宝塚昆虫館(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

◆【大阪市立自然史博物館】◆

546-0034大阪市東住吉区長居公園1-23/06-6697-6221

http://www。mus-nh。city。osaka。jp/

★改修工事による本館臨時休館のお知らせ/2017.1.6

大阪市立自然史博物館では、平成29年2月6日(月)~28日(火)まで本館改修工事のため臨時休館いたします。なお、臨時休館中も開催可能な行事は行う予定ですので、ホームページのイベントカレンダーなどでご確認ください。花と緑と自然の情報センター内のネイチャースクエア「大阪の自然誌」、学芸員相談カウンター、ミュージアムショップは、月曜日(2月6・13・20・27日)を除き運営いたしますので、ご利用いただけます。たいへんご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承ください。

 

・・・ということなので、リニューアルする前に観ておきたかったのです。

 

 

・・・さらに、興味深い企画展も開催されているのです。

 

 

★日本甲虫学会・大阪大会開催記念展示「関西甲虫研究史」を開催します

平成28年11月26日(土)~平成29年1月31日(火)

関西には古くから町人文化が根付いており、甲虫の研究は昔も今も、おもにアマチュア研究家らによって進められてきました。1945年に創立された日本甲虫学会もその一つで、甲虫学の発展と甲虫研究者および愛好者の交流を目的として、機関誌の発行、年次大会、地方例会、および調査観察例会を開催しています。日本甲虫学会・大阪大会の開催を機に、関西における甲虫研究の歴史を振り返る展示を行います。

 

 

★2016年度第7回大会(大阪)

http://kochugakkai.sakura.ne.jp/gallery/gallery.html#2016taikai

日本甲虫学会第7 回大会は2016 年11 月26 日(土)から27 日(日)の日程で、大阪市立自然史博物館を会場として開催され、176 名の参加があった。開催にあたっては、大阪市立自然史博物館の皆様にご支援・ご協力をたまわった。1 日目は評議員会、総会の後、シンポジウムと学会賞授与式が行われた。今大会のシンポジウムは「関西甲虫研究史」と題し、一般公開で開催された。現在の日本甲虫学会の礎の1 つとなった関西における研究者やアマチュアの努力、「町人文化」を源流とする活発な活動が寄与していることを振り返り、今後の若手育成を啓発することについて、以下の4名に発表していただいた。

・澤田高平氏:基調講演「関西甲虫研究史-旧甲虫学会興隆期を語る」

・林靖彦氏:大阪甲虫同好会と芝田グループについて

・伊藤建夫氏:関西甲虫談話会(旧称大阪カミキリサロン)の歴史

・奥田好秀氏:関西チビゴミ研究会について

 

 

・・・「甲虫学会」というのも、おもしろそうですね。展示の中でもっとも興味をそそられたのが、今はなき「宝塚昆虫館」です。

 

《参考》「手塚治虫昆虫図鑑」著:手塚治虫+小林準治/刊:講談社1997.3

小林準治さんは手塚治虫作品のアニメーターだった人で、左ページに手塚作品の抜粋/引用をし、右ページに著者のイラストと解説があります。手塚さんは中学時代に、★「宝塚昆虫館」に通い、展示されている標本と、自分の採取した昆虫の標本を丹念にスケッチしていたそうです。膨大なマンガ作品を遺した手塚さんの作品から昆虫の登場するシーンを洗い出し、1冊に編集し直したものです。序文は北杜夫さん、解説を奥本大三郎さんという豪華な顔ぶれです。

【手塚治虫】

1928年、大阪府豊中市に生まれ、宝塚市で育つ。大阪大学付属医学専門部を卒業後、医学博士号を取得。1946年、「アマチャンの日記帳」で漫画家デビュー。1962年には「ある街角の物語」でアニメーション作家としてもデビューする。1989年、胃がんのため逝去。おもな作品に漫画では「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」その他多数、アニメーションでは「展覧会の絵」「ジャンピング」その他多数がある。また、宝塚市には手塚治虫記念館がある。

【小林準治】

1948年、東京都に生まれる。1966年、アニメーターとして、初めて手塚作品に参加する。1978年には、手塚プロダクション動画部門創設に参画。おもな作品に「リボンの騎士」(動画)、「森の伝説」(原画)、「ジャングル大帝」(総作画監督)などがある。また、イラストレーターとして「都市の昆虫誌」「ファーブル昆虫記」などの昆虫画を担当。趣味で「昆蟲通信」も発行している。日本昆虫協会理事。日本昆虫倶楽部会員。

 

 

・・・「オサムシ」を確認するために、再度「花と緑と自然の情報センター」へ。

 

《参考》オサムシ(歩行虫、筬虫)

コウチュウ目・オサムシ亜目・陸生オサムシ類 (Geadephaga) ・オサムシ科に属する甲虫類のうち、比較的大型の種が多いオサムシ亜科 (Carabinae) に属する昆虫の総称。主として地上を歩き回る肉食の甲虫で、美しい色のものも多い。地域ごとに種分化があり、昆虫採集の対象となることも多い。

世界中にほぼ750属25,000種が分布する。オサムシ科の昆虫のオサムシ亜科以外のものや、オサムシ亜目の陸生オサムシ類に属する科の昆虫の多くはゴミムシと呼ばれる。オサムシ亜目はピエール・アンドレ・ラトレイユにより、1802年に命名された。

オサムシの和名の「オサ(筬)」とは、機織機の部品で横糸を縦糸の列にトントンと押し込み、布として一体化させる筬に由来するが、今日よく知られる形式の手織り織機の筬は長方形の櫛状で、オサムシの形状とは似ても似つかない。しかし、古式の手織り織機の中には上糸と下糸に分けた縦糸の列の間をスッと滑らせるように横糸を通す紡錘形の杼(ひ)と一体化した筬があり、オサムシの名は、なで肩の紡錘形の体をこうした形式の紡錘形の筬になぞらえて、つけられたと想像されている。

漫画家・手塚治虫(本名:治)のペンネームは、幼少時から昆虫少年で昆虫採集愛好家でもあった彼が、愛するオサムシを織り込んだものである。本人は「てづかおさむし」と訓読することを強く希望していたが、編集者や読者の違和感が大きく、また「氏」をつけたときに「おさむしし」となり「し」が重なって読みにくいので、「おさむ」と訓読することとした。