・・・自宅リフォームを済ませ、これまで以上に快適な生活をスタートしましたが、残念なニュースがあります。
《NEWS1》2017.4.24産経WESTより
老朽化で大阪能楽会館が12月末、閉館へ
大阪の能楽公演の拠点として親しまれている大阪能楽会館(大阪市北区)が、老朽化のため12月末で閉館することが、関係者の話で24日分かった。年内の公演は予定通り実施するという。同会館は昭和34年、観世流シテ方の故大西信久さんが能楽専用ホールとして創設した。ヒノキ造りの本舞台に橋掛かりがある伝統的な様式で、1、2階の収容人員は計513人。JR大阪駅近くの繁華街にあり、公演や稽古などに利用されている。大西さんの孫で観世流シテ方の礼久さん(49)によると、天井や空調設備などの補修が必要な上、借地契約の更新で負担増が見込まれたため、存続を断念。借地契約が終了する12月末での閉館を決めた。礼久さんは「残念だが、どうしようもない。能舞台の移築先を探したい」と話している。
・・・それほど「能・狂言」に詳しいわけではありませんが、少しでも理解できるようになりたいと思っている矢先のことです。「河合町ようかいあ~とふぇす」で受賞した作品(恋しくば・・・)は、「キツネ」をテーマにしたものであり、能や狂言に多く取り上げられています。
《参考》能・狂言における「キツネ」
●「釣狐」/猟師に一族をみな釣り取られた老狐が、猟師の伯父の白蔵主という僧に化け、猟師のもとへ意見しにいきます。猟師ははじめ狐を釣ることを隠しますが、やがて認めます。白蔵主は、狐が本来神であること、退治された狐の執心が動物や人間を取り殺す殺生石になった故事を語ります。恐ろしい話を聞いて猟師は狐釣りを止めるといい、罠も捨てます。うまくいって喜ぶ狐は、帰路、小歌を歌い跳び回るうち罠を見つけ、餌に引き寄せられます。我慢できなくなった狐は「仲間を釣られた敵討だ。身軽になって食べてやろう」と理屈をつけ変身を解きに去ります。見回りに来た猟師は、罠の餌がつつかれているのを見て、本格的に罠を仕掛け隠れて待ち受けます。戻って来た狐は罠にかかりますが、猟師と渡り合ううちに罠を外して、逃げていきます。
【解説】鷺流での名称は「吼噦(こんかい)」。集狂言に分類される。披きとして扱われる演目の一つで、大蔵流では極重習、和泉流では大習と重んじられている。「猿に始まり、狐に終わる」という言葉があり、これは『靭猿』の猿役で初舞台を踏んだ狂言師が、『釣狐』の狐役を演じて初めて一人前として認められるという意味である。白蔵主の伝説を元に作られたとされており、多くの狂言師が、上演する際に白蔵主稲荷を祀る大阪府堺市★少林寺に參詣し、この稲荷の竹を頂いて小道具の杖として使っている。歌舞伎に本演目に取材した「釣狐物」がある。
●「小鍛冶」/夢のお告げを受けた一条天皇(980〜1011)の命により、勅使の橘道成は、刀匠として名高い三條小鍛冶宗近のもとを訪れ、剣を打つよう命じます。宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れない、と訴えますが、道成は聞き入れません。進退きわまった宗近は、氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣します。そこで宗近は、不思議な少年に声をかけられます。少年は、剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊の物語を語って宗近を励まし、相鎚を勤めようと約束して稲荷山に消えていきました。家に帰った宗近が身支度をすませて鍛冶壇に上がり、礼拝していると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れ、「相鎚を勤める」と告げます。先ほどの少年は、稲荷明神の化身だったのです。明神の相鎚を得た宗近は、無事に剣を鍛え上げました。こうして表には「小鍛冶宗近」の銘、裏にはご神体が弟子を勤めた証の「小狐」の銘という、ふたつの銘が刻まれた名剣「小狐丸」が出来上がったのです。明神は小狐丸を勅使に捧げた後、雲に乗って稲荷の峯に帰っていきました。
●「殺生石」/玄翁という高僧が下野国那須野の原(今の栃木県那須郡那須町)を通りかかります。ある石の周囲を飛ぶ鳥が落ちるのを見て、玄翁が不審に思っていると、ひとりの女が現れ、その石は殺生石といって近づく生き物を殺してしまうから近寄ってはいけないと教えます。玄翁の問いに、女は殺生石の由来を語ります。「昔、鳥羽の院の時代に、玉藻の前という宮廷女官がいた。才色兼備の玉藻の前は鳥羽の院の寵愛を受けたが、狐の化け物であることを陰陽師の安倍泰成に見破られ、正体を現して那須野の原まで逃げたが、ついに討たれてしまう。その魂が残って巨石に取り憑き、殺生石となった」、そう語り終えると女は玉藻の前の亡霊であることを知らせて消えます。玄翁は、石魂を仏道に導いてやろうと法事を執り行います。すると石が割れて、野干(狐のこと)の精霊が姿を現します。野干の精霊は、「天竺、唐(中国)、日本をまたにかけて、世に乱れをもたらしてきたが、安倍泰成に調伏され、那須野の原に逃げてきたところを、三浦の介、上総の介の二人が指揮する狩人たちに追われ、ついに射伏せられて那須野の原の露と消えた。以来、殺生石となって人を殺して何年も過ごしてきた」と、これまでを振り返ります。そして今、有難い仏法を授けられたからには、もはや悪事はいたしませんと、固い約束を結んだ石となって、鬼神、すなわち野干の精霊は消えていきます。
●歌舞伎「芦屋道満大内鑑~葛の葉」
http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/2222
陰陽師安倍晴明の出生の秘話を描く。平安の御代、晴明の父保名(やすな)は、婚約者を殺され心を病むが、婚約者にそっくりな妹の葛の葉姫に出逢って立ち直り、将来を誓った。あるとき追われる白ギツネを見かけて助けたのだが、悪人に痛めつけられてしまう。そこへ現れた葛の葉に介抱され、二人はそのまま夫婦になり六年がたった。二人にはかわいい男の子にも恵まれていたのだが…。
・・・「閉館」ニュースを悲しんでいたら、なんと、国内初の「ドローンミュージアム」が堀江に開館しました。
《NEWS2》2017.11.12産経WESTより
最新モデルが勢揃い!大阪・堀江に来月「ドローンミュージアム」開館
550-0015 大阪市西区南堀江2丁目3-12 ★アクサンビル/06-6539-1780
http://www.drone-museum.jp/index.html
小型無人機「ドローン」の最新機器などの展示・販売や体験、実演などが楽しめる国内初の「ドローンミュージアム堀江」(大阪市西区)が、12月上旬に開館する。空撮や測量などで導入が進む一方、落下事故などの危険性も指摘される。運営会社は「教室などを通じて安全性もアピールしたい」と意気込む。同館は、産業用ドローンの開発・販売などを手がける「スカイアスキー」(豊中市)が運営。ドローン業者間のパイプ役や一般の人たちにドローンの魅力をPRすることが狙いで、約200平方メートルの館内には、ドローンの展示だけでなく、安全教室や操縦体験などのコーナーが設けられる。展示されるドローンは、世界最大手のメーカー「DJIジャパン」の最新機体をはじめ、カメラセンサーを装備した機体や専用のIDカードで操縦者を認識しないと起動しない盗難防止装置が付いた機体など国内外約20社の機器が勢ぞろいする予定。このほかにも、最新テクノロジーを使った機種の操縦体験ができ、産業界などで活躍する機体映像の紹介、ワークショップやメンテナンスなども実施。また、ドローンの事業化を模索する企業や個人を対象にした相談コーナーやドローンを眺めながら喫茶を楽しめるカフェも設ける。館長の渡辺芽依さん(28)は「ドローンを身近に楽しめるスポットにしたい」と意気込んでいる。営業時間は午前10時~午後9時(火曜休館)。入館は無料で、年間約5万人の入場を見込んでいる。スカイアスキーは、3月に、熟練の操縦士育成を目指して屋内飛行訓練所を備えた「ドローンスクールジャパン(DSJ)大阪豊中校」(豊中市)を開校するなどドローンの普及も手がけており、今井雅晴社長(40)は「各メーカーなどが協力し合えるミュージアムを生かしてドローンファンを増やしたい」と話している。
・・・「堀江」に行ったら、ぜひ立ち寄りたいスポットです。
《参考》「アクサンミュージアム」
http://www.anncraft1976.com/museum.html
アクサンミュージアムは、1976年からの「大阪中之島アクサンギャラリー」の歴史を引き継ぎ、大阪南堀江でミュージアムとして、運営しております。アクサンミュージアムでは、世界をめざして羽ばたく若きクリエーターを応援しています。
★1F多目的ミュージアム(現ドローンミュージアム)
1976年から始まった中之島アクサンギャラリーのコンクリート打ち放しのイメージを基調とするアクサンビル。1・2階の吹き抜けのエントランスと入り口の一際人の目を引く約8mの高さを誇る自動ドアから入る壮大なスペースで、これからも様々なミュージアム展開を行って参ります。
●2F書のミュージアム
世界を舞台に活躍する★木村翼沙と共に、2008年より、従来の「二次元の書と三次元のデザインの融合」をテーマに追求して参りました。これからも書の普及と書の可能性を世界に広めて参ります。
●3F衣食住のミュージアム
料理とは食材のデザインとも言えます。料理コーディネーター立津志織と共に「衣食住のミュージアム」と「A3AExperienceAcademy」を焼きたてのパンのある食卓として展開しています。健康が何より美味しい物を創って食べて、身も心も健康のデザインを!
●4Fイベントスペース
約100人が収容できる当スペースでは、これまでも定期的に展示会・各イベント・コンサートなどを開催しています。「良く学び良く遊ぶ集いのスペース」として、展開しています。ご使用については、アクサンミュージアムまでご相談ください。
《水道記念館》
533-0024 大阪市東淀川区柴島1-3-1/06-6324-3191
http://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000211270.html
http://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000412074.html#5
水道記念館は、大阪市水道通水100周年記念事業として、水道の歴史やしくみ、水道水源環境に関する知識の普及啓発を図るため、柴島浄水場の旧「第1配水ポンプ場」(1914年(大正3年)から1986年(昭和61年)までの本市水道の主力ポンプ場)を保存活用し、1995年(平成7年)11月に開館しました。平成27年からは、水道事業の役割や水の大切さ、浄水場の仕組みなどについて、より一層理解を深めていただけるよう、個性あふれるキャラクター(じょう水ジョーと大阪水フレンズ)の映像や、グラフィックパネルを用いてわかりやすく紹介する学習施設となっています。★平成29年10月の学習施設リニューアル後は、春休み・夏休みの期間に加え、土曜日・日曜日・祝日(ただし、12月~2月の冬期除く)にも一般開放を行っています。水道記念館の建物は、建築家★宗兵蔵氏によって、1914年(大正3)に建てられ、現在は国の登録有形文化財に登録されています。
《参考》東畑建築事務所「レンガ造りのポンプ場のコンバージョン」
https://www.tohata.co.jp/works/?mode=show&seq=121
大阪市の水道百周年記念事業の一環として、1914年(大正3年)に建造されたレンガ造りの送水ポンプ場を水道事業の記念館に再生させたものです。原型の素朴な様式主義デザインを損なわないよう補修ディテールに留意しながら鉄骨による構造補強や内外装の改修を行いました。内部は博物館として甦らせ、従来の地下機械ピットの再利用を含めた回遊型展示空間を構成しています。
・・・春休みまでの、ガマンです。