パープルライン(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「中崎町」「芝田町」「茶屋町」とキタ巡りをしましたので、そろそろ南下します。今回の企画は「パープルライン」ということなので、この機会に「谷町」について調べておきましょう。

 

《谷町9丁目》

谷町9丁目交差点は、谷町筋と千日前通が交叉する交差点で、地下鉄駅はこの地下に位置する。当交差点付近一帯のエリアは通称谷九(たにきゅう)と呼ばれる。地名は、西へ落ち込む上町台地の谷地形に由来する。駅の南側は大阪有数のホテル街があり、ホテル街附近のことを谷9(たにきゅう)以外に生玉(いくたま)、上六(うえろく)とも呼ばれる。発音は「た」にアクセントが置かれる。谷町筋に沿って1丁目から9丁目とあるが、6丁目と7丁目は西側へ広い。谷町筋の地下を通る大阪市営地下鉄「谷町線」においては、谷町4丁目駅、谷町6丁目駅、谷町9丁目駅の駅名に採用され、車内放送の発音もやはり「た」にアクセントが置かれる。 

近世においては、天満橋南詰(天満橋交差点)から高麗橋通(谷町1交差点)までが1丁目、思案橋通(谷町2交差点)までが2丁目、内本町通(谷町3交差点)までが3丁目と、3丁目までしかなかく、東側は大坂城大手前の武家屋敷地となっていた。ただし、3丁目以南にも谷町と付く町名や字名があり、農人橋通(谷町4交差点)までが錫屋町、久宝寺橋通(谷町5交差点)までが北谷町、安堂寺橋通までが南谷町と続いた。南谷町以南にも、谷町筋沿いは玉木町、万年町、立半町、柏原町と続いた。立半町と柏原町の西隣に生駒町・宮崎町・田島町と続いたが、この辺りは大坂城南惣構堀の遺構である空堀跡の一部で、東西に瓦土取場(瓦屋藤右衛門請地)が広がっていた。柏原町以南は西成郡西高津村領内となり、谷町8丁目筋寺町へと続いた。1872年(明治5)に谷町1丁目から3丁目、錫屋町、北谷町、南谷町を再編し、谷町1丁目から5丁目になった。この5丁目まではのちに東区となる東大組に属していた。一方、玉木町、万年町、立半町、柏原町はのちに南区となる南大組に属しており、同年に谷町筋6丁目と7丁目になった。また、谷町8丁目筋寺町を含む西高津村は1897年(明治30)に大阪市東区へ編入され、1900年(明治33)に谷町8丁目と9丁目が起立された。8丁目と9丁目は1925年(大正14)より新設の天王寺区に属し、1943年(昭和18)より区境変更に伴い南区に属した。また、この際に6丁目と7丁目が谷町筋から谷町へ改称された。1982年(昭和57)にもと瓦土取場だった東賑町、西賑町、南空堀町および田島町などを編入。現在の6丁目と7丁目が西側へ広い町域となっているのはこのためである。1989年(平成元年)に東区と南区が合併し、全域が中央区となった。

 

 

・・・さてなぜ「パープル」なのか、 

 

《参考》「大阪の地下鉄」著:石本隆一(産調出版:現ガイアブックス) 

1999年に発行されたこの書籍は、昭和8年の御堂筋線梅田~心斎橋駅開業時から、高度経済成長期における50系・30系や万博輸送、70系の花博輸送や当時最新鋭の21系18編成が運行開始されるまでの、大阪市営地下鉄「だけ」を扱った充実(重厚)した書籍です。大阪市営地下鉄は、路面電車と同様に公営としては我が国★最初の開業で、1号線(御堂筋線)梅田(仮)~心斎橋が昭和8年5月20日に開業しました。また、株式会社大阪港トランスポートシステム(OTS)は、元々、港湾事業を司る大阪市の第三セクター(港湾局所管)でしたが、南港・港区連絡線の新設に伴いこれを運行する受け皿となり、現在、市営地下鉄・ニュートラムのネットワークの一翼を担っています。本書によりますと、四天王寺~谷町界隈の沿線にはお寺がたくさんあり、そこに居るもっとも偉い僧侶が着る服★(紫色の袈裟)から来ているのだそうです。 

【石本隆一】 

https://www.jrc.gr.jp/

https://plaza.rakuten.co.jp/jrch2015/diary/

1963年大阪市生まれ。大阪市立都島工業高等学校土木科卒業。大阪市役所都市整備局計画開発部市街地建築課勤務。鉄道に造詣が深く、「鉄道友の会」阪神支部事務局長を務める。

 

《参考》鉄道バー「駅」立呑み 

543-0001大阪市天王寺区上本町6丁目3-31-B1-16/06-4305-1212 

http://www.hihitown.com/shop.php?id=17

2012年7月30日に開業したカウンター形式の立ち呑み屋。駅長(この店ではマスターをこう呼んでいる)大西さん「僕は生まれも育ちも大阪だったのですが、約10年くらい前に転勤で関東に行っていた際に、元々鉄道好きというのもあり東京都中央区日本橋堀留町にある鉄道系の立ち呑みバー『キハ』の常連客になっていたのですが、そこのワンカップ酒と缶詰が主体の立ち呑みバーという店舗形式に惚れこみ、大阪へ戻った暁には、ぜひこのスタイルのバーをやってみたいと思っていたら、2012年にその機会がやってきたので開業しました。日本酒をワンカップ酒で出しているのは、列車の中で呑んでいる雰囲気を店で味わっていただきたいという、先にも言った東京の立ち呑みバー『キハ』のコンセプトを見習っています。」鉄道好きの方はもちろん、旅行好き・お酒好きの方が気軽に集まるお店です。外観はモロ電車、旧国鉄の急行用ディーゼルカー「キハ58」を模して、外壁に「キハ58-0730」の文字、開業日の7月30日を意味しているのでしょう。店内(車内というべきか)には網棚や昔ローカル線の車内にあったような灰皿、吊革や吊り広告などがあしらわれて、京阪特急ばりに「テレビカー」で鉄道モノのDVDなどの放映もやっています。ついでに、地味に近鉄バファローズグッズなんてのも置いてます。場所柄、近鉄社員のお客さんも多いそうで、彼らに迎合してのことでしょうか。メニューは「運賃表」と呼ばれます。カップ酒を多く置いていて、電車をあしらったオリジナルラベルのカップ酒もあります。フードは「缶詰」がメインで、料理らしい料理は一切行いませんが、「鹿肉」とか「ヒグマ」とかマニアックな缶詰もあって面白い。生ビールはサントリープレミアムモルツ。キャッシュオンデリバリー方式で、カウンター上のお皿にお金入れとくと注文ごとに引いていってくれますが、鉄道バーらしく「回数券」なんてもんも使用可能。なお、退店時(下車時?)には、「ご乗車ありがとうございました。」と声をかけていただけます。

 

 

【ホルベインギャラリー】 

542-0064 大阪市中央区上汐2-2-5/06-6763-1521 

https://www.holbein.co.jp/company/holbein_gallery 

画材メーカーが運営する新しい企画画廊として、また貸画廊としてご利用いただけます。ギャラリーには、代表的なホルベイン製品を取り揃えたショールームを併設しております。絵画制作に役立つ情報の発信基地として、より一層のサービスの充実をめざします。

 


★2018年1月より、ギャラリーを一部改装いたしました。これまでのホルベイン本社東側玄関からショールーム&ショップ経由ルートに加え、新たに西側(裏通り)にもギャラリー専用の開放的な入口を新設。また、会場も広くなり、F8額装が68枚まで展示可能となりました。 

創業者である吉村峯吉は、16歳で故郷の和歌山県那賀町を離れ、大阪の靱(うつぼ)にて廻漕業を兼業していた材木問屋・吉岡商店に奉公した。この後、現役除隊を機会に独立して、北区出入橋において廻漕業を営むに至っている。やがて、当時心斎橋にあった辻本文具店の娘と結婚し、これが縁でまったく無経験の文具事務用品、次いで画材の業界を志すことになった。明治33年(1900)大阪中之島において吉村峯吉商店を設立、文具の卸・小売を始める運びとなった。かくてこの年をもって、ホルベイン各社の創業の歴史の始まりとしている。 

https://saas3.startialab.com/acti_books/1045174090/34002/_SWF_Window.html

1935年(昭和10年)に発行の総合カタログ。その時の社名は、吉村洋画材料店。画筆やパレットなどの商品は正確で美しい線画によって表現されている。ちなみに当時の価格は、スケッチ箱入りの油絵具と画材のセットが7円20銭。油絵用セーブルの平筆が1円20銭。

 

・・・ホルベインさんには、長年お世話になっています。久しぶりに絵具工場へ行きたいなあと、7月の見学会に申し込みました。

 

 

・・・「谷9」から「天王寺」へ。天王寺公園は、リニューアル工事中でした。 

 

《報道発表》2016.7.6 

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kensetsu/0000367522.html

大阪市では、公園の回遊性向上に向け、天王寺公園のエントランスエリア(官民連携事業愛称:「てんしば」)と美術館前エリアを★分断している柵や美術館下のゲート等の撤去、新たに園路整備などを行う工事を実施します。天王寺公園は平成27年4月の公園無料化をはじめ、エントランスエリアのリニューアルオープンや茶臼山周辺の再整備を行うなど、天王寺公園・天王寺動物園の魅力向上と集客力・ブランド力の強化に取組んでおり、今回の工事もその一環です。工事期間中、工事関係車両の出入りや騒音等で大変ご迷惑をおかけし、また、工事区域の一部で通行止めとなる期間があることをお詫びするとともに、ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。なお、工事完成後は美術館前エリアと茶臼山エリアの開園時間を、早朝や夜もご利用いただけるよう延長します。

 

 

・・・「公園★連絡橋」が撤去されてスッキリはするのですが、高い位置から全体を眺められる場所がなくなるのは寂しいですね。