パープルライン(10) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・とうとう最後のギャラリー、開廊日や時間などの調整つかず、のびのびになっていました。 

 

《谷町線「文の里」駅》 

545-0011大阪市阿倍野区昭和町1-1 

http://www.osakametro.co.jp/station-guide/T/t29/

旧南海平野線★文ノ里停留場の代替駅。代替なく廃止された同線苗代田停留場の代わりや股ヶ池停留場の代替もある程度引き継いだ。1980年(昭和55)11月27日 谷町線天王寺~八尾南間延伸時に開業。2018年(平成30)4月1日、大阪市交通局の民営化により、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅となる。 

《参考》「都島行き」「文の里行き」の廃止 

大阪市交通局は、平成29年3月25日(土)から、市営地下鉄谷町線のダイヤを改正します。今回の改正では、お客さまのご利用状況に合わせて、平日の朝ラッシュ時間帯(2分30秒~3分間隔で運行している時間帯)を繰り上げることにより、混雑時間帯に列車を増発し、混雑緩和を図ります。また、平日の昼間時間帯の全ての列車と、土曜休日の1列車を除く全ての列車を大日行または★八尾南行とし、市内中心部と周辺部の移動利便性の向上を図ります。 

阿倍野の歴史は弥生時代に始まったといわれ、「阿倍野」の地名の由来についてはいろいろの説があります。古代にこの地を領有していた豪族阿倍氏の姓からとする説、「万葉集」の山部赤人(やまべのあかひと)の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがありますが、豪族「阿倍氏」説が最も有力とされています。「あべの」の文字については、古来より、「阿倍野」「安倍野」「阿部野」などが使われていましたが、昭和18年に、もとの住吉区から分区して、阿倍野区が誕生したとき、区役所の土地台帳が「阿倍野」の字を用いていたので「阿倍野」の字になりました。 

●「文の里」:阿倍野区役所の所在地を含む東南方一帯の地に「文の里」という町名ができたのは、昭和26年2月20日であった。この町名は、南海平野線の駅名「文ノ里」に由来するものである。その駅名は、付近に桃山・明浄・天王寺・工芸高校など★学校が多かったところから、「文ノ里」と名づけられた。

 

 

《御堂筋線「昭和町」》 

545-0011 大阪市阿倍野区昭和町1 

http://www.osakametro.co.jp/station-guide/M/m24/

町名は、この地域の土地区画整理に当たった阪南土地区画整理組合の土地造成が、昭和4年に完成し、それを記念して年号の昭和を町名としたことに由来する。地下鉄が開通し駅名にもなった。 

 

《NEWS》2018.4.19あべの経済新聞より 

https://blog.showacho.jp/

昭和町で恒例イベント「どっぷり昭和町」開催へ、音楽ライブや昭和の遊びなど 

大阪メトロ・昭和町駅周辺で★昭和の日の4月29日、昭和をテーマにした恒例イベント「どっぷり、昭和町。」が開かれる。同駅近くの登録有形文化財★「寺西家阿倍野長屋」を中心に地元の人たちが主体となって始めたイベントで今年が13回目。数年前から、会場が公園や商店街などにも広がった。運営は実行委員のほか、ボランティアメンバーが支える。主なプログラムは、桃ヶ池公園で★木村充揮さん(憂歌団)らによるフリーライブ、阪南中公園で紙芝居や子ども向けの遊びを展開する「昭和の遊び広場」、文の里商店街で1980年代をイメージした装飾や店先ライブ、寺西家阿倍野長屋で長屋ライブなどを予定する。実行委員長の平川隆啓さんは「キーワードは街の大きな文化祭。桃ヶ池公園のトリは今年も木村さんで、地元ゆかりのいろいろなミュージシャンが来てくれる」と話し、「今年は街のファンクラブ『あいらぶ、昭和町。』も作った。昭和町、阿倍野を楽しむムーブメントにしたい」と意気込む。

 

・・・もうすぐです、木村充揮さん(憂歌団)のライブ聴きた~い。

 

 

《NEWS》2012.8.24あべの経済新聞より 

昭和町・築54年の古ビル再生-空室に主婦などがミニショップ7店 

下鉄御堂筋線・昭和町駅近くにある築54年の「昭南ビル」2階・3階にミニショップが続々とオープンしている。1959(昭和33年)建築の同ビル。2階・3階の多くが空室になっていたため、ビルオーナーが★丸順不動産(昭和町5)専務の小山隆輝さんに相談。小山さんは地域活性のコンサルティングなどを行うサルトコラボレイティヴ(帝塚山1)と組んでコンセプト作りに着手。「店を持ちたい女性の初めの一歩を応援しよう」とターゲットに決めた。貸室面積約3~4坪で、賃料は2万円台に設定。募集を開始する前にブログなどでうわさが広まり、店を持ちたい人からの問い合わせがあり、想いを共有できる人か見極めるようと面談を行うなどして出店者を選定。内装の改修工事代金は、入居者負担を軽減するためビルオーナーが一部負担。古い建物の味わいの残した改装工事を施した。開店を決めたのは7組で、約1カ月半で部屋が全て埋まった。業種はブリザーブドフラワー店・教室、ステンドグラス店、ビーズ教室、雑貨店など。ほとんどが「自分で店を持ってみたかった」主婦が大半を占める。出店者はテナント会を形成し、情報交換や広報の相談などをしながら助け合っている。ビーズで作ったアクセサリーの販売や教室を開く「Colorful~カラフル~」を開いた角谷さんは「やりたい事ができてうれしい」、手作り雑貨店「イロ・トリドリ」の澤田さんは「年始に雑貨店を開こうと決め、(本物件は)一目ぼれだった」と、それぞれ話す。今後、ホームページなどの開設、入り口看板の整備などを行い、集客を強化するという。小山さんは「昭和町はおしゃれなカフェや雑貨店が集まりつつあるエリア。店作りの経験がないので、皆さん、試行錯誤しながら頑張っている」と話す。 

《参考》「丸順不動産株式会社」 

545-0011大阪市阿倍野区昭和町5-12-23丸順ビル2階/06-6621-0201 

http://marujun.cocolog-nifty.com/log/

 

 

《アトリエとギャラリーMoi》 

545-0021大阪市阿倍野区阪南町1-50-28  

昭南ビル207号室/090-1585-1043 

http://moi6.com/apple1/

http://shonanbld.com/

★おきあがり小法師展覧会vol.4 

4月15日~29日 

おきあがり小法師展覧会vol.4は、16名300個の小法師が集まります。 

 

《起き上がり小法師》 

福島県★会津地方に古くから伝わる縁起物・郷土玩具の一つである。起姫(おきひめ)ともいう。会津の人にとっては「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具である。稚児をかたどった可愛らしさがある。会津地方ではこの小法師を「十日市」という毎年1月10日に行なわれる初市の縁日で家族の人数+1個を購入し一年間神棚などに飾る。古くは400年前に会津藩主・蒲生氏郷が藩士に小法師を作らせ正月に売らせたのがはじまりと言われる。

 

 

★2011年の東日本大震災からの復興応援のひとつとして、2013年に高田賢三の発起で、世界のアーティストによる「起き上りこぼし」絵付けプロジェクト「オキアガリコボシ・プロジェクト・フロム・ヨーロッパ」が開始された。 

https://www.facebook.com/OkiagariKoboshiProject/

http://www.ua.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/00_000670.html

 

★企画展「おきあがりこぼしプロジェクト 

明治大学展100人超のマンガ家によるかわいい社会支援」 

2018年2月9日(金)~5月20日(日) 

明治大学「米沢嘉博記念図書館」1階企画展示コーナー 

http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/

https://www.meiji.ac.jp/koho/press/2017/6t5h7p00000qa6fk.html

 

 

《参考》『山田民芸工房』 

965-0044 福島県会津若松市七日町12-35/0242-23-1465 

http://fukunotori.com/fight/500_iimono/yamadamingei.html

昔ながらの起き上がり小法師を作る工房も今では、山田民芸工房一ヵ所になりました。手作りにこだわる工房では、小法師作りは張り子の木型を削るところから始まります。完成した木型に和紙を何枚も貼り付け、張り子を作り、おもりをつけたら本体の完成です。出来上がった張り子に胡粉で白くお化粧し、漆の塗料で色をつけていきます。最後の仕上げは顔の描き込み。熟練された職人の手によって、にっこりと笑った愛らしい表情が生まれます。微妙に異なる形や顔つきは手仕事ならではのものです。山田民芸工房では、起き上がり小法師づくりの体験もできます。「起き上がり小法師のように、七転八起。日本全体が元気になってほしいと思います。」(山田民芸工房 5代目・山田賢治) 

 

《蛇足》喜多方ラーメン坂内「小法師」 

966-0816 福島県喜多方市細田7230/0241-22-0351 

http://ban-nai.com/kitakata.htm#

「東北の蔵の里」と呼ばれる喜多方。メインストリートはもちろん、裏通りや郊外の集落、深い山里まで蔵がありその数は合わせて4,000以上と言われています。そして、人口51,000人のこの町に、なんと120軒ほどのラーメン店があります。★本家「坂内食堂」も喜多方ラーメンの御三家の一つとして、雑誌やTV等で絶えず取り上げられています。麺は、ほどよく茹であげたシコシコとしたコシのある太めのちぢれ麺。極みは、とろ~りとろける自家製の特製焼豚、これだけを食べにくるお客様もいるという逸品。秘伝のあっさり味の豚骨スープ。50年以上守り通してきた自信が、一度食べると忘れ得ぬラーメン中毒ファンを作ってしまう。

 

・・・たかが「起き上がり小法師」されど「起き上がり小法師」、わざわざ喜多方までラーメン食べに行ったことも、思い出しました。これにて、「パープルライン」一件落着です。