トリプルイベント(9) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・東横堀川水辺再生協議会「e-よこ逍遥2018」の報告です。「小西家住宅」の見学が、とうとう実現しました。

 

 

《「 船場文化サロン」~茶席美術館1~》

2018年6月8日(金)18:15~19:15~ 

541-0045 大阪市中央区道修町1-6-10重要文化財★「旧小西家住宅」 

https://osaka-chushin.jp/event/39873

恒例の建物解説に加え、今年は家庭画報で藤田美術館特集の連載を受持つ茶道具商★谷松屋戸田商店様を講師に迎え、茶室を彩る美術品を間近に学びます。江戸時代から上方文化の粋を担う戸田家のギャラリートークをお愉しみに。 

 

・・・これまで「小西家」見学は「イケフェス」で申し込んで、なんと4年もふられてきました。 

https://ikenchiku.jp/building/171/

そこで別の機会をと考え、今回の実現となったわけです。もっと早く気が付いていれば、こんなにヤキモキしなくてもよかったのですが。 

http://www.bond.co.jp/history/kyukonishi/index.html

 

 

《参考》コニシ株式会社 

541-0045大阪市中央区道修町1-7-1(北浜TNKビル)06-228-2811 

http://www.bond.co.jp/

1870(明治3)創業。現★大阪本社所在地において「小西屋」の屋号で薬種業を営む。現在の旧社屋★(道修町堺筋東北角)が完成(明治36年)。 

1884(明治17)アサヒ印ビールを製造。現在のアサヒビールの前身となる 

1888(明治21)大阪洋酒醸造会社を創立しビール・ブランデー・ウイスキー・アルコールなど製造販売。「赤門印葡萄酒」の製造販売を手掛ける。 

1925(大正14)株式会社小西儀助商店に改組。アルコールの小西儀助として名が高まる。 

1952(昭和27)合成接着剤★「ボンド」販売開始。 

 

・・・「ボンド」には、日頃からたいへんお世話になっております。

 

 

※登録商標という「器」に「信頼」を蓄積して 

http://www.bond.co.jp/koko/index.html

一般家庭用「ボンド木工用」は2007(平成19)6月に、「ボンド木工用速乾」は2010(平成22)6月に立体登録商標となりました。コニシの商標である「ボンド」は、すでに多くの方にブランドとして認識されるようになりました。「商標(TradeMark)」というのは、「商品名」だけではなく、文字、図形、その組み合わせであるマークやデザイン、さらに特徴ある立体形状等、コニシと他社製品を区別するためのすべての商品パッケージ要素をさします(これを商標の「自他識別機能」と言います)。また、お客様は「ボンドマークが付いているから、コニシの製品だな(出所表示機能)」とか、「前に買って良かったから、次も買おう(品質保証機能)」と考えます。つまり、日常、私たちが商品を選ぶ際に無意識に行っている全ての行為が「商標」に基づくものなのです。現在コニシでは、ボンドマークや商品名を中心に多数の「登録商標」を所有しています。コニシはこれらの登録商標という「器」に信頼を蓄積して、価値ある「ブランド」となるように日々努力を重ねております。

 

 

《株式会社戸田商店》 

541–0044大阪市中央区伏見町3–3–10/06–6231–5272 

http://www.tanimatsuya.jp/aboutus/index.html

江戸時代より大阪の商業の中心地として有名な船場の地にあり、周辺には明治から昭和初期にかけての歴史的建造物と、現代的な高層ビルが不思議な調和を見せる。また船場は江戸時代より町人文化が賑わった場所でもあり、適塾、吉兆本店など文化、芸術発展に寄与した施設も散見され、独特な街の雰囲気を醸し出している。 

●元祖「宗慶」から八代目「露吟」 

その昔、唐物(輸入品)を取引する唐物商が軒を連ねていた大阪の船場伏見町。戸田家は、江戸時代より続く茶道具商として、この街で店を構え、屋号を「谷松屋」と称します。元祖、宗慶が没したのは1690年(元禄3)のことです。その子、初代権兵衛浄休以降、当主は代々権兵衛を名乗り、谷松屋権兵衛、略して「谷権」と呼ばれていました。四代権兵衛休芳は、当時の目利きで出雲松平家の御用道具商となり、大名茶人として名高い藩主★松平不昧公の信任を得て数多くの名品を納め、1808年(文化5)には、不昧公より「弌玄菴」の庵号を拝領して、自筆の扁額を授かり、今日に守り伝えられています。八代目露吟は、1843年(天保14)に生まれ、1905年(明治38)に没します。明治維新を迎えて、文明開化の風潮と共に茶道など伝統的な芸能は著しく停滞し、道具商も衰退する一方の時代に当主となります。大名家などから多くの名品が市場に放出されますが、なかなか買い手がつきません。露吟は、当時でも茶事が盛んだった金沢に販路を開いたり、関西の茶道復興に尽くした豪商★平瀬露香さんや膨大な美術品を蒐集した大財閥★藤田伝三郎(香雪)さんら近代を代表する数寄者の愛顧を賜って数々の名物類を扱い、明治期きっての目利きと称されました。(以下略) 

 

・・・スゴイの一言、船場はまだまだ奥が深いですねえ。

 

 

【戸田博】谷松屋十二代目当主。1949年(昭和24)十一代目戸田鍾之助の長男として大阪市に生まれました。3年間のアメリカ留学の後、1973年(昭和48)東京の弥生画廊に入社し、美術品ビジネスと画廊経営の基礎を学び、1976年(昭和51)株式会社谷松屋戸田商店に入社。1995年(平成7)代表取締役社長に就任し、現代に至ります。三百有余年の長い歴史を歩み続ける谷松屋の後継者として、代々受け継いできた茶道具を扱う家業の拡大に注力する一方、現代美術やプリミティブ・アートにも関心を寄せて幅広く美の世界を渉猟し、現代における茶の湯のあり方や茶事と茶陶との関わりなどを模索して再解釈、再構築しているところです。 

【参考】美を見抜く眼の力「夢の美術館」著:古美術商/戸田鍾之助、戸田博 

https://www.shogakukan.co.jp/books/09681663

『和樂』誌上での2年間の連載を単行本化した『美を見抜く眼の力』は、大阪の道具商「谷松屋一玄庵」の戸田鍾之助・博父子が茶道具の名品を手にしながら、その素晴らしさ、目利きの心得について語り合ったもの。 

https://intojapanwaraku.com/

著者が日本有数の目利きであること、本書が全国に3000はある骨董店にとってのバイブル的な存在になったことなどから、高価ながら売れ行き好調です。ただ、やや高価なため、骨董や茶道関係者以外の人には、若干敷居が高い書籍でした。そこで価格を半分以下にし、戸田鍾之助氏が考える「26の名茶器」など内容も新たに、オールカラーで再編集した「廉価版」の第2弾を発売しました。『眼の力』を買った読者が引き続いて購入しても満足でき、贈り物としても最適な美しい本に仕上がっています。 

 

・・・これまで漠然と観てきた茶道具ですが、少しは何をどう観ればよいかがわかったような気がします。戸田商店さんの軽妙かつ説得力のあるお話は、本当に頭に心に染み入りました。もちろん、小西社長の優しいお人柄にも感服いたしました。本当にありがとうございました。