《銀屋》羽曳野市古市2丁目
銀屋は、竹内街道と東高野街道が交差する古市の中心部にあった商家の建物です。寛政(かんせい)11年(1799)の屋敷絵図が残り、18世紀中ごろの建築と推定されます。当時では珍しい総瓦葺(そうかわらぶ)きで、外壁の一部には石川を行き来した剣先船の船板を利用していました。各藩の藩札の交換などをする両替商であったとの言い伝えがあり、古市のにぎわいを偲ばせる建物のひとつでしたが、現在は見ることはできません。
・・・「銀屋」がなくなり「古市ポケット・パーク」が整備され、
《古市ポケット・パーク》羽曳野市古市3丁目
古代より交通の要所で栄えた古市は、人々の往来で活気あふれる町であったことが知られています。竹内街道と東高野街道が交差する場所には「銀屋」と呼ばれた江戸時代の両替商が存在しました。古の風景や活気を再現するために、空閑地(くうかんち)を活用してミニ公園を造りました。隣接して存在する西琳寺(さいりんじ)、大正初期の銀行など歴史的な建物を中心に古市のまちを偲び、人々が集う空間となっています。なお、確認調査の結果、公園の北側では竹内街道の石組側石が見つかったことから、この部分には整備の時にブロックを敷き、街道とわかるように色を変えています。
http://www.skao.net/bjoho/habiki.htm
・・・それぞれ「保存運動」は取り組まれてきましたが、
《参考》「ありがとう羽曳野市商工会館」より
http://tama.chu.jp/syoukoukai/
羽曳野市に歴史的な街道(日本最古の国道)竹ノ内街道が東西にあります。また、南北には京都から高野山につながる東高野街道があります。その歴史的に見ても有名な街道がここ古市の中心部で交わっています。その交差点に存在する「旧羽曳野市商工会館」この会館も明治時代に建築され木造でありながら洋風の装いを出している素晴らしい建物であり戦時中には焼夷弾が近くに落ちて部分的に壊れたが丁寧に修復をし現在まで100年近くもの月日を経て歴史的交差点に鎮座する。しかし、2008年にはこの建物が解体されることになっている。この様な歴史にまれではあるが太古の街道に近代の洋風建築が存在する交差点(古市)貴重な歴史遺産をみんなの手で大切に守りたいと思う。旧羽曳野市商工会館は耐震強度の問題でもはや解体というところまで話は進んでいますがなんとかこの解体という事態をくい止め、耐震補強を施し未来の子ども達に太古からの古市を振り返る道しるべとしてこの会館を残し末永くこれからも古市のまちを見守って欲しいと思います。このホームページではみなさんの羽曳野市商工会館の想いや歴史財産についていろんな意見を出し合いたいと思います。掲示板を用意していますので、みなさんに参加していただき大きな力となって解体の危機にある旧商工会館を守りたいと思います。2008年5月、旧商工会館消滅、残念ながら歴史を伝えてきた建物がまた一つ古市から消えました。
・・・結局は取り壊され、跡地に「蓑の辻会館」が建てられました。
《古市六町蓑の辻会館》羽曳野市古市3-1-24
体操やフラダンス教室が開催されています。六町とは、北町・東町・西町・南町・中町・堂之内町です。だんじり祭りは、10月体育の日(ハッピーマンデー)の前、前々日の土、日曜日に開催されます。
・・・古いものがどんどん失われていきますが、古市★駅裏に唯一「古栄座」(映画館)の面影が残っています。
・・・私の実家(平野)は駅の真横にありましたので、自転車預かりもしており、このような景色は幼少期から見慣れているというか、なんかホッコリします。
《参考》羽曳野市で撮影された古い写真
http://konjaku-photo.com/?p_mode=view&p_city=198
・・・「ALWAYS 三丁目の夕日」を彷彿とさせます。
《ALWAYS 三丁目の夕日》
西岸良平の漫画『三丁目の夕日』を原作とした2005年の日本映画。
昭和33年春、東京の下町、夕日町三丁目にある鈴木オート。そこに集団就職列車に乗って青森から集団就職で六子がやってくる。六ちゃんと親しまれるが、実は大企業に就職できるかと期待していた六子は、小さくて古臭い★下町工場の鈴木オートに内心がっかりしていた。その向かいにある★駄菓子屋「茶川商店」の主人・茶川竜之介は小説家。茶川は居酒屋「やまふじ」の美人店主・石崎ヒロミから見ず知らずの子供・古行淳之介を酔った勢いで預かってしまう。帰すに帰せず、二人の共同生活が始まる。
・・・「平成」も最後、ますます「昭和」は遠くなりますね。