・・・先般、京都造形芸術大学の「卒展」に行きました。大学入口の大階段に設置されている彫刻について、紹介しておきたいと思います。
【武藤順九】
http://www.junkyu.jp/index.html
1950仙台市に生まれる。1973東京藝術大学美術学部卒後フランス、スペイン滞在。1975イタリア・ローマにアトリエを構え、現在に至る。1976ローマ国際オスカー展出品、絵画の部オスカー受賞。1978ローマ国際アーティスト展銀賞受賞。1997ヴェルシリア賞1997年度グランプリ受賞《彫刻、絵画》(イタリア)同受賞展・PAX2000、世界巡回展開始(イタリア)。2000「風の環-PAX2000-」カステル・ガンドルフォのローマ法王公邸内に史上初の抽象彫刻永久設置(バチカン市国)。2001「風の環-PAX2001-」仙台国際センターに永久設置(仙台市)。2002「シリーズ『記憶の壁』PAX2001-光の誕生-」世界遺産を総括する国際連合の専門機関ユネスコのパリ本部に永久設置(フランス)。2003「風の環-PAX2003-」ピエトラサンタに永久設置(イタリア)。2006「風の環-PAX2005-」仏教発祥の地ブッダガヤ《世界遺産》に永久設置(インド)。2007彫刻作品「飛翔」東北の玄関・仙台空港駅に永久設置(仙台市)。2008「風の環-PAX2008-」ネイティブ・アメリカンの聖地ワイオミング州デビルスタワー国定公園内に永久設置(アメリカ)。2009国際天文学連合が小惑星6098に対して武藤順九にちなんで MutoJunkyu と命名。2011「風の環-N.Y.9.11慰霊モニュメント-」ニューヨーク市のジャパン・ソサエティーでプレビュー展示(アメリカ)。2012 COP3京都議定書15周年プロジェクト「光・水・風~3.11復興への祈り~KYOTO2012」国立京都国際会館庭園に21点の彫刻作品を展示(京都市)同オープニングにて「東日本大震災3.11慰霊モニュメント1/4ファーストイメージモデル」初披露。2013東日本大震災 鎮魂と追悼のモニュメント建立プロジェクト発表(仙台市)。2014風の環3.11絆プロジェクト実行委員会発足(京都市)2015イタリア・ピエトラサンタにて、3.11慰霊モニュメント制作開始。
イタリア・ローマ近郊のアトリエ、トスカーナ州ピエトラサンタ、近年は京都にも拠点をおき、独自の境地を切り拓く画家・彫刻家の武藤順九。これまで多くの作品を発表し、その創作活動を通じて、いのちの尊さをうったえ続けてきました。大自然の営為が造りだした大理石と向き合い生まれた作品「風の環(かぜのわ)」シリーズは、2000年、バチカン市国・ローマ法王夏の離宮カステル・ガンドルフォに、史上初の抽象彫刻として永久設置されました。2006年には、インド・釈迦悟りの地であり仏教の聖地、世界遺産でもあるマハボディ寺院に永久設置。2008年には、アメリカ合衆国ワイオミング州・ネイティブアメリカンの聖地であり世界で最初の国立モニュメント・デビルスタワーに永久設置されるなど、その営みは、世界有数の聖地に作品が永久設置されるという成果に結実し、各地で多くの感動を誘い、共感の環をひろげ、人間愛に根ざした世界平和への意義をアピールしてきました。2012年、東日本大震災 鎮魂と追悼のモニュメント建立プロジェクトから、3.11慰霊モニュメント製作の依頼を受け、宮城県石巻市南浜地区に予定されている復興記念公園(仮称)内設置に向けて、現在、官民一体の取組が進行しています。
アートプロジェクト高崎では、3.11慰霊モニュメント1/4モデルをはじめ、バチカン市国、ブッダガヤ、デビルスタワーなど世界の聖地に永久設置されたモニュメントのハーフサイズを中心に、13点の彫刻作品を特別展示いたします。また、武藤順九独自の技法ネオフレスコによる新作絵画「コンポジション 生命の詩(いのちのうた)」は、今回が初出展となり、近年のネオフレスコによる大作、および墨絵とともに武藤順九の宇宙観を展示いたします。高崎の地で、世界にひろがる風を肌で感じ、武藤順九の宇宙を感じてください。
《東日本大震災「鎮魂と追悼のモニュメント」建立プロジェクト》
http://311monument.blog.fc2.com/
東日本大震災から早くも6年。未曾有の大災害に襲われた被災地では、様々な課題と問題を内包しながらも国を挙げての復旧、そして復興へと大きな力が注がれ続けていると日々、実感しております。しかし、復興庁の発表によれば全国の避難者等の数は約32万1千人、宮城県では11万2千あまりの方が未だに仮設住宅などでの生活を余儀なくされ、福島の原発事故によって県外での避難生活を強いられている方も数多くおられます。そうした現実のなか、官民が協力しながらありとあらゆる分野で人々の生活を取り戻そうと、インフラを整え、代替え地の選定をし、被災者である地域住民の心情を優先し、手を尽くしていることを踏まえたうえで、今、私たちが取り組もうとしているのは、人々の「こころ」と「暮らし」に焦点をあてた「鎮魂と追悼のモニュメント」の建立です。喪った近親者への「鎮魂と追悼」の拠り所として、また、すべての人が訪れて手を合わせ祈りを捧げ、哀悼の思いを積み上げていく場所として、「鎮魂と追悼のモニュメント」を建立することは、災害の風化を防ぎ、未来へ向かっていくための希望の象徴となり得ることと確信しております。
モニュメントの製作は、「ニューヨーク9.11プロジェクト」の慰霊モニュメント製作を手がけるなど数々の実績を持ち、宮城県出身で「みやぎ絆大使」でもある世界的な彫刻家の武藤順九氏に依頼します。完成後は夢メッセみやぎなどに一時的に設置し(予定)、将来的に震災の資料館や慰霊公園、メモリアルパークなどが建設された場合には、宮城県や石巻市などの行政機関へと管理を委譲できるような前提で運営を行っていきたいと考えております。
《京都マラソン》
http://www.kyoto-marathon.com/
メインコンセプト:「DO YOU KYOTO?マラソン」「東日本大震災復興支援」
http://www.kyoto-marathon.com/outline/concept.php
東日本大震災発生からちょうど1年を迎えた2012年(平成24)3月11日、京都マラソンは始まりました。鎮魂と復興への願いを込めて、国内外からのランナー、スタッフ・ボランティア、沿道で応援いただいた皆様、のべ50万人を超える方々が一体となって、「京都からスポーツを通して元気を」という復興支援の力強いメッセージを発信しました。京都マラソン2017においても、引き続き被災地に心を寄せ、「東日本大震災復興支援」の様々な取組を行います。また、2017大会では、平成28年4月に発生した熊本地震についても義援金の受付など復興支援の取組を進めていきます。
・・・京都マラソン2017は終了しました。
わが国で最初の駅伝がここ京都の三条大橋から始まって100年となる記念の年に、「ロードレースのまち・京都」で第6回大会を迎えられたことを大変うれしく思います。ランナー、ボランティア、応援の皆さま、そして、ご協力してくださった多くの市民の皆さま、ありがとうございました!京都マラソンが今年もハレの日を迎えることができたのは、ひとえに皆さまのお蔭です。京都マラソン2017は、「がんばる人を応援する」大会にしたいと思っていました。新たに設けた「サブ3.5・サブ4応援枠」と「連続落選者枠」、それに、ペア駅伝の「地域の絆・つながり枠」は、皆さんの「初めて」や「目標」を応援したい。そうして、京都のまちが盛り上がりたい。――そんな思いで設けました。完走された方はもちろん、残念ながらリタイヤされた方も、目標を掲げて大きなチャレンジをしたご自身を褒め、ねぎらい、そして、誇ってください。おめでとうございます!そして、お疲れ様でした!京都マラソン2017が応援し、応援される喜びを伝え、がんばる人と、そのチャレンジを支え、応援する人との「絆」につながったのなら、主催者として、こんなにうれしいことはありません。京都マラソン2017に関わってくださったすべての皆様の、ご健勝とご多幸をお祈りします。どうぞ、また1年お元気で。京都マラソン2018で、また、お会いしましょう。ありがとうございました!!
《NEWS》2017.3.12河北新報より
<震災6年>記憶の鐘、祈り永遠に
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた仙台市若林区荒浜地区で、犠牲者を追悼するモニュメント「荒浜記憶の鐘」が完成し、現地で11日、除幕式があった。訪れた人々は鐘を鳴らし、鎮魂の祈りをささげた。深沼海岸近くにあるモニュメントは高さと幅が各4メートル。人が両手を広げた形をイメージし、復興への願いを込めた。御影石とステンレスを組み合わせて制作し、青銅の鐘を付けた。除幕式では元住民ら約130人を前に、奥山恵美子市長が「大災害の悲惨さを継承し、世界に伝えていく必要がある」とあいさつ。昨年3月に閉校した旧荒浜小に通った市七郷小4~6年生7人が市長らと除幕した。近くの深沼橋の脇には地域の歴史を記した石碑を設置。被災前後の航空写真を使い、荒浜地区の街並みを伝える。津波で自宅が流失し、名取市で再建した荒浜自治会長の山田昭男さん(86)は「減災に向け、一生懸命に頑張ろうと気持ちを新たにした」と話した。
《いわぬま広報》2014.6月号より
鎮魂と記憶未来への希望~東日本大震災慰霊碑除幕式~
東日本大震災慰霊碑が相野釜地区の千年希望の丘公園内に建てられ、除幕式が2014年5月10日、同公園内で行われました。式には、ご遺族をはじめ慰霊碑建立検討委員会の皆さん、市関係者らが出席しました。井口市長が式辞で「犠牲となった方々のためにも、震災の記憶をいつまでも心に刻んでほしい。この慰霊碑を岩沼が千年先まで発展できるような後世への希望の遺産としたい」と述べた後、被災6地区の代表者ら12人が除幕、献花し犠牲となられた方々の冥福を祈りました。慰霊碑は、中央にある塔が高さ6メートルで、海面からの高さが津波と同じ8メートルです。人と人とが支えあう形をイメージし、中心に「鎮魂」、「記憶」、「希望」を意味する鐘が配置されています。また、塔の左側には犠牲となられた方々の氏名を刻んだ刻銘碑が、右側には震災の記憶を後世へと伝承するための記念碑が配置されています。
・・・「思い」や「願い」に形にを与えてやること、浮遊する気持ちに落ちつく「場」を創ってやることが大切ではないか、と思っています。