洲之内コレクション(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【佐藤清三郎】(1911~1945) 

新潟市生まれ。新潟尋常高等小学校高等科卒業後、銀行に給仕として採用され、のち支店長代理まで務めた。1935(昭和10)年、1938(昭和13)年、県展に入選。東京に行き三芳悌吉に教示を請う。新潟では小熊金之助、佐藤哲三に批評を求める。1945年応召したが、横須賀でグループ性肺炎のため死去(享年33歳)。死後、数点の油絵と、堀端や信濃川縁、働く人々、自画像などを描いた素描多数が残された。1973(昭和48)年★洲之内徹が自身の経営する現代画廊で遺作展を開催、さらに翌年1974年1月『藝術新潮』(気まぐれ美術館1「佐藤清三郎の周辺」)で紹介。1975(昭和50)年と1985(昭和60)年には新潟県新発田市の画廊たべが、また、1978(昭和53)年、新潟のアトリエ画廊が、それぞれ遺作展を開催。さらに、1987(昭和62)年、新潟市美術館の「夭折の画家たち展」に作品が展示される。1992(平成4)年『ひたむきな目 佐藤清三郎画集』が、田部直枝・佐藤ナホ・小沢清子・小島隆子・丸山哲男・大倉宏らの刊行委員会によって出版される。2000(平成12)年、新潟絵屋で、2004(平成16)年★「砂丘館」旧日本銀行新潟支店長役宅で、それぞれ遺作展。

 

 

●砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅を新潟市所有の芸術・文化施設) 

951-8104新潟市中央区西大畑町5218-1/025-222-2676 

https://www.sakyukan.jp/

日本銀行新潟支店は大正3(1914)年の開設(全国10番目)。支店長役宅は当初西堀前6番町にありましたが、柾谷小路の拡幅にかかり現在地に移転しました。敷地面積約523坪、延べ床面積役152坪。新築に要した経費39,752円(現在の3~4億円)。8代から37代まで30人の支店長が居住しました(平成11年10月まで)。平成11年保有資産見直しを図った日本銀行が役宅を売却することとなったため、新潟市が取得し、平成12年6月から一般公開されてきました。平成17年指定管理者の公募がおこなわれ、7月から芸術・文化施設として新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体による管理運営がスタートしました。独自の視角による「自主企画展」を柱に、音楽、舞踊、芸能などの「芸術文化の催し」、季節のしつらいや日本の伝統に親しむ「生活文化の催し」などの自主事業をおこなうほか、伝統ある空間を一般にも開放(貸出し)しています。 

★没後20年「洲之内徹と新潟」展 

2007年10月25日~11月18日 

https://www.sakyukan.jp/clip/clip22.html

★「洲之内徹と現代画廊」と2人の画家 前期:佐藤清三郎/後期:川北英司 

2014年 前期:佐藤清三郎 2014年4月12日(土)~5月11日(日) 

後期:川北英司 2014年5月14日(水)~6月28日(日) 

https://www.sakyukan.jp/2016/01/3665 

《洲之内徹が、気づこうとしていたこと》 

大倉宏(砂丘館館長・美術評論家) 

美術随筆「気まぐれ美術館」シリーズで知られる評論家・画廊主の洲之内徹の昨年は生誕100年。27年前、洲之内徹が亡くなる一週間前に偶然親しく話した。田畑あきら子のこと、誰だかのオートバイのこと、藤牧義夫、佐藤哲三のことなど。藤牧については友人だったとされるある版画家の名を挙げ、彼がもっと黙ると、いろいろなことが見えてくると思うと言った。近年刊行された、藤牧について驚くべき事実を告げる本を読み、洲之内徹もそれに気づこうとしていたのではないかと感じた。新潟の画家佐藤清三郎は「気まぐれ美術館」の連載初回に取り上げられた。そこで同じ新潟県の新発田の画家佐藤哲三と比較し、対象に田園のないことを訝しみ、清三郎は「都市の画家」であって、彼の絵に出てくる湿地の風景も郊外の一部と見るべきではないかと書いた。その時も洲之内はあることに気づきかけていたのではないかと思う。それは新潟という町の「非田園的性格」のことだ。近年新潟市で「水と土の芸術祭」があった。初回では新潟の歴史が「水との闘い」だったとの視点が前面に出たが、それに対し「水と闘いすぎた」歴史だったのではないかとの声を聞いた。蒲原平野はかつて一帯が、清三郎の絵に出てくる湿地だった。湿地の水を「排水し」干上がらせて次々田んぼにした。では湿地は単に克服すべきものだったかと言えば、そうではない。湖沼における漁業の存在はもちろんだが、一帯が湿地であることで、新潟には豊かな内水面交通が発達していた。海の道、川の道とともに湖沼の道の結節点にあったことで、新潟は豊かな都市でありえたのだ。湿地の干拓、田園化は、都市としての新潟の衰退、無個性化とリンクしていた。清三郎の素描は希薄化していく新潟のその個性の最後の余韻を見つめていたのだとも思える。「おいらん丸」追跡というエッセイで、洲之内徹は利根川、江戸川流域の関東の内水面交通の盛衰を追っている。晩年の10年洲之内の現代画廊で個展を続けた川北英司は、その利根川と周辺の湖沼の風景を坦々と描き続けた画家だった。清三郎の描いた新潟の周囲に川北の風景を置いてみると、かつての新潟が見えてくる気がする。川北の自画像が洲之内コレクションに入っているけれど、今回★新潟市美術館での「洲之内徹と現代画廊」展にはなぜか出品されていない。佐藤清三郎や川北英司、新潟の湖沼と内水面交通のことなど、時空を遡って洲之内徹と話したい。

 

 

《お知らせ》没後30年記念冊子『洲之内徹と新潟』を再販します 

https://www.sakyukan.jp/2018/03/6030

砂丘館で2007年に開催された「越後を愛した美術評論家没後20年『洲之内徹と新潟』展」にあわせ発行された冊子を10年ぶりに再発刊。佐藤哲三、佐藤清三郎、田畑あきら子、峰村リツ子、木下晋、栗田宏・・・・新潟の画家たちを愛した洲之内徹と新潟との関わりをひもとく一冊。あらたに別冊付録つき。 

『洲之内徹と新潟』 A5b版16頁/執筆:関川夏央、大倉宏/デザイン:上田浩子/編集・発行:砂丘館(初版2007年10月25日)/別冊:大倉宏『洲之内徹の最後の時間』付/販売価格600円

 

・・・注文しようかなあ。

 

 

【高見乾司】 

《NEWS》2017.5.7 西日本新聞より 

『神楽が伝える古事記の真相』著:高見乾司 

秋が深まると各地で神楽が催される。笛や太鼓の音が夜通し鳴り響き、舞人が舞う。神楽の中で、アマテラスオオミカミが隠れた天の岩戸の前でアメノウズメが舞う場面は「岩戸開き」と呼ばれる。この場面を中心に構成した神楽は宮崎をはじめ九州に多く、「岩戸神楽」と総称される。しかし、ひとくくりにしていいのか。高見乾司さん(68)は300座を超える宮崎の神楽を20年以上訪ね歩く中で、そう感じていた。「確かに岩戸開きをクライマックスにするのが定型ですが、椎葉神楽(椎葉村)で岩戸開きはほんのわずか。尾八重(おはえ)神楽(西都市)でも簡略な扱いで、アマテラスの面を額の横ちょに付けたりする」宮崎各地の神楽を比べるといろいろなことが見えてきた。「たとえば海幸彦。日南市一帯の神楽の中では、古事記や日本書紀に記されていない後日談が語られます」海幸彦は山幸彦にこらしめられた後、日南市付近に流れ着き、この地を治めて隼人族の祖になったという。ここには全国で唯一、海幸彦を主祭神として祭る潮嶽(うしおだけ)神社があり、一帯の人々は海幸彦と山幸彦のいさかいの種になった釣り針の貸し借りをしない。「ここの海幸彦伝承はフィクションでは構成できないほどの説得力がありますね」神武天皇の東征前夜について記紀の記述はわずかだが、宮崎には多くの伝承が残り、神楽に「神武」という番付(演目)もある。高原町の狭野(さの)神楽で剣舞を踊る少年は、幼い神武天皇とされる。宮崎市の宮崎神宮の近くを拠点に神武天皇が政務を執ったという伝承があり、神楽の「神武」もここを中心に分布する。「神楽と伝承を重ねると、大和王権前夜の“古代日向王朝”“南九州王朝”の姿が浮上してきます」。本書では、発掘成果に基づく考古学、文献を踏まえた歴史学とは異なる民俗学的な方法によって、南九州の古代史を考察した。宮崎の神楽で存在感を示す荒神や田の神、山の神らは、土着の人々。天皇家の祖先とされる外来の天孫族と、土着民との戦いと和解の物語が神楽に描かれているとみる。高見さんは大分県日田市生まれ。1986年、現在の同県由布市に★湯布院「空想の森美術館」を開設し、集めていた神楽面などの仮面を展示した。だが、経営難から2001年に閉館。宮崎県西都市に移り住み、07年、同市に★「九州民俗仮面美術館」を開いた。「宮崎に移ったときは、私は“失敗者”でしたが、宮崎の人は温かく迎えてくれた」神楽が伝わる地域には限界集落が少なくない。若い後継者を増やそうと、神楽の紹介に力を入れる。

 

 

《参考》インターネット空想の森美術館 

《森の空想ミュージアム・九州民俗仮面美術館》 

881-0026宮崎県西都市穂北5248-13/0983-41-1281 

http://kuusounomori.sakura.ne.jp/index.htm

《参考》洲之内徹氏からの最後の年賀状 

2012.3.27がんじいの骨董手控え帖〈10〉より 

https://blog.goo.ne.jp/kuusounomori/e/b1266d20d2d5e56bf98ebfd800a076fa

佐藤渓遺作展の最終日、現代画廊を出て旧式の手動式エレベーターに乗ったのは、なぜか洲之内さんと私の二人だけだった。「みんな、どこへ消えたのだろう・・・」と洲之内さんは不思議そうな顔をした。が、気を取り直したふうに、「スエヒロで焼肉でも食って別れよう」と私を誘って、銀座の焼肉屋に入った。その有名な店の肉は、由布岳の草原を歩き回った黒牛を食べ慣れた者としては少々物言いを付けたい程度のものだったが、別れ際に洲之内さんが言った二つのことは、私を驚かせる内容のものだった。その一つ。★「僕もねえ、あとどれだけ生きられるかわからないから、コレクションの行き場を探しているんだよ。君の★《空想の森美術館》が出来上がったら預けてもいいよ」もうひとつ。「それとね、君も現代画廊で君の絵の展覧会をしてください」この二つは、かなえられない夢として終わったが、今も私の心の中に大切な宝物として蔵われているのである。 

 

★「森の空想ミュージアム/森の空想工房」で行ってきた「自然布・染織ワークショップは、2009年4月に開館した★「石井記念友愛社内/茶臼原自然芸術館」へと移転しました。 

《茶臼原自然芸術館 (障害者就労継続支援B型事業所)》 

884-0102宮崎県児湯郡木城町大字椎木644番地1/0983-32-2025 

http://service.kijo.jp/~yuuaisya-shizengeijyutukann/geijyutukan.html

《石井十次記念館(資料館、研修館、方舟館、静養館、大原館)》 

http://www.yuuaisya.jp/shiryoukan

石井十次資料館は、石井記念友愛社の敷地の中にある施設で、石井十次の生涯とその足跡・記録等を保存・展示してある施設です。十次は、慶応元(1865)宮崎県児湯郡上江村(現在の高鍋町)生まれ。15歳で海軍士官を志しますが、病気にかかり帰郷。16歳で結婚し上江小学校の教師となりました。半年後、警察署の書記になったものの難病を患い、診察を受けた医師に勧められて岡山の医学学校へ入学。診療所で実習している時、四国巡礼途上の母と子に出会い、その子供を預かったことをきっかけとして、児童救済事業に入っていきます。その事業は、収容児童が一時期1,200人に達するなど、わが国で最初の本格的な孤児院でした。その後、茶臼原に分院を設置し、開拓事業を開始するとともに岡山から児童たちを移住させました。資料館には、48歳で亡くなるまで社会福祉事業に身を捧げた十次関連の資料がぎっしりと詰まっており、来館者に感銘を与えています。研修館には、児島虎次郎や藤島武二の絵画が飾られています。

 

・・・由布院へ、行きたしと思えども、湯布院はあまりにも遠し。しかし、いつか。

 

 

【後藤洋明】近代美術研究家(東京在住) 

『芸術新潮』に連載された「気まぐれ美術館」に感銘を受け、現代画廊を訪問。以来、洲之内徹と長く親交を続ける。『洲之内徹の風景』などで共著。膨大な資料から練り上げられた知識と眼差しは、多くの画廊で重宝されている。★由布院空想の森美術館発行の『空想の森から』にコラム連載。自称アートストーカー。 

《参考》吉岡憲に関する雑本ノート/後藤洋明 

http://www.inoha.net/artist/yoshi/goto/index.htm

★後藤洋明コレクション 

https://echo-ann.jp/exhibition.html?id=241

https://echo-ann.jp/exhibition.html?id=320

 

●三重県立美術館 

514-0007三重県津市大谷町11番地/059-227-2100 

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/index.shtm

★宮城県美術館所蔵「洲之内コレクション」気まぐれ美術館展 

2000年4月8日(土)~5月21日(日) 

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/53464036540.htm

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55393038466.htm

展覧会開催に当たり、宮城県美術館の皆様からは多大のご支援をいただきました。また、図録制作に当たっては、★後藤洋明(由布院空想の森美術館客員研究員)さんから貴重な研究成果の提供をいただきました。心から感謝の意を表します。 

 

《ギャラリー世都》 

114-0001 東京都北区東十条4-5-25/03-3919-7144  

http://gallerysetsu.blog29.fc2.com/

★それぞれの気まぐれ美術館「タナカスナオと現代画廊展」 

2007年 11月12日(月)~11月24日(土) 

評論家・洲之内徹氏の歿後20年となる今年、日本各地で「気まぐれ美術館」にかかわる作家の作品を集めた「それぞれの気まぐれ美術館」が開催されます。当ギャラリーも参加させていただくことになりました。企画★後藤洋明さんはじめ、洲之内氏にゆかりのある方々のご協力により、小規模ながら充実した展示が行えることと確信しております。展示期間中は洲之内氏の著作や貴重な写真なども閲覧可能になっています。ぜひ、ご来廊ください。