-4390-5151 

http://art-house.sub.jp/

ART HOUSEはアーティストの手作り雑貨やアクセサリー、イラストレーターのポストカードやグッズなどを主にあつかうお店です。ギャラリーやイベント、手作り教室なども行っています。外観はクリーム色の外壁で、入り口のガラス扉の赤い枠がとっても目立ちます。入ってすぐ左側の壁面が1Fギャラリーです。店内の真ん中には雑貨特集を展示販売するミニブース コーナーもあります。店内の階段を上がると、2Fギャラリー 。ワンフロア全部がギャラリーになっていて、週ごとに展示内容が変わります。 

 

・・・古~いニュースですが、 

 

《NEWS》2007.8.9なんば経済新聞より 

北堀江のアートギャラリー「アートハウス(ART HOUSE)」で8月2日より、移転オープン7周年を記念して「7」をテーマとした展示会「7展」が開催されている。アート雑貨の展示、販売を行う同ギャラリーは、2000年8月に★OPA心斎橋店より北堀江に移転。同展は、常設で扱う作家約50人が参加、思い思いの「7」を表現している。ギャラリーの1階にイラストやアクセサリーを中心とした作品、2階には人形など立体作品の展示を行う。作品とともに、各作家のプロフィールと今後の抱負、作品へのコメントや思い入れを紹介し、各作家の思いが詰まったユニークな展示となっている。同ギャラリーの★吉竹千恵美さんは「7年前、堀江が良くなってくるということを耳にしていたのと、公園の近くの静かな場所を希望していたため北堀江に移転した。にぎやかな南堀江からは少し離れているが、落ち着いてゆっくり作品を鑑賞してもらうにはすごくいい場所」と話す。20代、30代の女性に混ざり、「エネルギッシュな」(吉竹さん)赤をアクセントカラーに取り入れた外観にひかれ、★好奇心旺盛な年配の人や男性客も多く来店するという。ギャラリーは作家同士が集まり、情報交換の場にもなっているという。吉竹さんは「さまざまなジャンルの作家がお互いに磨き合っている環境が、アートハウスの良いところ。今後も、各作家が得意なところを生かして、一緒に向上できるような企画をしていきたい」と意気込みを見せている。開催時間は11時~19時30分。水曜定休。同展は14日まで。16日からは、7周年を記念して「Birthday」をテーマとした絵本展も予定している。 

 

・・・私も、好奇心旺盛な年配の男性客の一人です。2007年が7周年ですから、今年2018年は18周年になりますね。さて「ART HOUSE」を訪問した理由は、

 

 

★新岡良平「きづきの子午線」 

http://seian-illust.net/news/exhibition/2018/08/14239/

2018年8月23日(木)~27日(月)2Fギャラリー 

駅の公衆電話と水平線。置き忘れた本と珈琲。電車を待つ猫と、季節の植物。身近なお気に入りを切り取り、机いっぱいに並べるように描いています。組合せ次第で生まれる新しい意味や時間の流れ、小さな発見を楽しんで頂ければ幸いです。 

◆プロフィール 

http://ryoheiniioka.blog50.fc2.com/

https://twitter.com/ryoheiniioka

作家・イラストレーター。制作は主に紙にアクリル絵具。関西を中心に個展・グループ展・イベント出展など多数。現在、成安造形大学イラストレーション領域助手をされているようです。 

主な仕事に、週刊新潮連載「ブラックオアホワイト」(著:浅田次郎)挿絵(2013年9月~14年7月) 

http://seian-illust.net/news/media/2013/09/8250/

ヘレンマクロイ著「歌うダイアモンド」(東京創元社)装画(2015年) 

http://www.tsogen.co.jp/np/author/815

紅玉いづき著「現代詩人探偵」(東京創元社)装画(2016年)など。 

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488017903

 

《成安造形大学》 

520-0248 滋賀県大津市仰木の里東4-3-1/077-574-2111 

http://seian-illust.net/

 

・・・前回ギャラリーを訪問した際、新岡良平さんの小冊子「机上の子午線Ⅱ」を購入させていただき、今回の個展開催をお聞きしていたわけです。

 

 

《参考》「子午線」meridian 

地球の赤道に★直角に交差するように両極を結ぶ大円である。南北線(なんぼくせん)・南北圏(なんぼくけん)とも言う。同一経度の地点を結ぶ経線(circles of longitude)と一致する。子午線に対して直交するのが卯酉線(ぼうゆうせん)で、東西圏とも言う。これに対して同一緯度の地点を結ぶのが緯線である。 

「子午線」という語は、★子の方角(北)から★午の方角(南)に伸びる線(大圏)を指している。これは方角を★十二支に当てはめるやり方からきている。 

なお、鉄器などの影響を全く受けない状態で磁石の針が指し示す線(大圏)を磁気子午線といい、これに対して両極を結ぶ本来の子午線は真の子午線と呼ばれる(両者には偏差を生じる)。子午線の長さは約4万キロメートルだが、これは当初1メートル自体が★「子午線全周長を4千万分の1にした長さ」を基準に決定されたためである。  

赤道や地理極という明確な基準のある緯度と異なり、経度には明確な基準が自然には★存在しないため、経度0度の地点(本初子午線)は人為的に設定する必要がある。過去、世界各地で様々な子午線が本初子午線に設定されてきた。国際的には、1884年以降はイギリス・ロンドン郊外の旧グリニッジ天文台跡を通過する★グリニッジ子午線が本初子午線に設定されていた。現在はこれを継承し、グリニッジ子午線の102.478m東を通っている★IERS基準子午線が本初子午線である。180度経線はIERS基準子午線の反対側にあり、180度経線とIERS基準子午線によって作られる大円によって地球は★西半球と★東半球に分けられる。  

 

・・・せっかくの機会なので「子午線」についてもう少し考えてみましょう。

 

 

《子午線の祀り》作:木下順二 

https://spice.eplus.jp/articles/133617

『平家物語』を題材とする。1978年に『文藝』誌上に発表され、翌1979年に宇野重吉の総合演出で初演。読売文学賞、朝日賞受賞作品。2017年に野村萬斎による新演出で上演され読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。『夕鶴』と並ぶ木下の代表作。独誦から俳優全員による合誦までを自在に組み合わせた「群読」という独特の朗読形式を導入した。平知盛を主人公に源義経を対照させ、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた平家が壇ノ浦の戦いで壊滅するまでの壮麗な物語である。  

★『子午線の祀り』について/文:木下順二 

http://www.geocities.jp/pluto_naoko/2007-7.17.html

夜、壇の浦の上にドームのように広がる真っ暗な天球を仰いでいた時のことを語っている。「遠く地平の北から大空へ昇って遥かに天の北極をかすめ、遥かに天頂をよぎって遠く地平の南に降る無限の一線、大宇宙の虚空に描かれるその天の子午線の大円を、平家滅亡その日の朝七時、月齢二三・七日の月が、三八万四四○○キロのかなたで、南中時約七○度の高さ、角速度毎時十四度三○分で通過したゆえに(ゆえに?)、そのあとー水路部の「同時潮図」によればー約9時間たつとこの海峡への漲り潮は落ち潮へと変り始め、潮は激しく西へ流れていた。月は、誰がどうしようもなく、そのとき子午線を通過したのである。…」 

『子午線の祀り』は、平家が滅亡する際に、人間と人間を越えてどうしようもなく働いていく力を見据え、そこにみなぎる緊張関係を描いている。その、人間を越えてどうしようもなく働いていく力の象徴として作者が考えたのが、壇の浦での勝敗を決した潮の流れの変化だった。それは、壇の浦の天空に描かれた子午線を月が通ることによって起こった潮の流れの変化である。潮の流れは、月の動きによって生じるものであり、人間の生き死に影響されるものではない。そういった意味では、あくまでも非情な自然の推移でしかない。人の生き死にには、己の意志の通りに進んでいく場合と、己の意志を超越した力が働いてしまう場合とがある。己の意志のままにことが運ぶなら、強い者は何時までも強く、すべてが力関係だけでまとめられてしまうことになる。ところが、人間の歴史においては、必ずしも強いからといって勝ち得なかったということも多いのである。その代表としてあげられるは、ロシアの冬将軍に負けたナポレオンだろうが、この『子午線の祀り』で描かれている平家の滅亡ついても、潮の流れの変化さえなければ平家は巻き返しができたかもしれなかったという仮定がなりたつ。そういったことを考えると、それでは、いったいあの時のあまりにも不運な自然現象は何だったのだということになるが、それこそが、「天の配剤」で、これはもう、人間の力ではどうすることもできない。だからこそ、そういった状況にであった人々の心理はいかようなものであったかを、作者は何とかして描き出そうとしたのではなかったか。あらゆることが自分たちの思惑から外れていってしまうという平家方の焦燥と、自然現象さえも自分の味方に引き入れようとする義経の強い心の張り。それは、周囲の人々へも強い影響力をもたらし、それがさらに新たな超自然の力を生み出していくもとにもなるのだ。群集心理といわれるものも、そのひとつであるといえるかもしれない。そして、さらに、『子午線の祀り』では、勝ってはいても常に兄頼朝の顔色をもうかがわなくてはならない義経の焦燥も描かれている。この平家との戦いでは自然を味方につけて勝ちを得た義経が、やがて、兄に追われて東北に散る。その際、義経はあれだけ西国では自分の味方につけていた超自然の力にさえ見はなされてしまう。その無常な彼の結末をも知った上で読んでいくと、ことさらに、人間と人間を越えて働く力の恐ろしさに慄然とする。 

 

・・・なかなか奥深いですねえ。

 

 

《参考》合同会社「書肆子午線」 

360-0815埼玉県熊谷市本石2-97(本社) 

162-0055東京都新宿区余丁町8-27-404(編集室)048-577-3128 

http://shoshi-shigosen.co.jp/

★雑誌「子午線 原理・形態・批評」創刊の辞より 

http://shoshi-shigosen.co.jp/manifesto/

(前略)子午線を通過すること、どこに引かれるのか★あらかじめ定かではない子午線の上に赴くこともまた、「還らずに辿る」ことであり、ともにそこを通過する者たちをめぐる分離–結合の過程にほかならない。Together through meridian. それは終極をめざす旅でもそこから発する旅でもない。なぜならそれは、この楕円の軌跡をその南北の極のいずれかに向かって突き進むことではなく、したがって、それを前にしてはだれもが沈黙を強いられる悲壮の物語が始まるのでもないのだから。そうではなく、ふたつの極を両端にすえてそのあいだ─熱帯─を横切ること。その交叉に反時代的なアクチュアリティを「見つけ」、しかも「言語」とともにそれを「見つけ」ること。つまり「非物質的な(フィクショナル)」、「けれども現世的な」何かに懸けてみること。そうして見出されるとあるひとつの日付をそのつど迎え、そこに迎えられること、それは「帰らずに奪」うことと別ではなかった。それが多数による自由の謳歌でもなく、一なる目的–意識に支えられてもいない以上、ひとつの使命は脆い。★ある子午線をだれかとともに「見つけ」、通過する、そんな事態が惹起される場であろうとする本誌が、伴わざるを得ない分離–結合をはたして促せるのか、そしてそれに堪えうるか否かがこれより 試されていくだろう。われわれはここに『子午線 原理・形態・批評』を創刊する。 

 

・・・少し難解な文章ではありますが、私なりに「子午線」のイメージがわいてきました。

 

 

・・・浅田次郎さんの場合は「ブラックオアホワイト」ということですが、新岡さんのイラストは「ブルー」がいいですねえ。

 

 

・・・最後に、この「切符」気に入りました。