★「百舌鳥・古市古墳群」が平成29年度の世界文化遺産推薦候補に決定しました
http://www.mozu-furuichi.jp/jp/
2017年7月31日、文化審議会世界文化遺産部会が開かれ、「百舌鳥・古市古墳群」が、平成29年度のユネスコへの世界文化遺産推薦候補に決定されました。今後★2019年(平成31)の世界文化遺産登録の実現に向け、取り組んで参りますので、引き続き、ご支援・ご協力いただきますようお願いいたします。
・・・ということで、やはり単独でテーマを設定することにしました。まずは1年前の話から、
《NEWS》2016.8.8産経WESTより
世界遺産「落選」は当然。文化庁が激怒した羽曳野市の大失態…パートナーの堺市も大迷惑
7月25日に開かれた国の文化審議会で、平成30年の世界文化遺産登録を目指す国内候補が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)に選ばれた。堺市などが猛プッシュしていた「百舌鳥・古市古墳群」は選から漏れた。実は、直前に羽曳野市が文化庁に★無断で国史跡の土地に砕石を敷きつめる工事を行う騒ぎを起こしていた。同市は「認識が甘かった」と釈明したが、文化庁などは「きちんと勉強してほしい」と怒り心頭。関係者の間では「これだけ自治体間の温度差があれば、選ばれなかったのも当然だ」との声も挙がっている。問題が発覚したのは2016年2月下旬。文化財保護を担当する府教委(現・府教育庁)の職員らが偶然、応神天皇陵古墳の西側に隣接する空き地を通りかかった際に「許可申請の内容と違う」と疑問に思ったことがきっかけになった。問題の土地には、約4700平方メートルに砕石が敷きつめられていた。この空き地は市有地で、古墳のすぐ近くに位置することから国史跡に含まれている。文化財保護法では国史跡の開発は制限されており、事前に所管の文化庁から許可を受ける必要がある。羽曳野市は当初、「天皇陵と一緒に花のある風景を楽しんでもらおう」と空き地を花畑として整備することを計画。「花畑整備のために土を埋める」という開発許可を府教委を通じて今年1月、文化庁の許可を得ていた。だが、2月上旬から始まった工事では、道路整備で使う砕石を敷いたうえで真砂土をかぶせることにしていた。だが、市は工事内容を変更したことについて文化庁などへの許可を届け出ていなかった市の説明によると、4月に世界文化遺産登録に向けたPR活動の一環として、この空き地を使った野外イベントを開催することを計画。その際にステージイベントも行うことから、「土では地盤が安定せず、雨が降ったときには足もとがぬかるむ可能性がある」との声が挙がり、工事内容を変更することにしたという。文化庁などは、市に現状復旧を要請し、市はすぐに砕石の撤去工事を始めて、3月18日に元に戻した。だが、一連の事業費は撤去費用も含めて総額約1090万円もかかっており、「しなくてもいい工事」のために★市民の血税が使われた形になった。この問題をめぐっては、羽曳野市の高崎政勝教育長らが文化庁まで足を運んで事情説明に行ったが、同庁担当者から直接、注意を受けたという。市の担当者は「1日だけのイベントだったので、文化庁などに断らなくても工事ができると思っていた。★認識が甘かった」と陳謝したが、文化庁や府教委側はカンカン。府教育庁の担当者は「文化財保護を★指導する立場にある行政が、どうしてこのようなことをするのか。きちんと勉強してほしい」とあきれかえっていた。ある関係者は、百舌鳥・古市古墳群が国内推薦を得られなかったことについて、「今回の騒ぎが、直接的な影響を与えたわけではないが、国内推薦を決める課程で大きなダメージになったことは否定できない」と指摘している。古墳群をめぐっては平成23年、大阪府と堺、藤井寺、羽曳野の各市が「登録推進本部会議」を立ち上げて、世界遺産登録をめざしてさまざまな活動を展開している。しかし、25年、27年と国内推薦は獲得できなかった。このため、2016年1月からは古墳周辺で新たな建築物を建設する際には高さに規制をかけ、外観を派手な色にしてはいけないなどと取り決め、各市で古墳群保護に動きだした。その一方で、文化審議会の審議対象になるように働きかけていたが、今年も“三度目の正直”はならなかった。事情を知る関係者は「堺市と羽曳野市の間で、世界文化遺産登録に向けた★熱意に差がある」と指摘する。実際に、堺市は登録推進本部会議で作ったのぼり以外に古墳群の世界遺産登録をPRするオリジナルのぼり100本を作成。市役所周辺に立てるなどして、市民らに国内推薦獲得の機運を盛り上げようとしていた。これに対して、羽曳野と藤井寺両市は「以前は作ったこともありましたが、古くなったのでもう表には出していません」(両市担当者)としている。両市には世界遺産登録を応援する個人、企業、団体などで構成する★「もずふる応援隊」があるが、「メンバーは頑張っているが、市民の間から熱意が伝わってこない」との指摘もある。世界遺産登録は夢のまた夢となってしまったが、羽曳野市の北川嗣雄市長は「今後も『百舌鳥・古市古墳群』が持つ素晴らしい価値を力強く発信し、登録のための課題解決、準備作業に取り組み、早期の登録を実現させたい」とコメントしている。
・・・羽曳野市民さらに「もずふる応援隊」としても、恥ずかしいニュースでした。平成29年度の世界文化遺産推薦候補に決定したとはいうものの、「認識」「熱意」等の課題は解決したわけではありません。地元の一人として、このブログを綴りながら何が問題なのか、何ができるのかを考えていきたいと思います。
★世界遺産暫定一覧表記載資産「準備状況報告書」より
百舌鳥・古市古墳群は、エジプトのクフ王のピラミッドや中国の秦始皇帝陵と並ぶ世界最大級の仁徳天皇陵古墳や応神天皇陵古墳をはじめ、世界的にも稀有な大きさで、しかも日本独自の墓形状である前方後円墳が累々と築造された、世界を代表する古代の王たちの墓群である。古代国家として統一化が進みつつあった3世紀中葉からおよそ400年間に、日 本列島内では前方後円墳をはじめとする多くの古墳が築造されたが、その時代の中でも荘厳な古墳が築造された4世紀後葉から5世紀後葉に形成されたのが、巨大前方後円墳を核とする百舌鳥・古市古墳群であった。百舌鳥・古市古墳群はまさに時代を象徴する資産である。百舌鳥・古市古墳群の最大の特徴は、王墓と呼ぶにふさわしい巨大前方後円墳が数多く築造されている点にある。さらにその墳丘の大きさや形の独自さに加え、濠を巡らせて墳丘を外界と隔絶し、墳丘盛土表面に葺石を施し、聖域を画するように埴輪を立て並べ、祭祀の場として造出部を後円部と前方部が接する付近に設けるという、墳墓構造の特異な点もみられ、古代日本の王墓としての威容をほこっている。 しかも巨大前方後円墳だけでなく、その周辺に大小規模の前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳が築造されている。とりわけ仁徳天皇陵古墳周辺で典型的にみられるように、王墓の周辺を衛星状に取り囲む中小規模の古墳は、王墓に対する従属性を象徴している。そこには王を頂点としたその時代の社会の階層構造が端的に表されている。 このように、百舌鳥・古市古墳群は人類に共通する顕著な普遍的価値を有している。
《参考》藤井寺市「古代史の謎」古市古墳群と百舌鳥古墳群より
http://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/kodaikaranomesseji/kodaishinonazo/1387340453180.html
同志社大学の森浩一さんは、百舌鳥古墳群と古市古墳群、さらに両者の中間地帯に造られた河内大塚古墳や黒姫山古墳を、合わせて一つの古墳群として理解すべきだと主張されています。確かに二つの古墳群は、造られた時期やいろいろな大きさの前方後円墳や方墳・円墳から構成されている点、また、同じ設計図を使ったのではないかと考えられる古墳があること、さらに副葬品に鉄製武器・武具が目立つことなど数々の共通するところがあります。でも、よく観察すると、違う点もあります。一つは古墳群の形成過程であります。古市古墳群では、★4世紀後半の津堂城山古墳に始まり、6世紀中葉の白髪山古墳(清寧陵)にいたるまで、間断なく巨大な前方後円墳を造り続けています。これに対して百舌鳥古墳群では、大仙古墳(仁徳陵)の築造前後に古墳群の形成が極めて活発になる特徴があります。つまり、★5世紀後半にピークがみられるということです。もう一つは、古市古墳群の総数95基のうち★方墳が40パーセントにあたる38基も造られているのに対し、百舌鳥古墳群では10パーセントに満たないという違いがあります。古墳群における方墳の占める割合に大きな違いがあるのです。その原因には両者の形成時期の違いのほかに古墳群の性格の違いを考えることができるかもしれません。このように、古市古墳群と百舌鳥古墳群では、群形成の過程や群を構成する古墳の形の比率に違いがみられるのも事実なのです。したがって、共通点と異なる点を正確なデータに基づいて、さらに突き詰めていく必要があるように思います。古市古墳群と百舌鳥古墳群を同一の古墳群として考えるかどうかの結論は先送りするとしても、両古墳群が極めて強い関係に結ばれていたことは、想像にかたくないところです。この二つの古墳群には、5世紀を代表するいくつもの巨大古墳が築かれていて、5世紀に活躍した大王の眠る奥津城(上代の墓)であることに疑いはありません。最近では、円筒埴輪の研究が進み、これらの巨大な前方後円墳が造られた順番に並べることも可能になってきているのです。
・・・「大阪府立近つ飛鳥博物館」館長・白石太一郎さんの講演の中で、専門家の中では「古市百舌鳥古墳群」とするのが一般であり、現在の呼び方は「世界遺産登録」を打ち出したのが「堺市」だったからでしょう、という話がありました。それはそれとして、まずは★「近つ飛鳥博物館」からスタートします。
◆【大阪府立近つ飛鳥博物館】◆
585-0001南河内郡河南町大字東山299番地/0721-93-8321
http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=index
★平成29年度夏季企画展「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に!―この夏、きみは古墳を知る―」
平成29年7月15日(土)~9月10日(日)
http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special
大阪がほこる巨大古墳群である百舌鳥・古市古墳群では、これまでに多くの調査・研究が行われ、 古墳時代を解き明かすためのカギとなる情報が多く得られています。また世界文化遺産への登録を目指し、 行政機関だけではなく学校や市民の皆さんによる活動も行われており、 現在でも地域に深く根差した遺跡ということができます。
今回の企画展では、百舌鳥・古市古墳群の最新の調査研究成果を交えつつ、古墳群の特徴やその価値を紹介し、 世界文化遺産登録へ向けたさまざまな取り組みを、夏休み中の子供たちにもわかりやすく伝えていきます。
《NEWS》2017.2.3朝日新聞デジタルより
560分の1の仁徳陵古墳/阪大レゴ部が1万個で再現
組み立て式玩具の「レゴブロック」で様々なモノをつくっている★大阪大学のレゴ部が、560分の1サイズの仁徳陵古墳(堺市)を制作した。パソコンを使ってデジタルデータで詳細に設計し、濠や墳丘の傾斜までリアルに再現した。阪大レゴ部は2012年の創部で、現部員は25人。昨秋、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録をめざす府・堺市・羽曳野市・藤井寺市でつくる登録推進本部会議が、子どもたちに世界遺産登録に関心を持ってもらえればと、同部に制作を依頼した。部員たちは、仁徳陵古墳の航空写真を取り寄せ、府立近つ飛鳥博物館(河南町)で墳丘の形を研究。レゴ社が配布している設計ソフトを使い、2週間かけて設計した。使用するブロック1万個は、海外のインターネットサイトで発注して取り寄せた。昨年12月、約1カ月がかりで組み上げた。部品代★約30万円は同会議が負担した。
《展示スケジュール》
http://www.mozu-furuichi.jp/jp/news/page/2/
平成29年3月13日(月)から3月17日(金)まで藤井寺市役所1階ロビー
3月18日(土)から3月30日(木)まで藤井寺市立生涯学習センター2階
4月3日(月)から4月14日(金)まで堺市役所高層館21階展望ロビー
4月18日(火)から4月26日(水)まで堺市博物館地下1階
4月30日(日)、5月1日(月)大阪大学豊中キャンパス全学教育講義C棟106
5月8日(月)から5月12日(金)まで羽曳野市役所本館1階ロビー
5月15日(月)から5月21日(日)まで羽曳野市立陵南の森総合センター1階
5月23日(火)から6月6日(火)まで大阪府庁本館1階正面玄関
★6月以降の展示予定については、改めて当ホームページにてお知らせします。
・・・と書かれていましたがその後のお知らせがなく、もうあきらめかけていましたが「近つ飛鳥」で出会えたのは、本当にラッキーでした。
《博物館バックヤードツアー 》
平成29年5月4日(木・祝)、7月16日(日)、7月30日(日)、8月6日(日)、8月20日(日)
http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=event/ichiran
普段は見ることができない収蔵庫などの博物館の裏側を見学します。★安藤忠雄建築がお好きな方にもおすすめです。当日の入館手続きが必要です。
・・・中央のコンクリート塔は★「黄泉の塔」と呼ばれるもので、年に数度、内部に入れる「バックヤードツアー」がありますので、もちろん参加しました。
《推進本部会議》
http://www.mozu-furuichi.jp/jp/conference/headquarters.html
大阪府、堺市、羽曳野市、藤井寺市は、平成23年5月12日、知事と3市長をトップとした「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議(以下「推進本部会議」という。)」を設立し、★4者が一体となって、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録の早期実現をめざした取組みを進めています。
・・・推進本部は4市によるものですが、★「南河内」全体が世界遺産にふさわしい日本の伝統文化の★原点でもあると思います。世界的な安藤忠雄さんの建築が「河南町」と「大阪狭山市」にあるというのも、その表れではないでしょうか。