《手づくり郷土賞》国土交通省大臣表彰
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/index.html
日本の各地で、地域特有の自然や歴史、伝統、文化や地場産業等を貴重な地域資源として見直し積極的に利活用した、魅力ある地域づくりの事例が数多く生まれてきています。「手づくり郷土賞」は、このような地域活動によって地域の魅力や個性を生み出している良質な社会資本とそれに関わった団体のご努力を表彰するものです。また、これらの好事例を広く紹介することで、各地で個性的で魅力ある郷土づくりに向けた取組が一層推進されることを目指しています。「手づくり郷土賞」は昭和61年度に創設され、平成28年度で31回目の開催となる国土交通大臣表彰です。
●平成元年度:八尾市「生活の中にいきる水辺」玉串川桜並木
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/former_list/former_list.html
《御野縣主神社》
581-0846八尾市上之島町南1-71
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1355
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1365
旧河内国河内郡上之島村(八尾市上之島地区)の氏神。かつてこの地一帯を支配していた豪族・美努連(みぬのむらじ)、三野縣主一族の祖神である。創建の年代は不詳であるが、延喜式神名帳に河内国若江郡の御野縣主神社二座と記載されていることから平安時代以前にはあったとされる。1872年(明治5)に村社に列せられた。境内西側は小高い丘になっており、かつて西側に流れていた玉櫛川(旧大和川)の★堤防跡であり、現在ではここだけにしか残っていないとされる。八尾市の保全樹林に指定され、貴重な史跡となっている。境内の南に御野縣池がある。
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1369
本社のある場所から少し南、東山本町5丁目公園の脇にもう一座があり、「式部御野縣主神社」(式部之宮)とよばれる。こちらは狭い敷地内に社殿があるのみ。ここは旧高安郡万願寺村の集落はずれにあたり、かつて江戸時代中期に水利権争いで村が分裂し、式部集落が南の万願寺村に移ったときに分霊を勧請したものである。
・・・特に目的もなく散策して「旧大和川堤防跡」を発見するなんて、本当にラッキーでした。
《シラミ地蔵尊》
581-0847八尾市東山本町5-4
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1940
旧の万願寺村の北の入り口に道に面して地蔵堂があり、これをシラミ地蔵といいます。江戸時代前期頃の阿弥陀像です。花崗岩製の総高44cm、幅25cmの舟形光背に像高24cmの阿弥陀像を陽刻しています。堂の向かいに常夜灯一基が立っていました。善光寺、文化六巳年九月の銘文があります。この道は垣内の元善光寺への参詣道で、信濃の善光寺を建立した本田善光が難波の堀江に捨てられた仏像を拾い、国に帰る途中、垣内に一泊した時に通った道ともいわれています。また、俊徳丸が四天王寺へ通った道ともいわれています。俊徳丸が四天王寺からここまで帰ってくると、空が白んできたということから、シラミ地蔵と呼ばれました。なお、この常夜灯一基は、現在は垣内善光寺の門前に移されています。
・・・虫の「シラミ」かなと期待したのですが、そうではありませんでした。ちょっと残念。
《山本辻地蔵と道標》
581-0867八尾市山本町1-11
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1939
もと玉串川沿いにありましたが、道路拡張工事により、ここに移されました。正方形の台座の上に高さ70cm、幅36cmの船形光背に像高42cmの半跏相の地蔵石仏です。台石にも右信貴山、左立石越、文化六年十月建立俗名三太像と彫られています。道標を兼ねた石仏で、常時菅笠をかぶっています。隣にもう一体石仏が並んでいます。
《八尾市立山本コミュニティセンター》(山本図書館)
581-0867八尾市山本町1-8-11/072-995-3888
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1727
●「住友会所跡」
http://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1366
この地は大和川付替後、1708年(宝永5)玉串川河川敷に生まれた山本新田を経営管理した会所跡である。1723年(享保8)より住友氏が所有し、その後約二百二十年間を経て1940年(昭和15)に至り山本八幡宮更に八尾市に寄贈され現在に至った。この間1873年(明治6)山本小学校の前身、河内第四一番小学もここに創設され、常に河内山本発展の原点であった。
●「山本新田」
この地は、大和川付替え後、1708年(宝永5)に玉串川河川敷に帯状に開かれた山本新田のあつたところです。山本の地名の由来は、この新田開発を請け負った泉州箱作村の山中善兵衛とその子庄兵衛、および協力者の大阪平野の本山(加賀屋)弥衛門重英の名前の一字ずつをとって名付けられたといわれています。その後1728年(享保13)に、この地は加賀屋から大阪長堀の泉屋吉衛門(住友)に移り、同氏は現在の近鉄大阪線の延伸とともに始められた住宅開発によって分譲されるまでの約200年間、この地を所有していました。ここから東南約300m の距離にある市立労働会館は、この新田を経営管理した住友会所の置かれていたところで、同所には現在の山本小学校の前身である河内第四十一番小学も設けられていました。市立労働会館の敷地内には記念碑も設置されています。
《「桃林堂」山本駅前店》
581-0867八尾市山本町1-8-7/072-923-0002
http://www.tourindou100.jp/index.html
●桃林堂の由来:弊社の創業にあたり、「桃花源記」という俗世を離れた理想郷のひとつの物語より「桃林堂」と命名いたしました。
●風土菓の由来:その土地の気候など、自然の恵みによってなる菓子という意味をこめて名づけたもので、元来「風土菓」という言葉はなく、弊社製で御座います。天地の恵みであるこの菜根果実を使って自然の風趣と香味を菓子に再現したいと丹精しております。
・・・本店にも行ってみたいと思っています。さらに、登録有形文化財に登録されている創業地の建物も観てみたいものです。
★「板倉家住宅」河内木綿問屋旧屋敷(八尾市東本町)