花外楼 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「花外楼」での鑑賞会、ちょっぴり緊張しています。

 

 

《Y’sピア 北浜》 

541-0041大阪市中央区北浜1-1-12/06-6538- 4880(山根エンタープライズ) 

http://www.yamane-e.com/kitahama.html

大阪証券取引所が有る西日本の株の中枢・北浜。ここは、「民主国家・日本」を方向付けた歴史的に重要な「大阪会議」がまとまった地でもあります。集まったのは時の権力者・大久保利通、裁判所設置を条件に政権復帰することになった木戸孝允(元長州の桂小五郎)、議会設置を条件に政権復帰することになった板垣退助、彼らを結びつけた井上馨と伊藤博文ら・・・。この成果を受けて議会制民主主義を目指す「立憲政体の詔書」が明治天皇から発布されます。当館の隣地の料亭★「花外楼(かがいろう)」こそ、、明治8年1月~2月にかけて行われたその大阪会議がまとまった地であり、当館は、その花外楼さまが平成7年に建て初代オーナーを務めたビルなのです。今は縁あって私共が運営致しておりますが、江戸時代から明けて僅かの1870年代、世界でも最先端の三権分立・立憲政体をめざしたことは、私たちが誇りとすべき先人のスピリッツであります。この北船場や中之島の界隈には、明治期から大正、昭和戦前に建築されたレトロモダンな「近代建築」が散見されますが、当館は近代建築ではないものの、大阪都心のの幹線である土佐堀通に面して、近代のその高いスピリッツをレリーフで顕彰し、引き継いでゆきたいと考えております。 

 

 

《NEWS》2015.6.5船場経済新聞より 

大阪の老舗料亭「花外楼」が4月10日、リニューアル工事を終えて営業を再開した。1830(天保元)年の創業から、4代目の建物となる。加賀出身の伊助が開いた料理旅館「加賀伊」を起源としている同店。1875(明治8)年には、大久保利通、木戸孝允、板垣退助、伊藤博文、井上馨らが会談した「大阪会議」が行われ、その成功を喜んだ木戸が「花外楼」と改名を提案し、自ら看板を揮毫したという。互いに決裂していた者たちが平和的にまとまり、明治維新の礎を築いた場として縁起が良いとされ、企業の接待や祝い事の場として重宝されてきた。同店入り口には「大阪会議開催の地」の石碑が立つ。以前の建物は贅を尽くした造りだったが、新店舗はシンプルで飽きのこないものにしたという。土佐堀川沿いの立地を生かした川側は全面ガラス張りで、景観を楽しむことができ、室内には明るい光が差し込む。1階はロビーで、2階に40畳の「雪の間」、15畳の「月の間」、7畳半の「花の間」、15畳の「福の間」、掘りごたつ付き10畳の「寿の間」の全5室がある。客のニーズによって、「雪月花」「福寿」で1組あるいは2組の団体客に対応するなど、老舗料亭ならではのきめ細かいサービスを提供する。会席メニューは、「緑」(昼のみ、1万5,000円)、「泉」(昼のみ、2万円)、「風」(2万5,000円)、「空」(3万円)、「星」(3万5,000円)。別途、消費税およびサービス料15%が加算される。同店おかみの徳光正子さんは「実直で誠実な伊助が維新の人々の信頼を得たように、創業者の原点の思いに立ち戻りたい。顔合わせや還暦など、人生の特別な時に心を込めたおもてなしをしたい」と話す。リニューアルに際して毎月、イベント★「クレマチス」を開催。一般の人には敷居が高いと考えられている料亭内を見学し、割安な価格で昼食を楽しめる。詳細は同店ホームページで案内する。営業時間は、11時~15時、17時~22時(2日前までに予約が必要)。日曜、祝日定休(休日営業は応相談)。 

 

《参考》「アーキスタジオ哲」 

https://www.archi-tetsu.com/

 

 

《大阪北浜「花外楼」》 

541-0041大阪市中央区北浜1-1-14/06-6231-7214  

http://kagairo.co.jp/

花外楼は、天保元年創業。明治8年、日本の立憲体制の礎となる大阪会議の舞台となった料亭。名付け親は木戸孝允(桂小五郎)。大阪会議の成功を祝って「花外楼」と命名。初代伊助の「誠実」の志を大切に、日本料理の伝統とおもてなしの心を守り続けております。皆様にゆとりあるひとときをお過ごしいただけるよう、一同お待ちしております。

 

 

《参考》2014.10.14北浜「花外楼」季節のたより 

http://kagairo-tayori.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html

10月15日(水)から11月29日(土)まで、大阪商業大学商業史博物館にて、『浪速慕情-菅楯彦とその世界』という展覧会が開催されます。菅楯彦は、浪花の風俗をこよなく愛し、町絵師として市井に暮らしながら独自のスタイルを確立した明治時代の画家です。花外楼が所蔵いたしておりますお軸も出品させていただいております。お近くにお越しの際は是非お立ち寄りくださいませ。 

 

 

【徳光正子】(五代目女将) 

http://www.kitahama311.com/shinchiku/K1404001/spc_kagairo.html

天保年間創業の料亭・花外楼の長女として大阪船場で生まれ育ち、甲南大学文学部社会学科を卒業後、家業に従事。ホテル出店初代店長を経て企画室を創設し、室長に就任。自社ビル「アイルモレ・コタ」を企画プロデュースし、地域のイベント活動を後援。現在は、花外楼女将として母(大女将)とともにつとめる一方、旅行、油絵、観劇と趣味は幅広く、「女性の地位改善」と「国際的、地域レベルでの奉仕」等を目的とした、働く女性の国際ゾンタ26地区エリア4大阪Ⅱゾンタクラブ会長としてもさまざまな活動を展開。大阪商工会議所女性会会員、FEC国際親善協会女性会員など要職を兼務。

 

 

・・・なんとも贅沢というか、至福の時を過ごさせていただきました。ごちそうさまでした。