鉄(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《大阪大学総合学術博物館》 

560-0043豊中市待兼山町1-20/06-6850-6284 

https://www.museum.osaka-u.ac.jp/

大阪大学は、その精神的源流である大坂町人の学問所の懐徳堂と適塾から多くの文化財を継承するとともに、1931年の創立以来の教育研究の成果として多数の学術標本を収集保存してきました。しかしこれらの貴重な標本を研究室や部局の枠を超えて統一的に保存・活用する組織がなく、学内の各所に分散して所蔵されている標本のもつ情報を一元的に管理し、学内の教職員や学生はもとより、学外の方々にも容易にその情報を利用できるシステムを整備することが急務となっていました。一方、1995年度に学術審議会学術情報資料分科会によって「ユニバーシティ・ミュージアムの設置について」が報告され、全国の大学で博物館の開設が進められることになりました。そこで、大阪大学でも博物館設立準備委員会が設置され、2002年4月に大阪大学総合学術博物館が全国で第8番目の国立大学総合博物館(省令施設)として発足しました。2002年10月には、「いま阪大で何が?-人間・地球・物質」のテーマで設立記念展を大阪歴史博物館・NHK大阪放送会館アトリウムにて行いました。それ以降、学内組織はもちろんのこと、大阪歴史博物館、NHK大阪放送局、豊中市教育委員会、千里ライフサイエンスセンター等、さまざまな学外組織と連携を行いつつ、企画展・特別展等をはじめ、さまざまなイベントを開催しています。2004年4月には、イ号館(2011年4月に全面改装し、大阪大学会館と改称)1階に「マチカネワニとキャンパスの博物誌」をテーマにした展示場を開設しました。2005年8月には、旧制高校の教材標本等を★待兼山修学館(旧医療技術短期大学部本館)に移設し、史料準備館として一般公開を行いました。待兼山修学館は、建物ごと全面改装し、2007年8月より3階建て+屋上ルーフテラスの待兼山修学館展示場として一般公開しています。待兼山修学館展示場は、1階にミュージアムカフェも併設し、教職員だけでなく広く地域の憩いの場としても活用され、今日に至っています。2012年には、待兼山修学館展示場に隣接する高機能収蔵庫が竣工し、適塾資料など貴重な学術標本を万全の体制にて保存できる設備が整いつつあります。

 

 

【待兼山修学館】 

https://www.museum.osaka-u.ac.jp/feature/shugakukan/

この建物は、1931年に大阪大学医学部の前身である、大阪医科大学の附属病院石橋分院として建てられ、近年は、医療技術短期大学部本館として使われていました。豊中キャンパスでは大阪大学会館に次いで2番目に古い建物です。2008年に国★登録有形文化財になり、待兼山修学館としてリニューアルオープンしました。修学館の後には標高77.3mの★待兼山があります。ここは古代から人がくらしており、いくつもの古墳が発掘されています。景勝地としても古くから有名で、「枕草子」にも記されています。展示室はもちろんのこと、ぜひとも屋上からの景色もお楽しみください。

 

 

●第17回企画展《野中古墳と「倭の五王 」の時代》 

2014年2月1日(土) ~ 2014年3月22日(土) 

https://www.museum.osaka-u.ac.jp/2014-02-01-2182/

1964年に大阪大学文学部により発掘調査された大阪府藤井寺市の野中古墳は、国の「世界遺産暫定リスト」にも記載された古市古墳群のなかでも、出土資料が質・量ともにもっとも充実した古墳です。とくに、11領が出土した鉄製甲冑は、規格的な鋲留短甲と眉庇付胄に加え、希少な襟付短甲と金銅装三尾鉄付きの革製衝角付胄からなる最古唯一の組合せ3領を含み、日本列島の中期古墳を代表する標識的な資料として広く知られています。このたび、同墳から出土した甲冑類について、文化庁の補助金※などにより新たに保存修復作業を行うことができたことから、これらの修復の成果を一堂に会して初披露いたします。またあわせて、大阪大学が調査を行ってきた河内周辺での遺跡調査の成果なども出品し、古墳時代研究の進展と「百舌鳥・古市古墳群」の★世界遺産登録に向けての一助にしたいと思います。

 

 

●第11回特別展 

四大文明の源流を求めて、探究の旅、描きとめる熱情「洋画家★中村貞夫」 

平成30年4月27日(金)~6月30日(土) 

https://www.museum.osaka-u.ac.jp/2018-03-30-12108/

 

【中村貞夫】(1934~) 

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/storyz/ou_ogob/201303_nakamura_sadao

府立大手前高校在学中に新制作展に初入選し、大阪大学文学部仏文科に進んでからも小磯良平、伊藤継郎に師事。昭和44(1969)年に新制作協会会員に推挙され、翌年に安井賞展に出品。初期の抽象的傾向を見せる作品から中期の《燔祭》など絵具の材質感を意識した重厚な画風を経て、昭和60(1985)年からは《富士》の四季を描いた連作を発表し、大地のような物質感とミルクのように白く耀く大画面に雄大な風景を描く画風を確立しました。四大文明誕生の地に滔々と流れる河川の源流を旅し、“水”の流れを描こうと志したのが60歳の時。最初はナイル川の源流から河口へ、続いてパキスタンを拠点にインダスシリーズに取り組み、70歳を越えて黄河と対峙した成果は、平成24(2012)年、北京の中国国家博物館での日中国交正常化40周年記念事業「黄河ー中村貞夫展」などでも公開されました。最後のメソポタミアは政情不安な中、ノアの方舟伝説が残るアララト山に到達しています。 

http://www.shinseisaku.net/wp/archives/3394

 

・・・中村さんのアトリエは、★羽曳野市にあります。★「畑田家」納屋を改装して、精力的に大作を描いておられるということです。ぜひ、この展覧会には行きたいものです。

 

 

【畑田耕一】(理学博士) 

1957年大阪大学理学部化学科卒。大日本セルロイド株式会社研究員を経て、1983年大阪大学基礎工学部教授。1994年基礎工学部長、1997年副学長、1998年大阪大学名誉教授。その後、福井工業大学教授、放送大学客員教授。1996年より豊中ロータリークラブ会員として、会長、国際ロータリー第2660地区職業奉仕委員長、地区研修委員などを務める。2005年より2015年まで大阪府登録文化財所有者の会会長、2015年大阪府登録文化財所有者の会名誉会長。

 

 

【畑田美智子】(ガラス工芸家) 

http://www.culture-h.jp/glass/index.html

https://www.osaka-cu.net/member/2017/02/14175241

http://www.nihonbijutsu-club.com/hatada/#top

 

・・・羽曳野の誇りです。古墳や建物など遺跡史跡も大切だけれど、結局ところ「ひと」が重要なんだとつくづく思います。