《出町柳駅》
https://eizandensha.co.jp/guide/station/demachiyanagi.html
「出町柳」で鴨川左岸(東側)の当駅周辺の地名として定着しているが、元は「出町」と「柳」の★二つの地名を合わせた駅名である。「出町」は鴨川右岸(西側、上京区側)の河原町今出川付近一帯を指す俗称、「柳」は鴨川左岸(東側、左京区側)の当駅周辺の字である。なお、叡山電鉄側の現所在地が「左京区田中上柳町」、京阪電鉄側の現所在地が「左京区田中下柳町」である。
《有頂天家族》作:森見登美彦
http://natalie.mu/comic/pp/uchoten2
http://uchoten2-anime.com/onair/
森見作品の中で「五男」、「毛深い子」と呼ばれる。幻冬舎より2007年9月25日に刊行された。森見作品初の、動物が主人公の小説。3部作となる予定の「たぬきシリーズ」の第1部に当たる。2015年2月26日に第2部に当たる『有頂天家族 二代目の帰朝』が刊行された。巻末に第3部の予告がなされている。2013年にテレビアニメ化され、2017年に続編が放送された。2013年12月、第17回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で優秀賞を受賞した。2016年9月18日に京都国際マンガ・アニメフェア2016にて原作第2部のアニメ化となる第2期『有頂天家族2』の製作が発表された。2017年4月より6月まで放送された。劇中に「偽叡山電車」が登場した縁から、叡山電鉄は2014年秋に「京都国際マンガ・アニメフェア」と連動する形で、鞍馬駅に展示保存されているデナ21形のカットボディを使ったイベント企画や記念乗車券発売、デオ720形を使ったラッピング電車など、各種タイアップ企画を実施している。「京都特別親善大使」就任にともない「おもしろき古都は、良きことなり」キャンペーン第1弾として叡山電車「有頂天家族号」が運行する。期間は2017年2月1日(水)~5月30日(火)。
・・・冒頭より長々と解説を掲載したのは、「カエル」が登場するからです。
【下鴨矢二郎】
森見登美彦の小説「有頂天家族」の登場人物である化け★狸。下鴨家の次男にして、主人公である下鴨矢三郎の兄。偉大なる父・下鴨総一郎から「暢気さ」の血だけを受け継いだような性格で、子供の頃から「やる気」の類を虎の子のように仕舞いこみ滅多に見せることのなかった怠け者。現在はとある理由から蛙に化けて六道珍皇寺境内の古井戸に引き籠っている。狸であった頃はちびっ子狸たちからすら馬鹿にされ、役に立たない駄目狸として誰からも相手にされていなかった。しかし井戸に籠った途端、老若男女の狸たちや天狗までもが悩み事を吐き出しに訪れて来るようになる。悩み相談抜きで訪れるのは、下鴨家の兄弟たちと夷川海星、やって来ても何も喋らない弁天くらいのもの。矢二郎自身は特に助言などをするわけではなく、ただ相手の話を聞くだけらしい。いつ来ても井戸の底に居るのが分かっているという「コンビニエントな感じ」がヒットの要因ではないか、と自己分析している。井戸に籠った時点で狸に戻る気はなく、現在では★蛙が板に付き過ぎて元に戻る術すらも忘れてしまった。かつては酒が好きで、特に偽★「電気ブラン」を好んで呑んでいた。
《参考》「電気ブラン」
当時電気が珍しかった明治時代に誕生した、ブランデーベースのカクテルである。大正時代に流行した文化住宅・文化包丁などの「文化…」、あるいはインターネットの普及につれて流行した「サイバー…」や「e-…」などと同様に、その頃は最新のものに冠する名称として「電気…」が流行しており、それにブランデーの「ブラン」を合わせたのが名前の由来である。発売当初は「電氣ブランデー」という名で、その後「ブランデー」ではないことから現在の商標に改められた。その度数は当時45度と高く、口の中がしびれる状態と、電気でしびれるイメージとが一致していたため、ハイカラな飲み物として人気を博した。ただし発売元の合同酒精では、電気ブランという名称の由来は「電気との言葉がひどくモダンで新鮮に響いたから」とし、「口の中が痺れるため」という説は否定している。ブランデー、ジン、ワイン、キュラソー、そして薬草が配合されている。材料の詳細、配合の割合は今も秘密にされている。
《参考》『人間失格』/著:太宰治(青空文庫より)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html
・・・それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、★「電気ブラン」の右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
・・・一度だけ試飲したことがあるんです(大阪ミナミのスナックで)もちろんホンモノ、懐かしいなあ。そして、飛び石に惹かれて「出町柳」から歩き始めてしまいました。「四条河原町」までは、ずいぶんと遠いというのに。だから寄り道・脱線の連続、お許しください。
《鴨川・高野川の飛び石》
http://www.pref.kyoto.jp/kyotodoboku/1345506984918.html
この飛び石は、河床の安定を図るという主目的のために設けた横断構造物(これを「帯工」といいます。)の上にいろいろな形に模したコンクリートブロックを配置したもので、水位が低い時には人が渡ることができるという二次的な役割を果たしているのです。今から約20年前に「河川環境整備」の一環で親水機能を合わせ持つ仕組みにチャレンジした技術職員の試みが「鴨川を代表する風景」へと成長した姿だったのです。「鴨川を元の姿に」や「自然に配慮した整備を」などの意見を述べられる方も大勢いらっしゃいますが、この「飛び石」に関しては「親水施設」としてのみならず「川を渡る為の生活施設」として小さな子どもから年配の方、更には愛犬まで数多くの足を受け止めてきました。そして私達はその存在を受入れ「昔からそこに存在していた」かの錯覚にさえ陥っています。
《河合橋》(昭和13年建造)
http://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000223061.html
下鴨神社の参道の入口にある橋。参道の途中に、摂社である河合神社があり、そこから名をとって橋名がつけられた。高野川に架かる橋で、大正7年に出町橋の分割によって建設された。現在の橋は、昭和10年の大洪水で流された後に再建されたもの。橋の欄干の意匠は、加茂大橋に倣っており、四隅に灯篭が立つ。
《出町橋》(昭和29年建造)
若狭街道の出発点(鯖街道口)。江戸時代以来、洛北から京都市街への出入口として重要な橋だった。かつては、加茂川と高野川の両方をまたいで出町と出町柳を一気に結ぶ長大な橋だった。大正7年に出町橋と河合橋に分割された。
《鴨川デルタ》
http://www.pref.kyoto.jp/koen-annai/kamo.html
鴨川三角州、出町三角州、出町デルタなどとも呼ばれている。「鴨川公園」は、京都市の中心部を流れる鴨川の河川敷に整備された公園です。そのさわやかな流れをはさんで南北に伸びる水辺の緑地は、市街地の中にある貴重なリフレッシュ空間としても、親しまれています。とりわけ丸太町橋あたりから柊野にかけては、芝生や運動広場をはじめ、整備のすすんだ美しいスポット。たとえば出町橋から北山大橋に至る東岸には、ジョギングロードや木立に囲まれた散歩道が整っています。また、出町橋近くの★合流部は、ウィークデーはビジネスマンやOLのランチタイムに、休日には親子連れなどで賑わう人気のエリアです。一方、竹田橋周辺から小枝橋までの下流緑地は、主に散策の場として地元の皆さんに利用されています。この河川敷が現在のように美しく整備されるようになったきっかけは、昭和10年の集中豪雨で鴨川が氾濫したこと。このため河川の大改修工事によって高水敷が整えられ、緑地化して運動広場や芝生地がつくられたのです。堤防上には当時のサクラやマツ、カエデ、ムク、エノキなどの老並木が残り、水辺に遊ぶ人々の姿を見守っています。
《参考》「京都迎賓館」
http://www8.cao.go.jp/geihinkan/kyoto/koukai-kyoto.html
海外からの賓客への接遇に支障のない範囲で★一般公開を行っています。急きょ接遇を行う場合には、予定されていた一般公開が中止になることがありますので、お出かけ前に必ず【当面の公開日程カレンダー】をご確認ください。Twitterでもお知らせします。 一般公開は、ホームページからの事前予約によるほか、事前予約なしでお越しの方も、当日配布する当日整理券で参観いただけます(先着順)。なお、当日整理券の配布開始は午前10時ですが、その直後は比較的混雑が見られます。熱中症などお体への負担を減らすためにも、落ち着いた時間を見計らってお越しください。
《京都府立芸術文化会館》
602-0858京都市上京区河原町通広小路下ル/075-222-1046
http://www.bungei.jp/index.shtml
京都府立文化芸術会館は、京都府開庁★100年記念事業のひとつとして、京都における文化芸術活動の拠点として、演劇・古典芸能・舞踊・音楽などの上演及び美術・工芸作品等の展示の両者を総合した文化施設として、1970 5年(昭和4)1月8日に開館しました。以来40年以上、京都における文化芸術の創造・発信の中核施設として広く利用されています。平成24年度より新たに指定管理者として、創((公財)京都文化財団・(株)コングレ共同事業体)が運営しています。展示室では、日頃の創作活動の発表の場として、様々なジャンルの展覧会を開催しています。
・・・「芸文会館」前には、いろいろ物議をかもした「京都府立医科大学附属病院」があります。
・・・記念撮影をされていましたが、今日は何か行事があったのでしょうか?HPで調べると、大学院医学研究科修士課程入試の合格発表の日だったようです。