《ニコンプラザ大阪》
530-0001大阪市北区梅田2-2-2
ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階/06-6348-9698
http://www.nikon-image.com/support/showroom/osaka/
●大阪フォト・プロムナード/5月11日~6月9日
杉本奈々重氏写真展「シチリア島を旅して -Omaggio all’Italia-」
●大阪ニコンサロン/5月25日~31日
久保圭一写真展「潮まかせ風まかせ」
★ニコンサロンbis大阪/5月25日~31日
「写真家150人の一坪展」
《リニューアル「THE GALLERY」》
http://www.nikon-image.com/activity/salon/info/
「ニコンサロン」は、ニコン創立50周年を記念して1968年1月に銀座三丁目に開設された、写真文化の普及・向上を目的とする写真展示場です。開設記念となる第1回写真展「木村伊兵衛の眼」を開催以来、写真の展示や講演会の開催など、多くの写真家・写真愛好家の方々に写真活動の場を提供してきました。その後1971年6月に「新宿ニコンサロン」、1974年3月には★「大阪ニコンサロン」を開設、より幅広い写真活動の場として活用していただきました。2017年、ニコン創立100周年を迎えるにあたり、ニコンサロンは写真展会場をリニューアルいたします。リニューアル後「銀座ニコンサロン」は公募作品のみを展示する写真展会場となり、開催された写真展は全て「大阪ニコンサロン」で巡回展を開催いたします。「新宿ニコンサロン」「ニコンサロンbis新宿」「ニコンサロンbis大阪」は、★「THE GALLERY」としてリニューアルし、企画展、ニッコールクラブ会員展、写真団体展などの新たな写真展会場として運営を開始いたします。プロ・アマの壁を取り払い、企業戦略に影響されず、あらゆる分野の優れた作品の展示場として写真展本来の姿を追求する「ニコンサロン」。作品発表の場として、どなたでもご応募いただけます。ニッコールクラブ会員の方は「THE GALLERY」にご応募いただけます。皆さまの素晴らしい作品をお待ちしています。
・・・さて「写真月間」ということで、様々なギャラリーを巡っているわけですが、その道中に思いがけない発見があります。
《ギャラリー白雲(白雲ビルヂング)》
530-0003大阪市北区堂島2-2-23(1F)/06-6341-5571
白雲ビルヂングは1947年の創業以来半世紀余を経ましたが、★2000年を記念して同年3月に当社ビル1階に「ギャラリー・白雲」を開設いたしました。そのオープニング記念として中村研一(故人)、中村琢ニ(故人)という兄弟共に日本芸術院会員であった洋画家の展覧会を開催し、引き続き多摩美大の染色画元教授の堀友三郎展を開催し、多数のご来場をいただき好評を博しました。その後続いて個展、グループ展を開催しています。大阪は北の中心地、堂島に立地し、人のにぎわいと交通の便に恵まれています。ゆったりとした展示空間は想像力を拡げ、展覧会では会話の花が咲くでしょう。美術愛好家の皆様の発表の場としてご利用をお待ちしております。
《NEWS》2017.5.23毎日新聞より
「大毎二人展」旧社屋の思い出絵に/堂島で元毎日社員作品展
毎日新聞社の元社員、堂守輝邦さん(70)=京都市下京区、写真右=と高岡正和さん(69)=堺市南区、同左=の絵画作品を集めた「大毎二人展」(毎日新聞社後援)が22日、大阪市北区堂島2のギャラリー・白雲で始まった。27日まで、入場無料。 1992年に西梅田に移転するまで堂島にあった毎日新聞の旧社屋を描いた作品もあり、風景や人物をテーマにした水彩画、油彩画、日本画など27点を展示している。堂守さんは4年前、血液のがん、多発性骨髄腫と診断され、医師から「余命2年」と宣告された。その後も闘病を続けながら「生きる証しに。絵を描くことが励みになる」と絵筆を執っている。堂守さんの「フロントガラス」(2015年)は「第29回上野の森美術館日本の自然を描く展」で優秀賞に選ばれた作品だ。毎日新聞の旧社屋の玄関を描いた高岡さんの「社会の木鐸として」(16年)は、古い新聞記事のコピーを玄関の下地に貼り付けてその上に色を塗り、半年をかけて仕上げた力作だ。2人は「旧社屋には、手動式の蛇腹の古いエレベーターもあり、活気があった。懐かしい旧社屋の思い出を語り合いたい」と話していた。
《参考1》2014.5.1「つまひぶ」より
http://tsuhimabu.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
堂島アバンザのオープンスペースに、毎日新聞大阪本社の旧社屋玄関の玄関ポーチが、モニュメントとして設置されている。そのことからも想像できる通り、堂島アバンザが建つまで、この地には、毎日新聞大阪本社の旧社屋があった。梅田の西、今のOSAKAガーデンシティに毎日新聞の大阪本社の新社屋が出現したのは、1992年の11月20日のことだ。それまでの70年間、堂島にあった旧社屋は、多くの新聞人を育ててきた。戦災から生き残った堂島の旧社屋は、汚れてはいるけれどもどっしりとした石の外壁で、中に入ると、高い天井とフローリングの床がモダンで、蛇腹式のスチールドアが開閉する映画のセットのようなエレベータが上下していて、新聞社の社屋というよりも、大正建築の見本のような建物だった印象がある。大阪市東区(現中央区)で産声をあげた毎日新聞は、安堂寺町、今橋、高麗橋を経て、1889年(明治22年)に、東区大川町(現大阪市中央区北浜)に社屋を新築する。その前年、題字を「大阪日報」から「大阪毎日新聞」にあらため、本格的な報道機関の時代に入る。現在の京阪淀屋橋のすぐ西、土佐堀川の南だ。小規模ながらも、それまでの新聞が政党の機関紙的な「政論新聞」が主流だったのに対し、大阪毎日新聞は「不偏不党」「事実の速報」を掲げる、ニュース報道を生命線とする媒体をめざしていた。近代新聞黎明期は、官権派の代表である東京日日新聞や民権派と目された郵便報知新聞など、中央政界の各勢力を背景にした「政論新聞」が主流であり、政治的に無関心な庶民を対象とした、口語体でフリガナ付きのものは「小新聞」と呼ばれ、傍流に位置していた。1874年(明治7年)東京で創刊された読売新聞や、1879年(明治12年)に大阪で創刊された朝日新聞なども、小新聞としてスタートしている。大阪毎日新聞の出発点もまた、この、小新聞である。大阪の実業界が、読んで役に立つ新聞を!と、大阪毎日新聞の発行バックアップし、その実業界から大阪毎日新聞の経営に参加した第五代社長の本山彦一が、新聞のニュース報道機関としての独立を強く唱え、紙面の商品価値を高めていった。政治に距離を置いた大阪実業界のリアリズムがそのまま反映されたのが、出発当時の大阪毎日新聞だと言える。政論に対し、実質的な事実の報道。現代の新聞を見ると少し怪しい気もするけれども、このことは、一応、現代にいたるまでの近代的な新聞の方向性として、生きている。小新聞は、政論と訣別することによって、大衆紙志向を強めることとなり、発行部数を拡大させ、挿絵や小説、懸賞企画が多用され、犯罪ニュースへの傾斜を強めていく。そんななか、大阪毎日新聞は東京進出を果たし、1911年(明治24年)に「政論新聞」の代表格であった東京日日新聞を買収し、全国紙体制の基礎を築いた。明治30年代には、ロンドン、ワシントンに初めて常設の通信員を置くまでになった。このように、日本の新聞の歴史は、小新聞が政論新聞を制して全国展開を果たす歴史だと言える。この間、東区大川町時代の功績は、輝かしい。日清・日露の両戦争があり、大正時代に入ると第一次世界大戦、ロシア革命と世界史を揺るがす大事変が続き、世界のニュースが大川町に集まり、大川町から日本全国に発信され続けた。報道以外にも、1907年(明治39年)には浜寺海水浴場を開設し、まだ一部の人のものだった海水浴を一般に広げる先鞭もつけている。
《参考2》毎日新聞/新編集講座ウェブ版(66)2016.12.15
堂島最後の日/大阪本社移転の思い出
http://mainichi.jp/articles/20161213/org/00m/040/002000d
毎日新聞大阪本社は、24年前の1992年12月12日、古風で重厚な堂島の旧社屋に別れを告げ、最先端のビルである西梅田の新社屋へ移転しました。当時、私は大阪本社整理部 (現・編集制作センター) の中堅編集者。移転日も旧社屋で紙面制作に当たりました。この目で見た「堂島最後の日」のドラマを振り返ります。
・・・「新聞」と「写真」は、とても深~い関係にありますね。
《2000「堂島アバンザ」》/設計:日建設計
530-0003大阪市北区堂島1-6-20/06-6343-3636
http://www.avanza.co.jp/index.html
2000年3月に日本生命、毎日新聞社、第一生命の3社によって、毎日新聞大阪本社の旧社屋跡地に竣工。オープン・スペースが敷地の60%と広くとられているのが特長で、草木が多く植えられている。ビル正面には、毎日新聞大阪本社の旧社屋玄関の玄関ポーチがモニュメントとして設置されている。オープンスペース内には、外観が奇抜な堂島薬師堂がある。低層階はジュンク堂書店大阪本店や文具店などが入居し、高層階は西日本高速道路本社などが入るオフィスとなっている。地階は飲食店街で、ドージマ地下センターと直結している。
《1992「毎日新聞大阪本社」》/設計:日建設計
530-8251大阪市北区梅田3-4-5/06-6345-1551
http://www.mainichi.co.jp/index.html
毎日新聞大阪本社が入るビル。オオサカガーデンシティの西端、大阪駅と福島駅の中間地点にある。ほかにスポーツニッポン新聞社大阪本社、メディア関連数社、印刷会社の高速オフセット本社などが入居している。毎日新聞社 1876年に大阪日報として創刊された。日本三大紙のひとつで発行部数は約400万部。スローガンは「論争がある。本当が見える。」毎日新聞東京本社は千代田区のパレスサイドビル内にある。