中央区(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「北区」で発見した旧町名継承碑は、32碑+4看板でした。それを上回る46碑をゲットしたのは「中央区」です。それもそのはず、

 

《中央区》

http://www.city.osaka.lg.jp/chuo/page/0000000905.html

平成元年2月、★旧東区と★旧南区の合区により誕生した中央区は、市街地の形成としては、わが国初の都市である難波宮から、近世の大坂城築城を経て今日に至る長い歴史をもっています。証券、薬、卸商などの経済活動が活発に展開され、商店街、百貨店、飲食店街では賑いを見せ、区内各所には著名人にまつわる由緒ある寺社や歴史的遺物なども数多く存在します。また、大阪城公園を中心とした地域では、緑あふれる都心のオアシスとして観光客が訪れ、市民の憩いの場として大きな役割を担っています。中央区では、まちの歴史と伝統を引き継ぎながら、地域のみなさんの連帯感により、コミュニティを大切にする世代を超えた交流が脈々と続いており、「区民まつり」をはじめとした多くの行事が開催されるなど、歴史と文化に彩られた伝統を継承しつつ、新しい時代の経済・文化の中心として、また、国際集客都市を構成する中心区として、活気あふれるまちづくり、コミュニティづくりを進めています。

 

《NEWS》2014.3.18日本経済新聞より

大阪市営地下鉄・御堂筋線の淀屋橋駅あたりから南下すると「伏見町」「道修町」「平野町」・・・と★「まち」と読む町名が並ぶ。「淡路町」は同じ漢字の町名が東京都千代田区にもあるが、こちらは「あわじちょう」。「安土町」は滋賀県近江八幡市では「あづちちょう」と読む。大阪以外の地域では「ちょう」と読むことが多いようだ。もちろん、大阪市内でも「宗右衛門町」のように「ちょう」と読む町名はある。大阪市の地図を調べてみると、市内に「町」の字が付く町名は約150あり、半数が「まち」読み。しかし中央区に限ると★45のうち35が「まち」と読むことが分かった。市の中心部に集中しているため、「大阪は『まち』が多い」という印象を与えているようだ。東京都内では原則、大手町など★武家屋敷のあったところは「まち」、鍛冶町など★町人が住んでいた地域は「ちょう」と区別されているという。では大阪はどうなのか。「大阪『地理・地名・地図』の謎」などの著書があるノンフィクション作家の谷川彰秀さんに聞くと、「大阪天満宮や四天王寺の周辺などに『まち』が多く見られるので、★寺町が由来ではないか」という。確かに寺社の周辺に「まち」は多いが、「ちょう」も存在する。中央区は特段、寺社が多いわけでもなく、この説では説明しきれない。次に大阪歴史博物館の学芸員、八木滋さんを訪ねた。現在の中央区のあたりは、大阪城が築城されたのち、主に江戸時代に入ってから発展した。八木さんは「江戸時代から大阪は商人の町。武士はほとんど住んでおらず、身分や職業による区別はなかった」と話す。「ただ、江戸時代にはすでに『まち』と読む慣習が根付いていた」と言って、古い文献を見せてくれた。1842年(天保13年)刊行の「大坂町鑑」。当時の大阪の町名約600について、「まち」と読む町名には「町」の字、「ちょう」と読む町名は「丁」と分けて記載している。当時の人々がどのように「町」を読んでいたのかが分かる。「ざっと数えたところ、★3分の2程度が『まち』だった」と八木さん。「理由はよく分からないが、★古い町名がそのまま残っているところが多いことが、中央区に『まち』が多い一因ではないか」と指摘する。1962年に「住居表示に関する法律」が施行され、全国的に古い町名を整理して新しい町名に変える動きがあった。住所を頼りに訪問先を探し当てたり郵便物を配達したりしやすくするためだ。大阪市中央区の南船場や難波などはいくつかの町が統合されてできた新しい町名だ。ところが中央区のなかでも、長堀通以北の★旧東区と呼ばれる地域は、江戸時代からの町名がそのままというところが多い。薬問屋が集まる道修町や繊維問屋が集まった安土町、本町などは江戸時代、商いのまちとして栄えた。中央区道修町が本社のボンドケミカル商事の小西哲夫社長は、明治初期にこの地で創業したコニシの創業家。当時の事情について聞くと「この辺りには、江戸時代から続く料亭や商家が多く、地元への愛着が強い。古い町名を残すために団結した」と話してくれた。町内会長のような立場の人が中心になって、行政などへ働き掛けたのだという。道修町には今でも製薬会社の本社が立ち並び、「薬のまち」の面影を残す。船場大阪を語る会の三島佑一会長は「道修町は町内会で神社を造ってしまうほど、結束が強い」と話す。薬の神様をまつる少彦名神社は道修町に店を構えた薬問屋が造ったもので、毎年11月22~23日に開く祭りには、製薬会社など約350社が加入する薬祖講が運営。祭りの日には各社からのボランティアが集まり、見物客が道路を埋め尽くすほどだ。最近は新しいマンションやオフィスビルが増え、古くからの住人や商店は減ってきた。町名の由来を知る人も少なくなったが、歴史のある古い町名には先人の思いが詰まっている。

 

 

《参考》大阪市中央区は企業の街

http://www.f-kigyou.jp/

●旧東区

東区は東を大阪環状線、南をおおむね長堀通・安堂寺橋通・順慶町通、西を西横堀川、北を土佐堀川・大川・寝屋川に囲まれた、ほぼ長方形の区域です。大阪のシンボルでもある大坂城や、江戸時代から大坂経済の中心地だった船場もこのエリアに含まれています。大阪市内におけるステイタスエリアでもあるため、繁華な南区に対し「東区」にこだわる人も多いです。特に年配の方にはその傾向が強いです。

 

《参考》明治28年市町村新旧対照一覧(中村鐘美堂)

法円坂町 01広小路町 上本町一丁目 龍造寺町 十二軒町

神崎町 粉川町 住吉町 材木町 内久宝寺一丁目

内久宝寺二丁目 内久宝寺三丁目 内久宝寺四丁目 和泉町一丁目 和泉町二丁目

南農人町一丁目 南農人町二丁目 南農人橋一丁目 南農人橋二丁目 南農人橋詰町

両替町一丁目 両替町二丁目 常盤一丁目 常盤二丁目 槍屋町一丁目

槍屋町二丁目 内本町一丁目 内本町二丁目 内本町橋詰町 徳井町一丁目

徳井町二丁目 南新町一丁目 南新町二丁目 北新町一丁目 北新町二丁目

糸屋町一丁目 糸屋町二丁目 大手通一丁目 大手通二丁目 内淡路町一丁目

内淡路町二丁目 内平野町一丁目 内平野町二丁目 船越町一丁目 船越町二丁目

釣鐘町一丁目 釣鐘町二丁目 島町一丁目 島町二丁目 石町一丁目

石町二丁目 京橋町一丁目 京橋町二丁目 京橋町三丁目 高麗橋橋詰町

02豊後町 谷町一丁目 谷町二丁目 谷町三丁目 谷町四丁目

谷町五丁目 京橋前ノ町 03杉山町 大手前ノ町 馬場町

北浜一丁目 北浜二丁目 北浜三丁目 北浜四丁目 北浜五丁目

04大川町 今橋一丁目 今橋二丁目 今橋三丁目 今橋四丁目

今橋五丁目 高麗橋一丁目 高麗橋二丁目 高麗橋三丁目 高麗橋四丁目

高麗橋五丁目 伏見町一丁目 伏見町二丁目 伏見町三丁目 伏見町四丁目

伏見町五丁目 道修町一丁目 道修町二丁目 道修町三丁目 道修町四丁目

道修町五丁目 平野町一丁目 平野町二丁目 平野町三丁目 平野町四丁目

平野町五丁目 淡路町一丁目 淡路町二丁目 淡路町三丁目 淡路町四丁目

淡路町五丁目 瓦町一丁目 瓦町二丁目 瓦町三丁目 瓦町四丁目

瓦町五丁目 備後町一丁目 備後町二丁目 備後町三丁目 備後町四丁目

備後町五丁目 安土町一丁目 安土町二丁目 安土町三丁目 安土町四丁目

本町一丁目 本町二丁目 本町三丁目 本町四丁目 南本町一丁目

南本町二丁目 南本町三丁目 南本町四丁目 05唐物町一丁目 唐物町二丁目

唐物町三丁目 唐物町四丁目 北久太郎町一丁目 北久太郎町二丁目 北久太郎町三丁目

北久太郎町四丁目 南久太郎町一丁目 南久太郎町二丁目 南久太郎町三丁目 南久太郎町四丁目

北久宝寺一丁目 北久宝寺二丁目 北久宝寺三丁目 北久宝寺四丁目 南久宝寺一丁目

南久宝寺二丁目 南久宝寺三丁目 南久宝寺四丁目 博労町一丁目 博労町二丁目

博労町三丁目 博労町四丁目 北渡辺町 南渡辺町 上難波北ノ町

上難波南ノ町 06横堀一丁目 横堀二丁目 横堀三丁目 横堀四丁目

横堀五丁目 横堀六丁目

 

 

《参考》1873年(明治6)

大阪東大組8町(玉造大和橋町・玉造国分町・玉造★八尾町・玉造西伊勢町・玉造★半入町・玉造★左官町・玉造★越中町・玉造★紀伊国町)・大阪南大組7町(東雲町通一丁目・東雲町通二丁目・東雲町通三丁目・東坂町・禰宜町・岡山町・仁右衛門町)を本郡に編入のうえ西玉造村が起立。(62村)

 

《参考》大阪府立清水谷高等学校「沿革」より

https://www.osaka-c.ed.jp/shimizudani/introduction/history/history.html

1900大阪市立第二高等女学校が大阪市南区千年町で開校。大阪府第一高等女学校として設立認可の告示。

1901大阪府清水谷高等女学校の校名が告示される。大阪市★東区清水谷東之町に移転。大阪府清水谷高等女学校として開校・授業開始。開校の際に大阪市立第二高等女学校を合併。大阪府立清水谷高等女学校に改称。

1907「済美館」(木造)新築落成。

1925新校舎落成、鉄筋3階建「済美館」(同窓会館)落成。

1929郊外農園を開設。

1945大阪大空襲で校舎等被災。職員・生徒5名死亡。

1948学制改革により大阪府立清水谷高等学校となる。

1948大阪府立高津高等学校(旧制高津中学校)と生徒・教職員を交流し男女共学化。

1948校舎の一部を大阪市立天王寺第二中学校(1949年大阪市立高津中学校)が借用。

1949郊外農園を廃止。

1951高津中学校(現・夕陽丘中学校)が独立校舎に移転・退去。

1962高校生急増対策として校舎増築。

19952学期制を導入。新校舎竣工。

2001創立100周年記念式典。

20113学期制度実施。創立110周年記念式典。

 

 

《NEWS》2016.3.5日本経済新聞より

「渡しの辺り」古い地名に由来/全国の「渡辺さん」のルーツ

大阪市中心部の街角でふと目にした街区表示板に目を疑った。数字で表すのが当然の番地の欄に「渡辺」とある。渡辺といえば日本で数多い名字の一つだが、なぜそれが番地に使われているのか。何とも不思議な番地の謎について探ってみた。問題の表示板は地下鉄本町駅のほど近く、大阪市中央区久太郎町4丁目にあった。青い縦長の表示板の一番下に、確かに「渡辺」と記されている。付近を歩いてみると、同じ久太郎町4丁目の番地「1」や「2」の表示板も見つかった。中央区役所に問い合わせると、「確かに久太郎町4丁目には1、2、3番地のほか『渡辺』という番地があります」。1989年に東区と南区が合併して中央区となった際、この番地が生まれたという。いったいその時、何があったのか。詳しく聞こうとすると「坐摩(いかすり)神社に問い合わせるといいですよ」と教えてくれた。そういえば「渡辺」の表示板があった場所は神社だった。再度、現地へ。坐摩神社は大阪でも有数の古い歴史を持ち、地元では「ざまさん」の愛称で親しまれる。対応してくれた宮司さんに名刺を頂戴し、ぴんときた。「渡辺紘一」さんとある。渡辺さんはにこりとして言う。「お察しの通り、この番地は私の名字に由来しています」実は89年まで、坐摩神社のほぼ境内だけで東区★渡辺町を形成していた。ところが中央区の誕生に伴い、渡辺町は周辺の地区と統合され「久太郎町」となることに。渡辺町の名は消滅するはずだったが、それに待ったをかけたのが渡辺さんの父親の先代宮司だった。市議会など多方面に働きかけ、苦肉の策として番地として渡辺の名が残ることになったのだという。市町村と同様、区の合併でも多くの地名が消えるのが常のはず。なぜ「渡辺」に特例が認められたのか。「この神社が全国の渡辺姓の発祥の地という特別な事情を考慮してもらいました」と渡辺さん。全国の渡辺姓の人たちでつくる組織★「全国渡辺会」の応援もあったという。大阪の歴史に詳しい大阪城天守閣の学芸員、宮本裕次さんに聞くと「渡辺とは本来、現在の中央区の天満橋付近の地名でした」という意外な説明。渡辺とは「渡しの辺り」を意味し、旧淀川に臨む天満橋★船着き場を指し、平安期にこの地に定住した人たちが「渡辺」を名乗るようになったという。中でも有名なのが嵯峨源氏の子孫、渡辺綱。大江山の酒呑童子の退治伝説で知られる平安期の武将、源頼光に仕えた四天王の筆頭格として知られる。坐摩神社の渡辺さんも「私の祖先も平安期までに渡辺姓を名乗り、宮司を代々務めてきました」と言っていた。坐摩神社は豊臣秀吉が大坂城を築く際、現在の場所に移り、地名も付いてきた。長い年月の中で、渡辺姓の人々は全国に散っていったのだという。だが、一般的に名字は複数のルーツを持つことが多いはず。これについて「全国名字大辞典」などの著書を持つ姓氏研究家の森岡浩さんは言う。「渡辺は1カ所の地名から全国に広がった珍しい名字です」。その理由として、渡辺氏が嵯峨天皇の子孫である嵯峨源氏の名門であることや、渡辺一族が優れた操船技術を持っていたことなどから、長く特別扱いされてきたことが考えられるという。全国の渡辺さんにとって、坐摩神社こそが重要なルーツ。長い歴史の荒波を乗り越え、受け継がれた「渡辺」は、大阪が全国に誇るべき番地と言えるだろう。

 

 

●旧南区

南区は1989年2月13日まで大阪市にあった行政区です。現在の大阪市中央区の南部が旧南区にあたります。1869年に大坂三郷再編により、南大組が発足。1875年に大区小区制施行により、南大組が第2大区となりました。1879年には郡区町村編制法施行により、第2大区が南区となり、1889年の市制施行によって大阪市の行政区へ移行しました。南区廃止前の面積は大阪市26区のうち最小で、西半は大阪ミナミの繁華街が占めていました。現在、区役所の跡地は★大阪市立中央屋内プールとなっています。

《参考》明治28年市町村新旧対照一覧(中村鐘美堂)

空堀町 上本町筋二丁 上本町筋三丁 内安堂寺町通一丁目 内安堂寺町通二丁目

内安堂寺町通三丁目 松屋町 07南桃谷町 08北桃谷町 東新瓦屋町

西新瓦屋町 谷町六丁目 谷町七丁目 09田島町 瓦屋町一番町

瓦屋町二番町 瓦屋町三番町 瓦屋町四番町 瓦屋町五番町 10順慶町通一丁目

順慶町通二丁目 順慶町通三丁目 順慶町通四丁目 安堂寺橋通一丁目 安堂寺橋通二丁目

安堂寺橋通三丁目 安堂寺橋通四丁目 11塩町通一丁目 塩町通二丁目 塩町通三丁目

塩町通四丁目 末吉橋通一丁目 末吉橋通二丁目 末吉橋通三丁目 末吉橋通四丁目

横堀七丁目 12鰻谷東ノ町 13鰻谷中ノ町 鰻谷西ノ町 14大宝寺町東ノ町

15大宝寺町中ノ町 16大宝寺町西ノ町 東清水町 17西清水町 18大和町

19南綿屋町 20問屋町 21竹屋町 鍛冶屋町 22長堀橋筋一丁目

長堀橋筋二丁目 千年町 23玉屋町 畳屋町 24笠屋町

 

 

・・・画像から現在の場所を特定しにくいかもしれませんが、興味のある人は、それらしき場所を探検してみてくださいね。