《蛇足》「桜宮(さくらのみや)」大阪市都島区中野町1-12-32
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010018.html
祭神天照大神。創建不詳。この付近は淀川の洪水被害をうけるところであった。社もそのためたびたび移った。当地への遷座は宝暦6年(1756)と伝え、地名にあやかり桜が多く植えられたので名所となった。しかし明治18年の記録的な淀川の大洪水ですべて枯死した。その洪水記念碑も境内にある。この年大雨のため7月1日上流の枚方付近で左岸堤防が決壊、濁水は大阪市内に流入、上町台地をのぞく大部分が浸水し、中之島では2mほど冠水、天満橋・天神橋・難波橋・筑前橋・常安橋など流失してしまった。また社から南西の川岸近くに、「青湾」と大書した石碑がある。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000212952.html
この碑は、茶の湯に対抗して煎茶を普及させた★売茶翁(ばいさおう)の百年忌にあたり、水質のよいここで文久2年(1862)南画家・田能村直入らが大煎茶会を開催した記念碑である。
・・・「煎茶」についてプログしたばかりなので。さて環状線「桜ノ宮駅」駅を出ると、なんと「カエル」が出迎えてくれましとた。今日はいいことありそうな、予感がします。
《参考1》「源八橋」
http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000000953.html
樋の口のほとりにあり天満源八町の濱より中野への舟わたしなるを以ってづくるなるべし世に名高し
摂津名所図会大成に紹介された源八渡しの紹介文である。源八橋が架かるこの界隈は江戸時代、右岸側には大坂城代配下の役人たちが住み、対岸はのどかな農村風景が広がっていた。大川の両岸は桜の名所として名高く、今と変わらぬ花見客でにぎわいを見せていた。渡しの東には「中野の梅林」があり、人々はこぞって観梅にでかけた。
源八を わたりて梅の あるじかな
毛馬村に生まれた蕪村が詠んだ句である。橋のかわりに大川の両岸を結ぶのは、渡し舟だったのである。源八の渡しは、天満川崎と対岸の中野に渡されていた。正確には源八町(現天満橋二丁目)と東成郡中野村(現都島区中野町四丁目)を行き来していた。この渡しは明治40年(1907)大阪市営となり、昭和11年(1936)源八橋の架橋によって廃止されている。平成10年(1998)には歩道拡幅工事が完成。この橋はゲルバー式鋼板桁橋で、幅11メートル、橋長201.2メートルにおよぶ。大阪市の都市計画事業・天満友渕線の橋として架橋された。モータリゼーションの普及により交通渋滞の解消を目的に昭和46年(1971)には東側半分が北側へ15メートル拡幅された。この橋の東詰下流には、大阪営林局の貯木場があったが、現在は在阪各大学ボート部の漕艇庫が立ち並ぶ。源八橋を知らない方でも、★大阪市民レガッタや桜杯レガッタで先陣を競う姿を目にしていよう。練習にはげむ彼らの姿は夕映えのなかで美しい。この橋名は、地元からの強い要望で源八町にちなんだものとなった。しかし、一方では中野橋という言い方も残る。名称は子ども命名と同じで悩みはつきない。近代上水道が敷設される以前の大阪は、飲料水に悩まされた都市であった。井戸水はほとんどが飲み水としては不適で、生活用水として用いられていた。飲み水のほとんどは水売りとよばれた人々が水船で市中各所へ運び、水桶で各家庭に届けていた。そうした水汲み場のひとつが源八橋上流にあったのである。飲み水が川から供給されるほど澄んでいたのである。
《参考2》レガッタ(イタリア語regata、英語regatta)
原動機のない船を使った、複数の人数によるボート競技。通常は漕艇によるボート競技をさすが、帆走やヨット競技もレガッタと呼ばれる。また水中翼帆走艇(英語版)(Sailinghydrofoil)などある種の動力付き船舶による競争もレガッタの名を冠されることがある。「regatta」という語には競技に伴う周囲の慈善活動や広報活動も含意される。典型的なレガッタは学生や社会人などアマチュアによるボート競技だが、高度に組織化されスケジュールや進行に至るまで厳格にルールを定められた公的な大会もある。レガッタは港湾の祭典や河川でのイベントなどの際に、余興として、あるいはボート競技のプロモーションとして行われるものもあるが、ある形式のボートやある地域のクラブ・学校の選手権大会として、ヨットクラブ、帆走協会、大学や高校の学生ボート連盟などの主催により行われることもある。
《大阪市立大学漕艇部》
534-0027大阪市都島区中野町1-10-6桜ノ宮公園内/06-6353-5073
★第127回大阪市立大学「ボート祭」
https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/event/2018/180519-180520
大阪市立大学は、2018年5月19日(土)~20日(日)の2日間、大川の源八橋~新桜橋間で「ボート祭」を開催します。伝統的行事であるボート祭は、本学初夏の風物詩となっています。本学の学生が主体となって実施しており、学内外の合わせて例年100艇前後が参加しています。多くの方により楽しんでいただけるよう、今回から「市民の部」の中にボート競技経験者(ボート部OB等)を対象とした「経験者の部」を新たに設けました。事前練習も可能ですので、初心者の方でも安心して参加いただけます。また、開催期間中は、学生による演奏をはじめ多くのパフォーマンスも催され、競技参加はもちろん見物だけでも十分楽しんでいただけるイベントとなっています。ぜひ、ご家族連れやお友達と一緒に「ボート祭」へお越しください。
・・・「市民の部」「経験者の部」を見学させていただきましたので、とてもゆったりのんびり、何より最高の天気でした。
《ボート競技について》日本ボート協会
https://www.jara.or.jp/about.html
・・・大川の対岸にあるのが「OAP」です。せっかくなので寄ってみましょう。
《NEWS》2006.12.4産経新聞より
北区と都島区結ぶ「新銀橋」完成17日供用開始/美競う双子橋
http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000000959.html
大阪市北区と都島区を結び、「銀橋」の愛称で親しまれている「桜宮橋」のすぐ北側に「新銀橋」が完成し10日、完成式が行われる。慢性的な渋滞を解消するため、国土交通省が昭和63年から事業を進めてきたもので、建築家★安藤忠雄さん(65)がデザインを監修。旧橋も改修のうえ活用される予定で、「双子橋」として生まれ変わる。銀橋は大阪市内を流れる大川に架かり、昭和5年、法隆寺や宇治の平等院の復旧に携わった武田五一氏の設計で完成した。戦前まで日本最大のアーチ橋(188メートル、幅23メートル)だった。付近では、夏には天神祭の船渡御、春には造幣局の「桜の通り抜け」が行われ、その美しいアーチは、市民に古くから親しまれてきた。市民からも意見を募ったところ、「現在の銀橋と同じものに」という意見が半数を占め、新旧の橋は「相似形にする」ことが決まった。しかし最新の技術、素材、工法を採用すると、旧銀橋と同じ形を取ることは難しいことが判明、新しい橋は従来の雰囲気を引き継ぎながらややスレンダーなものとなった。新銀橋は、旧銀橋より30メートル余り長い220メートル(幅20メートル)。一般的な橋は太いボルトでつながれるが、美しい容姿を保つため、全断面を現場で溶接する国内初の施工方法を採用した。完成式は10日、関係者約150人が出席して新銀橋の上で行われる。17日の供用開始と同時に、旧銀橋を通行止めにし改修作業に着手、全面開通は2007年3月になる見込み。2本の橋の供用で、道路は現在の4車線から6車線になり、慢性的な渋滞の解消が期待される。
《大阪アメニティパーク》
大阪の中心部でありながら約5haという広大な敷地と、ウォーターフロントという恵まれたロケーションを活かした、大規模複合開発プロジェクト「OAP」(大阪アメニティパーク)。情報化や国際化がますます進むなかで、インテリジェント機能はいまや常識のひとつ。これからの都市には、先進の機能性を備えつつ、人が人として安らげる、心地よい環境が求められます。OAPは、その名のとおり快適性をテーマにした「人間環境空間の創造」をめざしました。ゆったりと流れる大川、桜並木の美しい毛馬桜宮公園、明治時代の歴史が薫る造幣局や泉布観など、辺りは思わず訪れたくなる名所であふれています。オフィス、ホテル、ショッピング、そして住宅。OAPに広がるさまざまな都市生活シーンは、豊かな緑や水と共に、四季を吸収します。