《NEWS》2017.4.30毎日新聞より
石棺レプリカ、津堂城山古墳出土の実物大。藤井寺市が製作/大阪
http://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/kofun/furuichikofungunnoshoukai/koramu/1459337476616.html
http://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/kofun/furuichikofungunnoshoukai/koramu/1459337572950.html
http://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/kofun/furuichikofungunnoshoukai/koramu/1459337642822.html
http://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/kofun/furuichikofungunnoshoukai/koramu/1459337589237.html
藤井寺市は、古墳時代中期に築かれた★「津堂城山古墳」(同市津堂)から出土した日本最大級の石棺の実物大レプリカを製作した。津堂城山古墳は市が世界文化遺産登録を目指す「古市古墳群」の最北端に位置し、市は「レプリカを通して、登録に向けた市民の関心を高めたい」としている。レプリカは、実物と同じ兵庫県高砂市産の竜山石(たつやまいし)が使われた。細かい加工ができる特徴を持つこの石材約16トンを組み合わせて製作した。長さ3メートル48センチ、幅1メートル68センチ、高さ1メートル88センチ。最上部の格子状の彫り込みや側面などにあった複数の突起も再現した。総製作費は約1200万円。津堂城山古墳は大型の前方後円墳で、古市古墳群にある大規模古墳の中では最も歴史が古い。国史跡にも指定されている。石棺は古墳と同時期に作られたとみられ、1912(明治45)年に見つかった。陵墓(皇族らの墓)と関係しているとみた宮内庁が埋め戻したため、現在は見ることができない。発見当時に調査した研究者が図面や報告書を残しており、今回はそれらを参考にレプリカを製作。津堂城山古墳に関する展示施設★「まほらしろやま」(藤井寺市小山6)の敷地内に設置した。施設は入場無料で、開館は午前10時~午後5時。
《史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」》
583-0033 藤井寺市小山6-5-6/文化財保護課072-939-1419
http://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/bunkazaishisetsu/1387869484942.html
津堂城山古墳は、4世紀末に古市古墳群の中で★最初につくられた墳丘長208メートルをはかる大型の前方後円墳です。「まほらしろやま」では、出土した埴輪や土器を展示し、イラストや写真でわかりやすく津堂城山古墳を解説しています。また、古墳の周囲には花しょうぶ園や草花園があり、四季折々の花を楽しむことができますので、お越しの際は、ぜひ散策してください。
・・・こういうガチャガチャは、子どもたちに興味を持ってもらうためにも大切ですね。また、遠方より訪問された方々の記念品としても有効です。
★「道明寺小学校」内に、2基の石棺が展示されています。
583-0011藤井寺市沢田3-6-37/072-939-7135
http://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/bunkazaishisetsu/1387870244795.html
http://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/shiteibunkazai/kunifusiteibunkazai/1387697728223.html
長持山古墳は、現在の道明寺小学校の北東にあった円墳です。墳丘は、直径約40メートル、高さ約7メートルありました。2基の石棺は、それぞれ1号石棺、2号石棺と呼ばれています。長持山古墳が造られ、石棺が納められたのは5世紀後半のことです。そして、石棺に葬られた人物は、東に接する同時期の前方後円墳、市野山古墳の被葬者と密接な関係があったと思われます。明治の初めごろ、日本に滞在していたイギリス人★ウイリアム・ガウランド氏は、日本の古墳についての研究論文の中で、長持山古墳についてもふれています。それには、2号石棺について、同古墳の「頂上に(中略)ほぼ全形を露出して」いる様子が、写真入りで報告されていました。その後、昭和21年(1946)に、大阪府教育委員会と京都大学が発掘調査を行い、すでに墳丘上に露出していた2号石棺の北側から、新たに1号石棺を発見しました。1号石棺は、川原石を積み上げて壁をつくり、天井も石で蓋をした竪穴式石槨という施設に覆われていました。そして、石槨内からは装身具・武器・武具・農工具・馬具など、副葬された様々な品物が見つかりました。ここで、2基の石棺について詳しくみてみましょう。これらは、阿蘇溶結凝灰岩という、阿蘇山の噴火でできた柔らかい石を、工具を用いて刳り貫いてつくられています。いずれも家形石棺と呼ばれるものですが、1号石棺と2号石棺の形を比べると、様々な違いのあることが分かります。1号石棺は、傾斜の強い屋根の形をした蓋と舟底の形をした身からなっています。そして、身と蓋の小口には一対の縄掛け突起がつくり出されています。これに対して、2号石棺は蓋の傾斜が1号石棺よりもゆるやかになっています。身も舟底の形のような丸みが少なくなり、四角い箱のような形に見えます。また、縄掛け突起は蓋の長辺側に二対計四個つくり出されており、これも1号石棺とは異なります。2基の石棺のこれらの違いはつくられた時期の違いを現わしています。そして、まず1号石棺がつくられて納められ、後から2号石棺がつくられて納められたと考えられるのです。2基の石棺は、平成4年から5年にかけて修復作業と保存処理が行われ、道明寺小学校の展示施設がつくられました。
《建通ニュースより》「市立道明寺小学校3・4号棟改築工事(Ⅱ期)」の予定価格は7億2997万8000円(税別)、最低制限価格は6億5698万円(同)。入札には今西組、大木建設(無効)、中林建設(辞退)、中道組、野村建設工業、富国建設、本間組、前田組、森長工務店(辞退)が参加した。工事の概要はRC造2階建て延べ約1900平方㍍の校舎と屋内運動場の新築、RC造2階建て延べ約700平方㍍の既存屋内運動場の解体、その他の外構など付帯工事。建設地は藤井寺市沢田3-6-37。工期は18年2月28日まで。
★2基の石棺は、現在、移設作業中のため、展示公開していません。
【William Gowland】(1842~1922)
http://www.britishmuseum.org/research/search_the_collection_database/term_details.aspx?bioId=148242
ガウランドは、明治政府から30歳の若さでイギリスから招かれた冶金技師で、★大阪造幣局に16年間勤めたが、日本の古墳研究の先駆者であって、日本考古学の父と呼ばれるとともに、「日本アルプス」の命名者だった。100ヶ所以上の古墳を調査して測量図や写真の記録を残し、イギリス帰国後に論文も発表、その際に持ち帰った考古資料群は大英博物館でガウランド・コレクションとして収蔵され、一部は常設展示されている。王立人類学協会の長を歴任し、イギリスの学会で活躍したが、1901年には傾いたストーンヘンジーの改修工事も成功させている。
《参考》明治大学博物館
101-8301東京都千代田区神田駿河台1-1
アカデミーコモン地階/03-3296-4448
https://www.meiji.ac.jp/museum/index.html
★企画展「ウイリアム・ガウランドと明治期の古墳研究」
https://www.meiji.ac.jp/museum/news/2014/6t5h7p00000htj0w.html
明治期のいわゆる「お雇い外国人」の一人であったウイリアム・ガウランドは、大阪に建設された造幣局の冶金の専門技師として勤めながら、100か所以上にのぼる日本各地の古墳を調査して測量図や写真という形で記録を残し、帰国後に論文としてその成果を発表しました。あわせて、イギリスに持ち帰った考古資料群はロンドンの大英博物館で「ガウランド・コレクション」として収蔵され、一部は常設展示されています。ガウランドの古墳研究は日本の古墳研究の先駆けとして高く評価されており、近年ではコレクションについても一般にその存在が知られるようになりました。明治大学博物館は、2006年に後藤和雄氏(元朝日新聞編集委員)よりガウランドが撮影した明治期の写真(複写)の寄託を受けたことを契機として、関係資料の調査と研究、また展示による一般への公開を行い、日本におけるガウランド研究の拠点となっています。また、日英の研究者で構成された研究グループ・GowlandProjectは、大英博物館に所蔵されているコレクションの全容の解明をめざして2010年から細部にわたる調査を進め、2011年には一瀬和夫氏(京都橘大学)をリーダーとして科学研究費(基盤研究B)を得て、過去にガウランドが調査した古墳の再調査を実施しています。その結果、現在の研究視点から分析することで、コレクションの全体像やガウランドの調査や研究の実像など、新たな事実が明らかになってきたのです。明治大学博物館とGowland Projectが共同で開催する今回の展示は、造幣局などに残された資料からガウランドの足跡をたどるとともに、日本の研究者によるこれまでのガウランド研究のあゆみを振り返ります。そして、芝山古墳・見瀬(橿原)丸山古墳・鹿谷古墳群などガウランドが調査した古墳の再調査や再検討の成果、また日本では直接見ることができない大英博物館所蔵コレクションについて、明治大学博物館が所蔵する明治期に撮影された古墳の写真の数々と、近年のGowlandProjectによる詳細なコレクションの実測図面と写真、そして3次元計測によって製作されたレプリカ等から、新たな成果とその実像について紹介します。
《参考》NHKスペシャル「知られざる大英博物館」
第3集『日本・巨大古墳の謎』
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20120708
ピラミッドや始皇帝陵とならぶ世界最大級の墓、巨大古墳。3世紀から350年に渡る古墳時代は、文字資料がほとんどないため、未だ謎に満ちている。その謎を解く鍵も、日本から遠く離れた大英博物館にあった。今から120年前に、一人の★イギリス人が日本から持ち帰った膨大な古墳のコレクション。日英の合同チームは、収蔵庫に眠り続けていたコレクションの本格的な調査を開始した。そこからは、日本独自の進化を遂げた巨大古墳の知られざる実像が、浮かび上がってくる。
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