映画と展覧会 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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映画「シング」観てきました。カエルもキリンも登場してくれたので、大満足です。

 

 

http://sing-movie.jp/

人気アニメーション映画『ミニオンズ』や『怪盗グルー』シリーズで知られるイルミネーション・スタジオ。2016年8月に公開された『ペット』の可愛さも話題になった本スタジオの最新作『SING/シング』は豪華キャスト、そして日本語吹き替えキャストで大ヒット。映画『SING/シング』は動物たちの住む街を舞台に、かつては栄えていた劇場を再建するため、オーナーのコアラが奮闘する物語。コアラのバスター・ムーンは、自身の所有する劇場にすっかり客足が途絶えてしまったことに悩んでいました。楽天家で心から劇場を愛するバスターは、劇場を守るため、世界最高の歌唱コンテストを開催し最後のチャンスに賭けようと決意します。さまざまな事情を抱える動物たちが、歌に夢をかけて活躍するミュージカル・コメディ、笑って泣ける2017年最高の一本です。

 

 

・・・さらに、元祖カエルキャラクターともいうべき「ケロヨン」の生みの親・藤城清治さんの展覧会も観てきました。

 

 

《藤城清治「光の楽園展」》

2017年3月17日(金)~5月28日(日)

於:大阪文化館・天保山(海遊館となり)

http://www.ktv.jp/event/fujishiro/index.html

https://www.osaka-c-t.jp/event/fujishiro/

1924年東京生れ。学生時代から絵画、影絵、人形劇を始める。1948年『暮らしの手帖』に影絵を連載し影絵作家として注目を集める。1952年人形と影絵の劇団・木馬座を結成し、TV番組『木馬座アワー』では自ら演出、自身が産み出したオリジナルキャラクター「ケロヨン」が爆発的人気を呼ぶ。木馬座解散後も影絵作家、影絵劇演出家として精力的に創作活動を行い、ニューヨークを始め世界各国で影絵展、影絵劇の上演を行う。また2013年には、那須高原に『藤城清治美術館』を完成させ、90歳を超えた今も意欲的な創作活動を続けておられます。

 

 

【ケロヨン】

藤城のプロデュースによるキャラクター。放送開始当時は「ケロちゃん」という名前だった(“ケロヨン”という呼び方が定着した後も、劇中での愛称は「ケロちゃん」)。『木馬座アワー』のコーナー『カエルのぼうけん』の主人公であるカエルの着ぐるみ。主なスーツアクターは小垣千代(のちに作者藤城清治の妻)や花巻五郎、声優は新井勢津朗。番組や公演により、スーツアクターは変更された。当時としては大人気になり、関連グッズがよく売れ、日本武道館でイベントも開催。「ケロヨーン」「バハハーイ」は流行語になった。一例として、1967年5月に発売されたケロヨンのビニール人形は発売から2カ月で30万個を販売した。「ケロヨン音頭」は「オバQ音頭」と肩を並べる子供向け音頭曲の定番として人気を集めた。1967年には『ケロヨンのぼうけん』、翌1968年には『ケロヨンの大自動車レース』(共に1991年にビデオ化され、1992年にレーザーディスク化された)、1970年には大阪万博のドキュメンタリー『ケロヨン万国博に行く』という映画も製作された。またこの間フジテレビでも、『スター芸能大会→対抗・スターかくし芸』のマスコットとしてレギュラー出演した。1967~1970年にかけてミュージカル化もされた。2000年には30年ぶりとなるケロヨンのミュージカル『藤城清治メルヘンの世界/等身大ぬいぐるみ人形ミュージカル~ケロヨンのぼうけん』が有楽町のヤクルトホールで上演された。藤城は、ケロヨンの声には拘りがあり、初代声優の新井勢津朗他界後、1990年代後半にミュージカル舞台「秘密の花園」日本青年館や、「不思議の国のアリス」ヤクルトホールなどでカップリング舞台として「ケロヨン」が一時的に復活した際に、小松伸(現、北川伸)がケロヨンの声を担当し、藤城の要望で2000年に復活した舞台「ケロヨンのぼうけん」で正式にケロヨンの声を担当する。谷口千吉監督による、日本万国博覧会の記録映画『日本万国博』には、ケロヨンを中心とした木馬座のお祭り広場での公演(1970年4月28日~5月5日に催された「こどもまつり」内)の模様が一部、収録されている。その時の演出は花登筐、司会進行は大村崑であった。昭和50年代に『ケロヨンのスケーティング』という番組が放送されていた。2014年、藤城清治美術館那須高原のある栃木県のご当地キャラクターとしての活動を開始。「とちぎ未来大使」に任命された。

 

 

◆【藤城清治美術館那須高原】◆

325-0301栃木県那須郡那須町湯本203/0287-74-2581

http://fujishiro-seiji-museum.jp/

光の祈りの芸術作家・藤城清治の70年を越える制作活動の集大成として、2013年4月開館した「藤城清治美術館 那須高原」は、氏の原点である「生きて演じ動いていること、舞台と観客がひとつになり感動すること」を体感できる劇場型美術館です。1994年に建築された★「旧ニキ美術館」の建物と元々敷地内にあった明治期の長屋門を改築利用(リノベーション)している。また、庭園内のチャペルは藤城清治の構想を基に新築されている。代表作・名作をはじめ、過去最大サイズの横幅6mの巨大水槽を利用した渾身の大作、セットの裏側もご覧いただけるミニ影絵劇の回転舞台、天井や壁面、床などの空間に映像が溶け込むプロジェクションマッピング。まるで作品の中に足を踏み入れたかのような感動を、体感いただけます。併せて、2011年からの被災地の復興を祈り生まれた作品もご覧いただけます。

 

《参考》「ニキ美術館」

http://niki-museum.jp/contents/

ニキ美術館は現代を代表する女性造形作家、ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle)の作品のみを展示する世界で唯一の美術館でした。名誉館長でありました、Yoko増田静江のプライベート・コレクションをもとに東京・上野のギャラリー「スペースニキ」を母体として1994年から18年間にわたり、栃木県の那須町でニキの全活動に関する情報を発信しつづけておりました。型にはまらない自由な作風で第一線に立ち続けていたニキ作品がもつ圧倒的なパワーと、ニキ本人とその作品を敬愛してやまないYoko増田静江の情熱に満たされた空間は訪れる人々への勇気あふれるメッセージとして多くの共感を得ました。また美術館の建築は、Yokoの夫、増田通二の発案によって設計され1994年東京建築賞優秀賞を受賞しました。入口の長屋門から小川とともにのびる美術館への小径は、春は山つつじ緑に包まれる夏、ゆり、秋はもみじ、冬は雪と季節の移り変わりによってドラマティックに変化しました。那須の中でも、もっとも美しい庭園との声を多くいただきました。ニキ美術館は2011年8月末日をもって閉館いたしました。今後は当美術館創立者のヨーコ増田静江の意思を継ぐ為、次の活動を考えております。しばらくはインターネット上でニキ(Niki de Saint Phalle)の広報活動を行っていきます。グッズ販売も再開いたします。現在、より良い未来へ前進出来るよう、移転に向けて着実に準備を進めております。