ヒロシマ(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・この「猫アート」ブログを始めるキッカケになった「ひろしま美術館」に、とうとう行ってきました。 

 

《広島駅ビル》 

732-0822広島市南区松原町1-2/ekie082-567-8011 

https://www.ekie.jp/

ekie(エキエ)は広島駅の線路上空に新たに誕生したショッピングエリアです。平成29( 2017)年10月29日開業。雑貨、ファッション、コスメ。平成31年にかけ広島駅高架下エリアに4期に分けてグルメやお土産等のバラエティに富んだショップがオープンします。 

中国SC開発株式会社は、西日本旅客鉄道株式会社(「JR西日本」)と進めている広島駅橋上・高架下開発「ekie(エキエ)」について、2018年3月29日(木)第2期オープンしました。 

https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/01/page_11722.html

ekie第2期は「ekie DINING」とネーミングし、新幹線東高架下1階エリアに、仙台、博多の有名店や地元広島の老舗・名店・ミシュランガイド掲載店の新業態、お好み焼きを代表とするご当地グルメなど、個性豊かでバラエティに富んだ21店舗が出店します。21店舗のうち11店舗が中四国初・中国地方初出店や新業態、また16店舗が広島の地元企業の出店です。日常的に広島駅をご利用になる地元広島の方や観光やビジネスで広島を訪れる方など、幅広いお客様に和、洋、中を取りそろえたバラエティ豊かなメニューや、厳選した“広島グルメ”を駅で手軽にお楽しみいただける店舗構成としました。中でもお好み焼きをはじめとする“ご当地グルメ”は、「廣島ぶちうま通り」とネーミングしたゾーンに集積させました。第3期以降も、本エリア隣接部分(旧フィットネスクラブ部分)を含めた新幹線高架下エリアに飲食・お土産・食料品店などが続々とekieに集積する予定であり、今後も駅から多彩な“食”のシーンをご提案してまいります。

 

 

・・・ekieダイニングは、開店前から長蛇の列ができていました。まずは、腹ごしらえです。 

 

《みっちゃん総本店》 

http://www.okonomi.co.jp/index.html

戦後焼け野原だった広島の★復興とともに、お好み焼のカタチが出来上がるまでには数々の歴史があります。その物語の中心的な人物であり、広島の街に「お好み焼」を誕生させた★“みっちゃん”こと井畝満夫(いせ みつお)。広島の街にお好み焼を生み出した一人として、半世紀以上の歴史を語り継ぎ、広島のお好み焼文化を守り続けています。昭和25年頃のお好み焼は、クレープ状の生地にネギとわずかな野菜をのせて焼き、半月状に折りたたみ、ウスターソースを塗って、薄皮と呼ばれる木の皮にのせ、新聞紙に包んで持ち帰る、おやつ感覚のものでした。昭和25年から30年代にかけて、“みっちゃん”のさまざまなアイデアやひらめきを取り入れながら、現在のお好み焼の原型へと変化させていきました。

 

 

《麗ちゃん》 

732-0822広島市南区松原町1-2 広島駅ekie1F/082-286-2382 

http://www.o-reichan.jp/

創業昭和32年。ソースなしでも旨味が味わえるよう、キャベツや麺などの素材にこだわり抜いています。4時間寝かせたモチモチの生地で、焼き手一人で丁寧に焼き上げた一品をどうぞ。2018年3月29日麗ちゃんは新しくekie1階に移転しました。今後とも変わらぬご愛顧のほど、何卒よろしくお願いいたします。 

 

《参考》毛利醸造株式会社「カープソース」 

http://www.mourijozo.co.jp/carp

カープソースは広島の舌の肥えたお好み焼き屋のオーナー様にご愛用頂いている、プロ専用のお好みソースです。ご指示頂く理由は「こだわりの味」と考えています。例えば、ソースの甘みをだすのにも人工甘味料は一切使用せず、野菜の甘さを生かしたり、昔ながらの粗糖を使用するなど、小さな素材から食べた後の安全性まで、全てを高いレベルで実現した、「こだわり仕立て」のソースだからと自負しております。 今後も、この「こだわり」を大切にし、お好み焼きの本場「広島」にふさわしい「本場の味」のみをお届けして参ります。 

お好みソースは戦後★復興の中で生まれました。戦後新天地公園に屋台が集まり一銭洋食などが売られていました。一銭洋食とは、小麦粉をクレープ状に引いたものにとろろ昆布、ねぎ、紅生姜などをのせ、二つ折りにしソースをかけたものでした。これに色々な食材を重ねるお店が出て厚みを増し、変化をしてきました。当時ソースはサラサラしたウスターソースが使われていましたので、お店の方々からもっと素材に絡みつくどろっとしたものは作れないだろうかという要望がでて、その時出入りしていた業者が各々試行錯誤して出来上がったと聞いております。毛利商店、毛利敬一郎(当社前会長)もその中の一人で大変な苦労を重ねてカープソースの前身「サクラヤソース」を完成させました。その後前社長、毛利満治が広島城が鯉城と呼ばれていたこと、鯉の滝昇りのように縁起よく、広く皆様に知っていただき使っていただけるようにと「カープソース」という名前にしました。

 

 

・・・「広島焼き」という人もいますが、大阪の「お好み焼き」とは、まったく違う広島の「お好み焼き」です。 

 

《「朝」/作:園鍔勝三》 

http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/kanko/data_mitsugi/02en/

広島駅に設置されていましたが、新幹線口(北口)広場整備後に再設置されました。また、新幹線口の通路にあった「再会」像は★圓鍔勝三彫刻美術館に移設されました。

http://www.takenakadouki.com/cms/w_all/cate_area/chugoku/hiroshima/post_1351.html

 

 

【圓鍔勝三】(1905~2003) 

広島県御調郡河内村(現在の尾道市御調町)生まれ、本名は勝二。16歳で彫刻家を志し京都に行きました。圓鍔は、幼年時代から決して器用な方でなくむしろ不器用であったと述懐しています。石割秀光に弟子入りしたのちも、努力と勉強熱心さにより、自己を形成していきました。23歳で上京し、澤田政廣に師事して、大正末から昭和の戦前にかけて起こった木彫界の新たな運動に加わり、明治以降の失われかけていた日本の木彫をよみがえらせました。圓鍔芸術の特徴は、木彫を主流としながらも様々な素材を使い作品を制作していることです。このことが、自由な表現の多様性を生み出しています。また作品は、夢とロマンに溢れ、雄渾に満ちた独自の境地を拓き、たえず平和を希求する心と生きることへの愛着が現れています。少年時代を過ごした、この御調の地での思い出が圓鍔作品のバックボーンとなっているようです。豊かな自然と細やかな人情、私たちが忘れかけている感情を思い起こしてくれる、そんな世界にふれることができると思います。 

 

【高橋秀】(1930~) 

http://www.shu-art.jp/index.html

広島県新市町(現福山市)生まれ。倉敷芸術科学大学名誉教授、秀 art studio主宰者。エロスの画家として知られ日本を代表する美術作家。絵画の他、版画、モニュメント、写真を制作している。1963年、安井賞を受賞後、イタリアに住む。2004年帰国し倉敷市玉島の沙美海岸に住居とアトリエを移す。世界中の美術館、公施設に作品が収蔵、展示されている。近年では岡山県立美術館、ふくやま美術館、世田谷美術館、京都市美術館などで大規模な展覧会が続けて開催され、芸術選奨文部大臣賞、日本芸術大賞、紫綬褒章などの受賞も多数ある。

 

 

《広島電鉄》 

http://www.hiroden.co.jp/index.html

広島電鉄は、広島県広島市を中心に、路面電車、バス、不動産を中心とした事業を経営する会社。1910(明治43)年に広島電気軌道として開業し路面電車網を広島市内で広げ、1931(昭和6)年には鉄道線として広電西広島~広電宮島(現広電宮島口)を開業。そして★原爆による被害や、路面電車排斥の流れを乗り越え、日本最大の路面電車を擁しています。 

http://www.uraken.net/rail/travel-urabe10.html

その車両はLRVから各地からの中古車まで、まさに路面電車の博物館です。 

 

・・・路面電車が来るたびに、わくわくします。