写真の日(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「ニコンサロン」へ後期展示を観にやってきました。

 

★ニコンサロンbis大阪/6月1日~7日

「写真家150人の一坪展」後期展示

 

 

・・・「大阪写真月間」が目的で来ましたが、

 

《NEWS》2017.3.24毎日新聞より

第36回土門拳賞(主催・毎日新聞社、協賛・(株)ニコン、(株)ニコンイメージングジャパン)が梁丞佑(ヤン・スンウー)氏に決まった。受賞対象となったのは写真集「新宿迷子」(ZenFotoGallery)。梁氏にはブロンズ像「少女」と賞金が贈られる。授賞式は4月20日、東京・毎日ホールで行われ、受賞作品は4月11日発売の「サンデー毎日」(4月23日号)で紹介されるほか、受賞作品展が東京・銀座ニコンサロン(5月10~23日)と★大阪ニコンサロン(6月1~14日)で開催される。 作品は山形県酒田市の「土門拳記念館」で9月1日~12月24日に展示された後、同館に永久保存される。

 

 

梁氏の写真集は夜の新宿・歌舞伎町を「居場所」とする人々、またそこで起こったいさかいを1998年から14年まで捉えたスナップショットの集大成。モノクロームで写し取られた写真からは裸のままの人間の姿が浮かび上がり、読者は街と人間の持つ強烈な「におい」に引き込まれる。 日本有数の街での「ありさま」を記録し、社会に訴えた点が高く評価された。外国人の受賞者は初めて。 かつてニューヨークにウィジーという伝説の写真家がいた。警察無線を傍受して犯罪現場に直行し、闇の中をフラッシュ一閃、血まみれのギャングを撮影した。梁丞佑氏は、東京・新宿の歓楽街・歌舞伎町の路上で段ボール生活をしながら写真を撮り続け一冊の写真集を上梓した。その「新宿迷子」の頁を捲ると現れてくるのは、いわゆる裏社会の刺青を帯びたヤクザの集団や、駆けつける警官隊のブレた映像、ホームレスや風俗産業で働く女性たち……一見するとスキャンダラスな被写体を、荒々しい異界の光景を、この写真家は飽くまでも水平に、肯定も否定もしない視線で記録して行く。「全身小説家」という映画があったが、その意を借りていえば梁氏は全身が写真家である。手に持つカメラと自らの身体が瞬間的に反応して被写体に対峙し、写真は原初的なエネルギーに満ちている。そして特筆すべきは、後半に収められた、行き場の無い、多くの子供たちの写真である。出稼ぎの父親や夜の仕事で働く母親を待ちながら、深夜の町を彷徨している子供の姿が、胸を打つ。人が生きるとは何か。格差社会の現在、数々の問題を問いかけてくる。土門拳賞に相応しい労作である。

●受賞のことば

何も分からず日本に来てから丸20年。初めてこの国で見た風景は、一見ソウルとあまり変わりない東京の“景色”だった。しかし、その街の中にはカルチャーショックがつまっていた。牛丼屋で黙々と一人でご飯を食べ「ごちそうさま」と言って帰っていく人々。肩をぶつけ合いながら、狭い飲み屋で楽しそうに過ごす人たち。規則正しく礼儀正しい。堅苦しいかと思いきや、自由。誰に何を言われる事も無く、一人自由に何かをできるのではないか--。この国に住みたいと思った。そして写真に出会った。映画でも良かったが、一人ではできないし、絵画の才能は皆無。妄想しながら、黙々とつくる写真は私にぴったりだった。学生の間は奨学金、賞金、バイト、学校に「住み着く」などで、学費や生活費を捻出できたが、その後は想像を超える貧乏生活が続いた。自分がやっている事が果たして何の意味があるのか時々不安になった。表面的なインパクトのせいで、写真の内側をちゃんと見てくれていないのではないか。この作風と外国人だということで、心の隅に「自分は無理だろう」という気持ちもあった。賞を頂けた事で、そのもやもやが全て吹き飛んだ。学生の頃からあこがれていた賞だった。きちんと評価してくれる国なんだと思った。これを機に日本で写真をやっている外国人や、自分の作風に確信が持てないまま写真を続けている方々の勇気に少しでもつながれば。好きという気持ちだけで続けてきた20年。自分の写真の向上にいっそう精進してまいります。土門拳賞は、今日の写真文化の大きな流れのひとつをつくった土門拳の輝かしい業績をたたえ、毎日新聞社が創刊110年記念事業のひとつとして、1981年に制定。毎年、プロ・アマを問わず優れた成果を上げた写真家を表彰している。《選考委員》大石芳野(写真家)、鬼海弘雄(写真家)、鈴木龍一郎(写真家)、池澤夏樹(作家)、松木健(毎日新聞東京本社編集編成局長)(敬称略)

【梁丞佑(ヤン・スンウー)】

1966年韓国生まれ。96年来日。2000年日本写真芸術専門学校卒業。04年東京工芸大学芸術学部写真学科卒業。06年同大学院芸術学研究科修了。01年、05年上野彦馬賞(日本写真芸術学会奨励賞)受賞。写真集に「君はあっちがわ僕はこっちがわ」(06年)、「君はあっちがわ僕はこっちがわ2」(11年)、「青春吉日」(12年)など。

 

・・・森山大道さんの作品を観た時と、同様の衝撃を受けました。さて先日、その森山さんの写真展を開催していた「ビィジュアルアーツ」ギャラリーへ。

 

 

《ビジュアルアーツ専門学校》

530-0002大阪市北区曽根崎新地2-5-23/0120-69-2299

http://www.visual-arts-osaka.ac.jp/

★ビジュアルアーツギャラリー

http://www.visual-arts-osaka.ac.jp/vag/

 

★大阪写真月間2017シンポジウム

2017年6月11日(日)14:30~16:30

ゲスト:森村泰昌(美術家)氏「写真が表すもの、写真に現れるもの」

聞き手:菅谷富夫氏(大阪新美術館建設準備室研究主幹)

会場:アーツホール(ビジュアルアーツ新館3階)06-6341-4407

 

・・・ゲストが「森村さん」ということで、参加申し込みをしました。

 

 

・・・すぐ近くにある「デザイナー専門学校」ギャラリーにも立ち寄りました。こちらも「安達学園グループ」です。

 

《大阪デザイナー専門学校》

530-0003大阪市北区堂島2-3-20/0120-59-2299

http://www.odc.ac.jp/

昭和33年(1958)大阪デザイン研究所設立

昭和37年(1962)大阪デザイナー学院設立

昭和42年(1967)大阪デザイナー学院堂島校舎完成

昭和43年(1968)学校法人大阪デザイナー学院認可

昭和51年(1976)専修学校設置基準制度擁立

昭和52年(1977)大阪デザイナー専門学校(旧大阪デザイナー学院)専修学校認可

昭和53年(1978)大阪デザイナー専門学校堂島校舎完成

昭和59年(1984)大阪デザイナー専門学校堂島新校舎完成

平成13年(2001)大阪デザイナー専門学校(大阪安達学園)トレーニングセンター完成

平成29年(2017)学校法人名称を東京安達学園に変更

 

 

・・・「石膏室」、ついつい覗き込んでしまいます。美大を受験するにあたって、本当に毎日毎日苦労したことを思い出します。でも、今から思えば楽しい日々でした。