踏切 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・カエルに縁のうすい羽曳野市だからこそ、紹介したいお寺があります。それは「東高野街道」沿い、踏切をはさんで向かい合っています。

 

 

《勝光寺》

583-0857羽曳野市誉田1-6-12/072-956-2297

 

《参考》「西澤梵鐘鋳造所」

529-1424東近江市五個荘三俣町274/0748-48-2061

http://oumiwaza.shiga-saku.net/e253832.html

滋賀県における鋳物加工の歴史は古く、南北朝時代にまでさかのぼるといわれているが、五箇荘三俣町の西澤家には、江戸末期に鋳物師として公的に認められる文書が残されており、少なくともこれ以前には梵鐘の製造技術が確立されたものと考えられる。梵鐘の原料は銅と錫の合金で、鋳物の成形はすべて手作業であり、高度の熟練を要する。一つの梵鐘を製作するには、型作りに始まり、鋳込み、型ばらし、仕上げまで、通常2~3ヶ月かかる。西澤梵鐘鋳造所は、江戸時代以来の伝統技術を最も色濃く残す鋳造所で、伝統を引き継ぎ、先代からの製法を守って良質な梵鐘造りを続けている。竹タガで締める土製鋳型や、その鋳型を大きな土坑に据えて、溶解炉から溶けた金属を流し込むという、他の鋳造所ではすでに絶えてしまった梵鐘鋳造の技術が残っている。きちんと造れば何十年~百年ほど長持ちする梵鐘。同じところから頻繁に注文が来るような仕事ではない。しかし西澤梵鐘鋳造所では、長年培ってきた信頼と技術で注文が絶えることはないという。しかし西澤さんもご高齢になり、そろそろ仕事をやめようかと思っているが、後継者は今のところいないという。今は新規の仕事は断り、残る仕事をこなすのみとなった。西澤さんは、「この仕事場は残したい、いつか梵鐘造りをしたいという人がそのまま使えるようにしておきたい」という。(2009.3)

※2011年1月に廃業されたようですが、「国立民族学博物館」に学術映像記録が残されています。

 

 

http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fs/movies_bonsho200811

1995年(平成7)5月9日から7月5日の約2ヶ月間にわたり、西澤梵鐘鋳造所が、大型青銅製品である梵鐘を鋳造する全工程を詳細に撮影した学術映像記録(上映時間72分)。鐘の製作工程を通して、日本の伝統的な鋳造技術や鋳物師とよばれた職人の仕事の実態を知ることができます。

 

http://naranosatoyama3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-24

私の生家は釣鐘を造っていました。古いものもあり、記録がありません。つりがねのどこかに、鋳工の名前が入っています。そこで、てくてくしながら、にしざわの釣鐘を探しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/nishizawatadao/32169381.html

「勝光寺」の釣鐘に、平成16年11月21日西澤梵鐘鋳造所とありました。

 

・・・カエルが、この貴重な釣鐘とひき合わせてくれたのかもしれません。

 

 

・・・そして、踏切をはさんであるのが、

 

《金田寺》

583-0857羽曳野市誉田2-2-13/072-956-0830

 

・・・さらに、その踏切には「織部灯籠」が据えられています。俗に「キリシタン灯籠」とも呼ばれているものです。

 

 

・・・せっかくの機会なので、近くのお寺をもう一つ紹介しておきます。

 

《光宗寺》

583-0857羽曳野市誉田3-6-7/072-956-2297

 

 

・・・「東高野街道」と「古市街道(平野~古市)」に面しています。誉田八幡宮南側の古いお屋敷もとうとう取り壊されてしまい、ご覧の状態です。