《弘法井戸(打上・国松・田井・湯屋が谷)》
打上地区の東高野街道の道端に、土地の人々が「弘法井戸」とよび親しんでいる井戸があります。そばに「弘法観念水」と刻んだ小さな石柱が建てられています。水への感謝と弘法信仰が結びついたものでしょう。この井戸は、いくら日照りが続いても涸れることはなかったと語り継がれています。高野山へ通じるこの街道は、古くから弘法大師を信仰する人々の通行が多く、街道そばのこの井戸は、行き交う人々の渇きをいやしたことでしょう。
●弘法井戸(国松)
江戸時代の観光ガイドブック「河内名所図会(かわちめいしょずえ)」に「三ツ井 郡村の東、三ツ井村にあり。二ツ井は国松村にあり。一つ井は高宮村にあり。」と市内3か所の名井が紹介されています。そのうち、現在残っているのは、国松の井戸(ニツ井)だけです。国松の弘法井戸は、地域の人々の生活用水として利用されてきました。弘法大師と清水に対する感謝の心が結びついたものでしょう。井戸の中には、四体のお地蔵様が安置されていますが、村人の健康と安全を祈願したものと思われます。
●弘法井戸(田井)
「田井弘法井戸」には、次の話が残されています。昔、一人の旅に疲れたお坊さんが村に来ました。一杯の水を求められましたが、どの家からも『この村の水は、金気(かなけ)がひどくて差し上げられないんですよ』と申し訳なさそうに断られました。
お坊さんは『この村は飲み水に不自由してるんだなあ』と村をふり返り、堤の下で杖を突き立てると、清らかな水が湧き出てきました。それから先、この井戸だけは涸れることなく清水が湧き出て、村人は飲み水に不自由しなくなりました。そして、そのお坊さんを人々は「弘法大師」に違いないと信じて、この井戸を誰いうとなく「弘法井戸」とよぶようになりました。「田井弘法井戸」は、縦2メートル90センチメートル、横約2メートルと、市内にあるの4つの弘法井戸(打上、国松、田井、郡=湯屋が谷)の中で最も大きなものです。
★弘法井戸(湯屋が谷)
郡地区の「湯屋が谷井戸」は、通称「ヤガタンのいど」とよばれて親しまれています。旧村落の東端の断崖の真下に位置し、崖の上の大地から湧き出る良質な地下水は、貴重な飲料水として、また日用水として広く利用されてきました。井戸の前は石を敷いて米や野菜などの共同洗い場となっており、かつての井戸端会議のさまをしのばせます。
・・・再び「香里園」駅前にもどり、いざ「八木邸」へ。
《「八木邸」の一般公開が始まります》
https://neyagawa.mypl.net/mp/good_neyagawa/?sid=33773
★摂南大学と寝屋川市は、地域住民の皆さんなどと一緒に香里園のブランド力向上に取り組んできました。この取り組みの中で地域資源として発掘し、調査・研究を続けてきた「八木邸」が、2018年5月から、ボランティアグループ「八木邸倶楽部」により一般公開されることとなりましたのでお知らせします。「八木邸」は日本の気候風土と日本人のライフスタイルや趣向に適合させた「日本の住宅」を志向した建築家★藤井厚二(明治21~昭和13)設計の住宅で、現存する藤井設計の住宅(聴竹居など5棟)の中でも特に家具や調度品がたくさん残っている住宅建築の逸品です。
《八木邸倶楽部》
http://www.yagiteiclub.com/index.html
【藤井厚二】(1888~1938)
http://www.takenaka.co.jp/design/architect/01/
1888年(明治21)広島県福山市に生まれる
1913年(大正2)東京帝国大学を卒業後、★竹中工務店入社
1919年(大正8)竹中工務店退社
1920年(大正9)欧米を視察後、 京都帝国大学工学部講師
1921年(大正10)同助教授
1926年(大正15)同教授
1938年(昭和13)逝去
★竹中工務店初の帝大卒の建築家として入社し、黎明期の設計部に7年ほど在籍しました。入社早々、「朝日新聞大阪本社(1916)」及び「村山龍平邸和館(1917)」、そして「橋本汽船ビル(1917)」などの設計を担当。退社後、京都帝国大学で教鞭をとりながら自邸を実験住宅として建てていき、その研究成果のまとめとして、真に日本の気候風土に適合した住宅の在り方を科学的に環境工学の点から考察した「日本の住宅(1928)」を著しています。竹中時代と京大時代の現存する藤井の作品のもつ「繊細なプロポーション」「隅々までデザインし洗練されたディテール」「デザインとテクノロジー(主に環境配慮)の融合」等の特徴は、現在の設計部に脈々と受け継がれています。京都府大山崎町に現存し、環境共生住宅の原点として近年注目を集める第5回目の実験住宅★「聴竹居(1928)」の設計者として有名な藤井厚二は、黎明期の当社設計部の基礎を築いた人物のひとりなのです。
・・・今回の地震の影響が心配されますが、ぜひ次は「聴竹居」を訪問したいものです。