①建築物に付属するモニュメント表彰(平成8年度)
■建物名:なにわ筋ツインズイースト&ウエストビル/西区西本町1-14-10、2-2-11
作品名「弧の仕掛け/東風橋・西風橋」作:生形貴春、アパアソシエイツ/所有又は管理者:「錢高組」
※第1次情報には「狐の仕掛け」と表記されています。「キツネ」の仕掛けというのもおもしろいですが、間違いです。
・・・さて脱線・寄り道しますが、大阪の文化としてとても重要なことなので、「錢高組」について紹介します。
《参考》「錢高組」
本店:大阪市西区西本町2-2-11なにわ筋ツインズウエスト
番匠屋「錢高家」は、江戸時代より泉州尾崎村(現 大阪府阪南市尾崎町)にて、歴代・錢高林右衛門、錢高助左衛門などを襲名し、錢高善造に至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていた。 1705年(寶永2) 9月18日には、業祖・錢高林右衛門が棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院(現存)が落慶する。錢高組創業の瞬間である。社祖・錢高善造は、1884年(明治17)に上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていく。そして1887年(明治20)善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を「錢高組」に改め、新たな一歩を踏み出す。1922年(大正11)本店を大阪市西区土佐堀通3丁目に移転。1947年(昭和22) 本店を大阪市西区京町堀上通1丁目(現・西区京町堀1丁目)に移転。1960年(昭和35) 本店を大阪市西区阿波座上通3丁目(現・西区西本町2丁目)に移転。1987年(昭和62) 創立100周年、東京本社新設。2005年(平成17) 創業300周年。
★景観を彩る施工作品「まち・文化」
https://www.zenitaka.co.jp/landscape/index.html
★「銭形平次捕物帳」
https://www.zenitaka.co.jp/info/info_e.html
野村胡堂氏の傑作小説であるが、これほど大衆に愛され、長く親しまれた小説は日本でも珍しい。実はこの平次親分、一番最初に文芸春秋の月刊誌「オール読物」に登場した際の命名のヒントは当社の社名と社章だった。胡堂は文芸春秋から「岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを」と依頼され構想を練る時に大変悩んだ。半七と同じでは能がない。「水滸伝」の中に登場する小石投げの名人のようなワザがほしい・・・。そうこうするうちに、平次という名が先に決まった。姓とワザ・・・と思案なげ首のある日、ふと窓外のビル建設現場が目に入る。『設計施工錢高組』の看板と社章の『錢』。ポン、と膝をたた いて投げ銭がまず決定。名前の方は、「錢高」では商標もあるしと、「錢安」「錢○」「錢○」・・・とあてはめていくがうまくいかない。そこで「錢高」の「タカ」を逆にして「ゼニカタ」。ついにこれに決まったという。以上は胡堂氏の随筆集からも明らかで、昭和6年誕生以来27年間で383編におよぶという膨大なもの。 ところで昭和6年というのは当社が株式会社として発足した、まさにその年。因縁浅からぬものを感じる。また当社は、平成7年6月に胡堂氏の出身地である岩手県紫波町に音楽評論家「野村あらえびす」としても著名な胡堂氏の業績を同町が顕彰しようと建設した「野村胡堂・あらえびす記念館」の施工を担当している。
《参考1》「旧小西平兵衛家住宅」(玄関に「錢高組分室」の表札あり)
541-0044大阪市中央区伏見町4丁目
竣工:奥の蔵/明治13年(1880)居住棟/明治21年(1888)
設計施工:大工棟梁-弥兵衛、左官-前兵衛、石工-太郎兵衛、屋根-喜兵衛、手代-茂兵衛/間口13間、奥行き16間、三ッ蔵を備えた表屋造りの巨大な町家。道修町の小西儀助商店(1903)と並び、大阪船場に残る大商家の遺構である。唐物商(輸入品問屋)、小西平兵衛家の邸宅であったものを★1941年「銭高組」が買い受け、現在は同社社員寮「伏見高徳寮」となっている。正面ファサードが削られた様な奇妙な形状なのは、大正期の道路拡張の際の軒切りによるものである。おそらく軒切り以前は虫籠窓に出格子といった表構えだったのだろう。遠くから眺めると伏見町通に面した背の低く小さなツシ二階の店舗棟に対して、奥の居住棟が高くそびえ立ち、思いのほか大規模な町家であることがわかる。煙出し口と木製の物干し台が印象的。通常狭隘な京阪都心の商家には奥座敷に仏壇が設置される。しかし小西平兵衛邸では12,5畳の奥座敷の手前に8畳の独立した仏間を設置することにより、さらに格式を高めている。内部はほとんど手が加えられておらず保存状態は非常に良好であるという。また天井が高く大黒柱が太いなどの点を除けば、あまり江戸時代の町家と変わらない。「大阪くらしの今昔館」では近世後期の大阪市中の商家建築を再現する際、小西平兵衛邸を参考資料にしたそうである。
《参考2》「錢高組100年史」より(渋沢社史データベース)
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=610&query=&class=&d=all&page=24
★1945年(昭和20)3月13日、本店を戦災で焼失、大阪市東区(現中央区)伏見町5丁目「高徳寮」に移転。東京、名古屋、福岡各支店も被災し、それぞれ移転。
①建築物に付属するモニュメント表彰(平成9年度)
■建物名:辰野平野町ビル/中央区平野町1-5-7
作品名「球登、波郎」作:水井康男/所有又は管理者:辰野