《北大江公園》大阪市中央区石町1丁目
この場所は上町台地が大川(旧淀川)に向かって落ち込む突先にあたるため、公園から川の方に向かって味のある坂道が続いています。江戸時代の絵図を見ると、公園の中央部の園路は江戸時代の終わりごろには高倉筋と呼ばれる道路で、この坂道まで一続きだったようです。
《参考》「北大江たそがれコンサート」2017年10月8日(日)~14日(土)
北大江公園の周辺は、弦楽器やリード楽器など、8軒の楽器工房、楽器商が集まっており、知る人ぞ知る"楽器の街”でもあります。そして毎年秋になると「北大江たそがれコンサートweek」が開催されます。北大江公園★野外コンサートは10月14日(土)午後3時より開催予定です。
《参考》「三橋楼」
http://kitaoe.jp/archives/category/news
北大江公園の北側の一角、現在も風情を残す石階段の東側に、江戸期から明治期にかけて★「三橋楼」という大きな旅館がありました。幕末の志士や明治維新の立役者たちが祝宴や会議に利用したと言われています。天満橋、天神橋、難波橋の三橋を一望できる大きな旅館だったようです。北大江公園の周りにはたくさん旅館があったようですね。現在も南側には料亭★「大乃や」さん、東側にはあい粂旅館さんがあります。昔は京伏見との船の拠点として、たくさんの旅人が往来していたのだと思います。時代が遡って現在はたくさんの海外からの観光客の方が往来しています。そしてさらに不思議な歴史のめぐり合わせにより、その三橋楼の旅館の一角に明治期なぜかロシア正教会が開かれます。当時どういう方々がロシア正教の信者として通っていたのか、想像が膨らみます。三橋楼の建物が建替えられた後は、ロシア風の洋館の建物に代わり、第二次世界大戦で焼けた跡、さらにまた建て直しが行われ、昭和30年代頃まで北大江公園の北側に教会がありました。現在教会は吹田市に移っています。
《大乃や》
540-0034大阪市中央区島町1-3-5/06-4794-0007
昭和26年、大阪市中央区島町に産声をあげた大乃や。以来、培われた伝統と格式を受け継ぎ、季節の味とおもてなしに贅を尽くした日本料理店です。黒塀に囲まれた重厚かつ趣き深い外観、和にモダンを融合させた建物、そして優雅な中庭。都会の喧噪から離れたこの地だからこそ堪能できる
特別な時間がここにあります。
■建物名:パークヒルズゼンボー大手前/中央区島町1-3-8
作品名:流The Stream of Time/所有又は管理者:全帽社/制作者:崔石鎬、小松俊雄
【崔石鎬(チェソクホ)】(1955~)
1955韓国京畿道生まれ、ソウルの中央大学で絵画を学び、しばらく絵画作品を発表していたが、1992年に日本に移住。1999京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻終了、木彫に転向。日本の木の文化を研究するため、韓国から来られて20年になります。現在、関西を中心として 木の作品活動をしています。1995大阪トリエンナーレの彫刻部門で「幸福の門」が銅賞など、新鋭の作家です。大阪市内の土地の競売に絡んで、大阪地裁に作品を廃棄されたことがありました。 当時、分解した状態で土地にシートを被せて置いてあったらしい。競売にかけられ地裁は土地占有物として処分する前に、執行通知を土地所有者に郵送したらしいが、所有者が通知に気づかず、気づいた時には廃棄処分されていた。 作品は「歴史の門」というタイトルでその名のとおり、いくつかの分厚い木材で構成された門のような形をしている。処分される際には分解して置いてあり、作品に見えないので木材として処分された。
【小松俊雄】
540-0034大阪市中央区島町1-4-9パークサイドビル601/06-6943-0778
http://www.jcarb.com/Portfolio00000790.html
1962大阪工業大学建築学科卒業 。1962~1965㈱創建社伊藤建築事務所勤務。 1965㈱北田小松建築事務所共同設立。1974 ㈱小松建築事務所設立、現在に至る。
1998大阪市ハウジングデザイン賞受賞(グランソレイユ日本橋 14階 15,220㎡)
2002大阪府みどりの景観賞奨励賞受賞(グランソレイユ日本橋)
2002★大阪市都市環境アメニティ賞受賞(パークヒルズゼンボー大手前)
《(株)全帽社》
540-0034大阪市中央区島町1-3-8/06-6946-1810
http://www.hatandcap.or.jp/enterprise_pages/zenbosya/#top
私たちは帽子についてつねに研究をして、お召しいただくお客様の身になって、「日に新た」の精神でご信頼いただけますよう、親切なグレードの高い製品をご提案いたしております。全帽社は、ファッションリーダーとして、どこまでも挑戦してまいります。SINCE1928
・・・せっかくなので近辺を散策します。
《釣鐘屋敷跡》中央区釣鐘町二丁目2-11
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009652.html
寛永11年(1634)3代将軍家光が、大坂城へ来たとき、大坂町中の地子銀(じしぎん)(固定資産税)の永久免除を約束した。その恩恵に感謝して釣鐘をつくり町中に時を知らせた。この鐘楼は明治3年撤去され、釣鐘は大阪府庁屋上に「大阪町中時報鐘(おおさかちょうちゅうじほうしょう)」として保存されていた。昭和60年地元有志の努力によって、再び元の釣鐘屋敷地へ戻され、日に3回鐘の音をひびかせている。現地の町名、釣鐘町もこれによる。