府立大阪博物場「年表」 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・調査研究が「再燃」したわけですが、頭の中を整理するために、これまでわかったことを年表にしました。

 

★1724(享保9)「享保の大火(妙知焼け)」

https://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/46_taika.html

1724(享保9)3月21日午の刻(正午)、南堀江橋橘通3丁目(現・西区南堀江2丁目)金屋治兵衛の祖母妙知尼宅より出火、折からの強風に煽られて燃え広がり、翌22日申の刻(午後4時)に鎮火するまで、大坂三郷の実に3分の2にあたる408町が灰燼に帰す大惨事となった。なお、この火災の際に東西の両町奉行所も焼失したが、これを機に★西町奉行所は、それまでの東町奉行所の隣から、東横堀東岸の内本町橋詰町北側(現・中央区本町橋)に移転した。

《疑問》この享保の大火のことを、火元の金屋治兵衛の祖母の名から「妙知焼(みょうちやけ)」とも呼ばれていますが、どうして祖母の名前からとったのでしょうね。

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009649.html

西町奉行所は1724年(享保9)の大火後当地に移った。それまで現大手前合同庁舎のところに東町奉行所と並んであった。★現地発掘調査で、その規模が判明しつつある。維新後、奉行所には★「大阪府庁」がおかれた。 

 

 

★1868(慶応4、明治元)大阪府庁

http://www.pref.osaka.lg.jp/yodo/choushashuuhennseibi/seibig010.html

「初代府庁舎」は、旧大阪西町奉行所に設置された。敷地面積9,583m2、現在は、マイドームおおさかになっている。翌明治2年の職員数は299人だった。

 

★1874(明治7)

http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2011/tenjigae/110921.html

府庁は1874(明治7)★「江之子島」へ移り、跡地は大阪博物場(動物園・美術館・図書館)でにぎわった。

 

★1875(明治8)

http://www.culture-h.jp/tohroku-osaka/shashin.html

明治の「博物館思想」の導入により中央区に★「大阪博物場」が設置され、その後★「府立大阪博物場」と改称された。

 

 

★1884(明治17)

博物場内に、動物を飼育展示する施設として附属★「動物檻」が開設された。

 

★1888(明治21)

府立大阪博物場★美術館(大阪初の美術館)竣工。天井画★「双龍鳳凰」は、大阪画壇で活躍した名手、上田耕冲をはじめ、耕冲の子息の耕甫、森関山、桜井香雲、渡辺祥益など、当時の大阪画壇を代表する画家が集結して製作した。楕円形の画面に、龍と鳳凰を描いた縦約15m、横約6mの巨大な天井画。

 

 

《「大阪の歴史82」》(明治21年の巨獣たち~大阪府立博物場美術館の天井画群~

文★橋爪節也/原典★「東区史」「榮樂徹作成年譜」)より

1890(明治23)「古美術展覧会」「浪華学画会」「全国絵画共進会」(大阪絵画共進会)

1891(明治24)「本邦古今衣類・織物展覧会」

1892(明治25)「美人画、楽器展覧会」「屏風、衝立類、彫刻品及絵画展覧会」「大阪婦人会慈善会主催:第4回慈善市」「油絵展(松原三五郎)」

1893(明治26)「絵画展覧会」「秋季展覧会」「陶磁器、彫刻、置物陳列会」「新古美術展覧会」

1994(明治27)「大婚25年祝典記念展覧会」「春季、秋季展覧会」

1895(明治28)「天覧古画陳列会」「新画展覧会」「秋季展覧会」「和漢古製扇子団扇出品展覧会」「豊公時代展覧会」

1896(明治29))「春季、秋季展覧会」「名工書画陶器陳列会」「新古美術展覧会」

1897(明治30)「春季、秋季展覧会」「油絵展覧会」「新美術展覧会」

1898(明治31)及至1903(明治36)「新年陳列会」「春季、秋季展覧会」「南宗画共進会」「選画展覧会」「全国南画共進会」

1903(明治36)「第5回全国南画共進会展」

1904(明治37)「春季、秋季展覧会」「5月飾陳列会」「慷慨家遺墨展覧会」

1905(明治38)「春季、冬季に因む展覧会」「日本風俗画展覧会」「第2回大阪美術館展」(春季に関する人物・花鳥・山水その他の絵画・金属・陶磁・漆器・彫刻など)

1906(明治39)「勅題に因む絵画展覧会」「織物刺繍展覧会」「古美術展覧会」「全国南宗画展(主催:大阪南宗画会)」

1907(明治40)「日本古美術展覧会」「婦人洋品展覧会」「本邦古製陶器展覧会」「古代浮世絵肉筆並錦絵刷展覧会」「南宗画展覧会」「大阪絵画展覧会」「第1回大阪美術展(明治40年の勅題に因みしもの・祝事物・正月儀式遊戯に関係ある故人の旧作(書画・彫刻・工芸等))「第1回大阪絵画会展」

1908(明治41)「古仏体、古画、器物展覧会」「大阪絵画展覧会」「洋画展覧会」「秋季絵画展覧会」「第2回大阪絵画会展」「不倒画会」(竹内王光堂開業20余年祝賀のため鈴木松年らの寄贈絵画の抽選配布)(「田能村直入画幅展」(200余展)「遊心会展」(姫島竹外門下の研究会、会員21名・200余点の出品)

1909(明治42)「南宗画展覧会」「支那古今人の書展覧会」「夏季、秋季展覧会」「絵画展(主催:浪華青年画会)」「第3回大阪絵画会展(同会事務所:東区伏見町4丁目=深田直城方)

1910(明治43)「浪華絵画意匠競技会」「中井藍江・玉手菊洲展覧会」「春季絵画展覧会」「秦漢以降金石文展覧会」「洋画展覧会」「洋画スケッチ会」「第1回美術会」

1911(明治44)「第1回浪華絵画図案競技会」「第4回洋画展覧会」「全国南宗画大展覧会」=?「第2回浪華絵画図案競技会(大阪の青年画家53名が組織、出品は第1部絵画110点・第2部図案79点)「天彩画塾展(来賓作品60余点と同塾生37名の作品205点)「大阪帝国南宗画会展(総数150点、池大雅、岡田半江、田能竹田等古大家の逸品も参考展示)」

1912(明治45)「第2回浪華絵画図案競技会」「全国南画展覧会」

1913(大正2)「浪華絵画図案競技会」「第5回洋画展覧会」

1914(大正3)「第8回選画展」「浮世絵珍書展覧会」「天彩画塾創立30年記念展(出品総数約500点)

1915(大正4)「所蔵品展覧会」

1916(大正5)休会

 

 

★1893~1895(明治26~28)大阪博物場「展覧会」出品目録

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849447

 

★1897年(明治30)府立大阪博物場に★「能舞台」建立。昭和2年(1927)★大阪天満宮に移築、さらに昭和56年(1981)★住吉神社(豊中市服部南町2-3-31)へ再移築された。

 

・・・この「能舞台」について、《大阪春秋》第18号「特集・博物館めぐり」(昭和53年10日10日発行)◇特集・博物館めぐり◇牧村史陽さんが書かれた★大阪府立博物場の思い出より、

この能楽堂は、もと生国魂神社内にあり、一時中之島「翠柳館」内に再建されたのを、明治27年に、時の博物場長・平瀬露香(亀之輔)が資金を集めてこの地に建設したものであることはのちに知った、と書かれていた。さらに、その「能楽堂」の写真は、「おおさか100年」に掲載されていた。

 

★1903年(明治36)府立大阪博物場★「図書室」から旧「大阪書籍館」蔵書を★中之島図書館へ移管。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/73/623/73_623_213/_pdf

第5回内国勧業博覧会(於:天王寺公園)にあわせて「博物場案内図」が作成されたものと考えられ、博物場において勧業博覧会協賛の「演能会」が開催されている。

 

★1904年(明治37)「図書館」が★大阪図書館(現・府立中之島図書館)に移管された。

 

★1906年(明治39)3月

「日本玩具博覧会(第1回こども博覧会)」主催:大阪府/会場:大阪博物場

 

★1911年(明治44)2月「第2回こども博覧会」主催:大阪府/会場:大阪博物場

http://www.let.osaka-u.ac.jp/kaitokudo/kaitokudo/history.html

府立大阪博物場美術館において★「懐徳堂展覧会」開催。

 

★1913年(大正2)2月15日~3月28日「旅行博覧会」主催:旅行博覧協会/会場:大阪博物場。★「中山太陽堂」が出展し1等賞に輝く。

https://www.nomurakougei.co.jp/expo/exposition/detail?e_code=1333

この頃の時期に大阪府立博物場を会場に、テーマを旅行に絞って開いた珍しい博覧会。展示内容は第1部から第13部までに分けて、教育、学術、文芸及び歴史、宗教、衛生、移住開拓、世界各国、航空、宿駅風俗、名物名産、交通、運輸、娯楽など旅行に関するさまざまな用具や参考品を展示して、新しい旅行のあり方を研究するのに役立て、便宜を与えようと工夫を凝らして展示した。

 

 

★1914年(大正3)「府立商品陳列所」をこの地に新築・再建することが決定され、「博物場」は事実上の廃止となる。これに伴い、同年、動物舎の動物180点が★「天王寺動物園」へ移転される。この動物檻が府から市へ無償譲渡されて、★第5回内国勧業博覧会(1903開催)跡地に移転する。

 

★1915年(大正4)1月1日に「天王寺動物園」が開業する。

11月「皇室関係大阪府郷土資料展」

大阪府立図書館は、大正4年11月に大正天皇の御大典を記念して大阪府立博物場で開催された「皇室関係大阪府郷土資料展」を委嘱された。

 

★1916年(大正5)3月15 日~4月14 日

「大阪府図案及工芸品展覧会」主催:大阪府/会場:大阪博物場

 

★1917年(大正6)「美術館」が★「商品陳列所」に移管されるとともに、「能楽堂」が★天満天神社に移築される。

 

★1917年(大正6)7.15大阪朝日新聞より

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00849786&TYPE=HTML_FILE&POS=1

東区内本町橋詰町の元の大阪府立博物場跡に★「大阪府立商品陳列所」が巍然として実業の大阪を飾っている一面、其裏通りに当る松屋町筋では所謂旧時代勧商場の元祖として永い間商品館の名で大阪人や地方人に親しまれていた建物も、昨年を限りに打壊されて板囲いのまま過ぎて来たが、今度愈大阪府立商品陳列所の一部「広告館」として建設さるべく、其の設計準備一切が出来上ったので、来る8月から工事に着手して、来年3月中には全部竣工の予定である。大体此の広告館は従来旧博物場建物では、絵画展覧会其の他の催し物の場所を世間に供給していたのが、商品陳列所となって全部陳列品で四六時中埋められることになると、全く此の方面の求めに応ずることが出来なくなるので、広告館を是れに充つるのが一つと他の一つは実業の中心地たる大阪に非常に重要と認められている。広告の知識、設備、其の他に関して有益な材料を提供したい、夫れには差詰め商店の「陳列窓」なるものの飾り附け、斬新味其の他のことを公開したいということが重なる意味になっているので広告館は言い換うれば大阪府立の模範陳列窓とでもいうべきであろう。夫れで建物は松屋町筋に沿うて徳井町から豊後町までの廓内に、長さ四十間奥行き八間乃至六間、レチサンス式に則り建築材料は表面はハイリップ金属張りにモルター塗り、裏面は瓦にモルター塗りで装飾其他には人造石を使用して居るから大体に於いて清々しい白亜館と見るべく工事費は約六万円である。今其の構造の大体を述べると、総長さ四十間中、中央二階建と両側平屋との二つから成り、中央二階建て建築物は十七間の長さに奥行き八間、高さは地上から軒まで四十二尺、塔の上まで九十尺面積は百四坪ある階下は各事務室に当て、楼上大広間(百四坪)は演壇の設備あって専ら集会講演などに当つる計画。中央建物の両側には長さ十一間半宛の平屋が左右に在って何れも奥行き六間、高さ地上より軒まで二十四尺である。此の左右平屋は奥行き六間の内松屋町に面した八尺を割いて陳列窓に当て、内部には平生陳列箱を備えて居るが、求めに応じて直に展覧会場抔に利用し得る設備である。前面の陳列窓は二間を一函として左右各四箇半ずつ都合九つの陳列窓を設ける。各窓には幅五尺に高さ十尺の大硝子板を二枚宛箝める(是れは一枚百三十円宛の費用で米国に注文済みだから、12月には入荷の筈である)此の陳列窓の詳細な内部の飾り附けは未だ決定していないが、大体に於て9つの各函は檜材のベニア(剥板)で仕切り、前面は十尺の幅として漸次狭め奥は八尺にしてある。是は背景の関係上意匠を凝らしたものの一つである。表面窓のアーチとアーチとの間には石膏ブロンズで鳳の形を二十箇配置して装飾としてある夫れから陳列窓の夜を飾るべき電灯は、幅二間に奥行き八尺の一函内毎に先ず下方からチューブランプとして各三十二燭の電灯が十四箇、上部からは十六燭の花形電灯が六箇、都合二十箇の電灯が使用される。そして広告館全体の電灯は、二百三十一箇三千七百燭が燦として輝く筈である。兔に角竣工の暁には松屋町筋に華かな陳列窓が実業の都市を飾るであろう。

 

★1923(大正12)大阪市パノラマ地図

「大阪府立商品陳列所」は、1890年(明治23)に北区堂島に創立されましたが、1909年(明治42)の北区の大火災「北の大火」により、陳列所が類焼してしまいます。商品陳列所を再建するにあたり、1917年(大正6)3月15日に堂島から本町橋東詰のこの地へ移転しました。大阪市パノラマ地図には、このときの「商品陳列所」が描かれています。

《参考》国際日本文化研究センター「所蔵地図データベース」大阪府

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/index_area27.html

★大阪市パノラマ地図= The mock painted picture of the great Osaka

(内題)大阪市パノラマ地圖 THE MOCK PAINTED PICTURE OF THE GREAT OSAKA

(袋題)大大阪パノラマ地圖(著作者、大阪)美濃部政治郎

(印刷兼発行者、大阪)日下伊兵衛(発行所、大阪)日下わらじ屋

(印刷)大正12年12月28日(発行)大正13年1月5日