・・・「御堂筋アート」は南北(タテ)に観てまわりましたが、次は「中之島アート」、これは東西(ヨコ)に移動することになります。
《キテ・ミテ中之島2017》
http://www.keihan.co.jp/traffic/kitemite/
芸術をきっかけに中之島を訪れ、愛着と理解を深めていただくとともに、中之島が持つ「文化・芸術の地」というイメージの発信を目指すもので、今回で6回目となります。「こころまちつくろう〜和気アイアイ〜」を合言葉に、「中之島エリア」の街にふれていただくべく、アート作品の制作や展示、体験型イベントを開催するなど、お子さまから大人まで交流を通して共に作り上げていきます。中之島が人をつなぎ、歴史をつなぐエリアになってほしいという思いを込めています。
主催:京阪ホールディングス株式会社、中之島高速鉄道株式会社
★企画:ドットアートコスモ右脳の散歩道ギャラリー©
541-0047大阪市中央区平野町1-4-1ハイネス北浜805(玉登ゆかり)06-6222-0050
http://www.designdot.co.jp/gallery-01.html
アートは、今の時代と真直ぐに向かい合い、問いかける重要な役割が在るのではと、「あなた」「わたし」の外∞内に侵入してくる何かを感じる(空間=時間)。(知覚)(アート)(現実)で、接点を問いかける(空間=時間)。新しい芸術家の開眼と立ち会う(空間=時間)。「水の波紋」の様に、自然と今という時代をとらえ、未来を感じ皆様とともに造り続けたいと思う。一枚の絵から 一つの作品からでも未来宇宙へと発信する。
【玉登ゆかり】
http://www.naragei.ac.jp/%E7%8E%89%E7%99%BB-%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A/
大正時代を彷彿させるビル(登録文化財建造物、船場ビル)の一室、柔らかな自然の光を取り込んだギャラリーで「心を癒すアートのための空間を持ちたかった」と語る玉 登ゆかりさんは奈良芸術短期大学染織コースの卒業生。大阪のビジネス街の中心、本町でギャラリー「ドットアートコスモ」を主宰している。子供の頃転校が多くて、自分をわかってもらうには絵を見てもらうのが一番と考えたのがこの道に入るきっかけ。染織コースで布と染料を知る。絵の具では表現できない染料の世界に、日頃見過ごしていた色たちと出会う。布との対話、染めの奥深さ・楽しみを知った。本学専攻科卒業後は中学校の美術科教諭になる。しかし「描く・つくり上げる」というモノ作りの魅力が忘れられず、教職からテキスタイルデザイナーに転職。自動車の内装やスポーツウエア、インテリア関連などテキスタイルデザインを手がけた。 1996年にアトランタオリンピックのシンクロナイズドスイミングの日本代表水着デザインコンペで採用された後、2000年のシドニーオリンピック、2001年福岡で開催された世界選手権、2002年韓国釜山で開催されたアジア競技大会の★シンクロナイズドスイミング日本代表水着を次々デザインし注目を浴びる。シンクロナイズドスイミングの水着は、選手の動きによってデザインのポイントを決める、選手の体を大きく見せるための色の割合を考えるなどが要求されると言う。「オリンピックの仕事をすることで、“描く・つくり出す”ことの責任を強く感じるようになったのです。物づくりの側だけで無い、大きな宇宙感や世界観の中で物づくりを考えていこう。作品鑑賞の場所というだけでなく、作品の力によって少しずつ社会の事柄(自然や社会 他)を、つくり手と観る側の両者が考えていける場所をつくりたい。それで1999年に“ドットアートコスモ”を立ち上げました」ある日、ギャラリーで作品を観て涙する人に出会った。「どうして涙するのですか?」と聞くと「その作品を観ていたら、ただ涙が止まらない」と言う。作品が、観る人の潜在意識の深くに眠っている何かを覚醒させたようだ。作品の持つエネルギーが人の心を揺さぶる。つくり手として大きな歓びであった。つくり手と観る側が作品を通 じて心を通わせる。このギャラリーはアートを真ん中にして両者の心を開放させる空間・宇宙でありたいと願う。現在、ギャラリーでは若手アーティストの個展などを開催して後輩たちを育成している。またドットアートコスモギャラリーの外での活動として、若いアーティストたちと一緒に「DOTキャラバン・ギャラリー」という移動ギャラリーを行っている。保育園や幼稚園に出向き、子供たちと一緒に作品づくりをするボランティアである。幼い頃にアートの世界を体験させ、モノづくりの楽しさやみんなで協力して一つのモノをつくり上げる喜びを教え、心豊かな人に育って欲しいと続けている。奈良芸術短期大学では、少人数クラスで先生方から丁寧に指導してもらえたことが有難かったこと。キャンパス周辺の静かな環境。また大和臨地研究の授業では、飛鳥・奈良など近辺の文化や遺跡を勉強するという内容もさることながら、他コース生とも一緒の授業で同級生たちと仲良くなれて楽しかったという。 在学生には「もっと社会に広く目を向けて作品づくりにチャレンジして欲しい。未熟さに恐れずにアピールしながら、今しかトライ出来ない事がたくさんあるはず。そして、アートは人に夢を与える事を実体験して欲しい。DOTキャラバン・ギャラリーに参加してみませんか」とのメッセージ。現在、染色作家としては心象風景を染色で表現する作品を制作している。無限の広がりのある色をどこまで進化させ自己表現できるか、今、人と作品の力のあり様の大きな魔力や魅了を感じ、人の心を鮮やかに染めたい、作品を創り続けたいと意欲を燃やす。競技用水着をデザインされる玉登さん、会う前はパワフルで活動的な女性のイメージを描いていたが、実際の彼女は穏やかな、そして凛とした美しさのある女性だった。これから玉登さんはどう進化していくのか期待したい。(1962年生まれ、兵庫県出身)
《参考》日本シンクロ『龍神舞い繚爛』平和の祭典第29回北京オリンピックに『天地繚爛』と『龍神』をテーマに「シンクロ チーム水着」08.7.24デザインDOT玉登ゆかり
http://www.designdot.co.jp/olympics-01.html
世界一シンクロを愛し努力家の選手の皆様と、世界一選手を愛し・支えるコーチの中で、アトランタオリンピックから北京と4回のオリンピックでお手伝いが出来た事、常に進化し続けるシンクロの姿に、強く心うたれ、デザイナーとして、選手の皆様と一緒に「表現者として日の丸を背負って仕事出来た事」、本当に光栄に思います。
『ありがとうございます。』表現者としてふたたび、表現できる嬉しさを体感し、興奮止まずです。今回のシンクロチーム競技、テクニカルは『天地繚爛』をテーマに、フリーは『龍神』をテーマに、新しい日本シンクロを表現。日本シンクロの存在感を凝縮した水着デザインをと、コンセプト「一つになりなれ」synchronizeと決め制作。
空想の動物である「鳳凰」・「龍神」を、前人未踏の地に、今、有らん限りの力で「本物の鳳凰」・「本物の龍神」へと、選手皆様&水着「一つになりなれ」、そして、メンバーが「一体」となった時に「鳳凰」・「龍神」となり、平和の祭典北京に生命の歓喜の歌い舞い繚爛と表現しました。
http://www.designdot.co.jp/index.html
●天地繚爛(チームテクニカル)
天と地・全世界に, お釈迦様言葉「天上天下唯我独尊」と音楽の中にあり深い意味をもった表現的世界、強烈な生命力、もう一度人間に、生命の歓喜の歌をと感じ。
みんなそれぞれにお互い自分というのは、、かけがえのない尊い存在・尊い命でありと伝え唱う、テクニカルル-ティンと感じ、崇高な精神・美しさを、鳳凰でdesign。
生命の歓喜の歌を、メンバーひとりひとりが、鳳凰になり平和の祭典に舞い繚爛するイメージデザイン。
●龍神(チームフリー)
龍神は空想の動物。日本では、龍神が水を司る神。宇宙創造の神。中国では皇帝のシンボルとしてあつかわれ、また、エネルギー&パワーを表現するシンボルでもある。東洋・西洋では、様々なとらえかたがあり、今回のテーマの龍神をどう表現するかと、禅寺ある龍神図を拝見しにまわった。どの龍もそれぞれ特徴があり、目を見張るべき迫力に圧倒された。その迫力を、デザインにしたい・メンバーひとりひとりが、三位一体となった時に龍神となり、世界中の人々の心に響きわたる『魂の声』を表現する水着。選手の方々の日々の鍛練した、肉体美・精神美をより強調し、魅力的に逞しく、
シンクロでしか表現できない美しさ、日本人でしか出来ない表現、世界に通じる表現。
「いのちの舞い」の表現と追求し日本観・世界観の美しさ上に、伝統を身につけながらも前進し、変化しながらも、その根底に美学を貫いた美しさ「静かに力強く・スマートにして敏速・柔らかく軽く」と、「リズム・バランス・ハーモニー」で、躍動したスポーツ感で現代美・時代の体現者で有りたいと願って「スポーツ」&「芸術」との総合スポーツであるシンクロの世界の奥深さを表現(デザイン)制作しています。
《京阪「中之島線」》
中之島線は、その名の通り大阪市北区の堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島を東西に貫くように走る路線である。京阪本線(淀屋橋延長線)の淀屋橋駅と北浜駅においては大阪市営地下鉄との乗り換えが容易であるのに対して、中之島線のなにわ橋・大江橋・中之島の各駅は、地下鉄の空白地帯に建設されたという側面もあって、大阪市営地下鉄の駅と直接に接続していない。他路線と地下通路などを介して連絡している駅は、天満橋駅を除けば渡辺橋駅のみであり、なにわ橋駅 - 北浜駅間・大江橋駅 - 淀屋橋駅間の乗り換えには土佐堀川を渡る一般道を利用する必要がある。京阪本線と合流する天満橋駅の配線は線路別複々線となっているのに対して、京橋駅の配線は方向別複々線となっている。このため、同方向に向かう中之島線列車と淀屋橋発着列車相互間の乗り換えは、天満橋駅よりも京橋駅において行う方が容易であり、実際に中之島線列車の待ち合わせは京橋駅で行われている。地下路線ではあるが、全線(駅間のトンネル内も含む)において携帯電話(ただし各キャリアとも第三世代に限る)の電波受信が可能となっている。天満橋 - なにわ橋間のトンネルではダクタイルセグメントを使用している。これは、同区間には活断層である上町断層が横切っており、断層のずれを考慮したためである。また土佐堀川の下を潜るため漏水事故対策として水密扉が2箇所に設置されていて定期的に閉鎖訓練が行われている。中之島駅・渡辺橋駅と大江橋駅以東との間を乗車する場合、および中之島駅と渡辺橋駅の間を乗車する場合に普通運賃で60円の加算運賃が適用されている。また、大江橋駅・なにわ橋駅と天満橋駅以東との間を乗車する場合は、それぞれ近接する京阪本線の淀屋橋駅・北浜駅との運賃と同額である。さらに、大江橋駅と淀屋橋駅、北浜駅となにわ橋駅は同一駅扱いで定期券を相互利用できる。
●「中之島駅」大阪市北区中之島5丁目
http://www.nrr.co.jp/station/nakanoshima.html
大阪国際会議場の副駅名を持つ。当駅は中之島線の起点であり、京阪の路線では最も西に位置する駅である。建設当初の仮称は★「玉江橋駅」だったが、2006年11月に現駅名が発表された。当駅は将来、計画中のなにわ筋線との乗り換え駅になる予定であるほか、中之島線は西九条を経て新桜島へ延伸する計画もあるが、いずれも着工および開通などの時期については未定となっている。ホームの終端部には、中之島線で最後のトンネル貫通区間であるなにわ橋駅と大江橋駅間で実際に使用したシールドマシンのカッター部分の一部がモニュメントとして保存されている。また、3番線ホームの終端部の裏には「坂陽日々新(はんようにちにちあらたなり)」の石碑が飾られている。ホーム側壁の素材は、日本の地下駅で初めて不燃木材を利用している。また、地下1階コンコースの大阪国際会議場寄りも不燃木材を利用した壁面・天井となっており、同線全体の象徴である「木」をイメージさせるデザインとなっている。改札口付近の壁面はガラスで構成されているが、これは中之島線全体の象徴である「水」をイメージしたデザインである。また、改札外のコンコースには、同線の着工から開業までの歩みを掲載した銘板「中之島線竣功之記」が設置されている。
《玉江橋》
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000023595.html
玉江橋は大江橋や渡辺橋と同様に、元禄期の堂島開発によって架けられた橋である。この時、古代大坂に架けられていたとされる堀江橋の名前で復活されたが、のちに玉江橋と変更されている。玉江の由来は、『中之島誌』によると、欽明朝のころ堀江で美しい玉が見つかり、堀川戎神社の御神霊としたが、その場所を玉江と呼んだという縁起から命名したとされている。江戸時代、玉江橋の北には肥後藩、中津藩の蔵屋敷があり、南には久留米藩の蔵屋敷や理宝院という薬師堂があり、縁日には大層賑わった。明治18年の大洪水で流失した後、一たん木橋で復旧されたが、明治42年の北の大火で類焼している。その後、昭和4年に第一次都市計画事業によって近代的な3径間鋼ゲルバー桁に架け替えられた。昭和44年には高潮対策による嵩上とともに下流側に新橋が架けられ、拡幅された。また、平成3年には改装工事が行われ、堂島川の常安橋とともに、現代的なアルミ製の高欄や照明灯、タイル舗装が用いられている。
《参考1》「堀川戎神社」大阪市北区西天満5丁目4番17号
http://www.horikawa-ebisu.or.jp/index.htm
《参考2》「ダイビル本館」大阪市北区中之島3-6-32
http://www.daibiru.co.jp/office_osaka/honkan/
●「渡辺橋駅」大阪市北区中之島3丁目
http://www.nrr.co.jp/station/watanabebashi.html
改札口は地下2階、ホームは地下3階に位置する。駅出入口や改札口の外側は中之島線の各駅共通の特徴である不燃性木材とガラスで構成された壁面となっている。ホームの壁面は中之島の「未来」をイメージした金属材を使用している。地下1階には飲食店が中心のエキナカ地下街である「MINAMO(ミナモ)」がある。かつてここにはアンスリーとサブウェイのコラボレーション店舗が存在していた。大江橋駅に設置されているものと同様の形態だったが、両駅のサブウェイは開業から半年足らずで閉店し、現在はアンスリーのみが残る。地下鉄四つ橋線の肥後橋駅(4号出入口)と中之島地下街を経由して繋がっており、中之島線の駅では唯一他の鉄道駅と地下通路のみを介しての乗り換えができる。