森喜久雄(17) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・森喜久雄さんは「浪速短期大学デザイン美術科」を卒業されています。「円形校舎」にも興味がありましたので、調べてみることにしました。

 

 

《大阪芸術大学短期大学部(大阪学舎)》

546-0023大阪市東住吉区矢田2-14-19/06-6691-7341

http://osaka-geitan.jp/index.html

1945年(昭和20)塚本英世により、浪速短期大学の母体となる平野英学塾創設。

1946年(昭和21)浪速外国語学校を創立。

1951年(昭和26)浪速外国語短期大学(英語科第1部)開学。

1954年(昭和29)浪速外国語短期大学を浪速短期大学に改称。

1957年(昭和32)大阪美術学校を設置。

1959年(昭和34)矢田に「円形学舎」竣工。短大及び学院本部移転。

1960年(昭和35)広報科第1部・第2部、デザイン美術科第1部・第2部を増設。

1962年(昭和37)浪速短期大学にデザイン美術専攻科第1部・第2部を設置、商業科第1部・第2部を増設。

1964年(昭和39)浪速芸術大学(芸術学部美術学科・デザイン学科)開学。

 

1965年(昭和40)★森喜久雄さん浪速短期大学デザイン美術科を卒業

 

1966年(昭和41)学校法人浪速外語学院を学校法人塚本学院に改称、浪速芸術大学を大阪芸術大学に改称。

 

・・・森さんが学んでおられた頃、矢田に「円形校舎」があったわけです。当時のイメージを思い描けるといいのですが、

 

 

《参考》昭和45年(1970)浪速短期大学卒業アルバム「夢と希望と若さがあった(あの頃の僕ら)」YouTubeYouTube

https://www.youtube.com/watch?v=GZoVXoGLpA8

 

 

・・・そして、実際に指導を受けたかどうかはわかりませんが、「岡本(面屋)庄三」「持田総章」先生がおられました。

 

【持田総章】

1934年生まれ 東京都出身。現在、芦屋市在住

1962年6月 浪速短期大学デザイン美術科講師

1964年4月 浪速芸術大学芸術学部講師

1969年4月 大阪芸術大学芸術学部助教授

1981年4月 大阪芸術大学芸術学部教授

1997年4月 大阪芸術大学大学院教授、大阪芸術大学大学院芸術制作研究科長(2003年3月まで)

1998年4月 大阪芸術大学芸術学部美術学科長(2002年3月まで)

《神戸新聞文化センター三宮KCC》

651-0096神戸市中央区雲井通7丁目1-1 ミント神戸17階/078-265-1100

http://k-cc.jp/Content/Class

神戸新聞文化センター(KCC)は、生涯学習のパートナーをめざします。全国文化センターのパイオニアとして、昭和32年、三宮・神戸新聞会館に創設された神戸新聞文化センター(KCC)は、震災後の平成8年7月に神戸新聞会館に代わる新たな拠点となる神戸ハーバーランドKCCを開設、その後、平成18年10月1日にはJR三ノ宮駅前の神戸新聞会館★「ミント神戸」に移転・復帰を果たしました。

※1階南西入口よりご入館ください

地域社会の心を豊かにし、心と心のふれあう広場としてつくられた神戸新聞文化センターの原点に立ち返り、また、新しい時代のニーズも取り入れながら、明日の心豊かな社会づくりのお役に立つ生涯学習のパートナーをめざし、皆さまとともに手を携えてまいります。

三宮をはじめ、六甲道、新長田、Tio舞子、加古川、姫路、ザ・モール姫路、加西では、公開講座、現地講座、文学・歴史、文芸、語学、資格・スペシャリスト、パソコン、いけばな(和・洋)、茶道・香道、服飾、絵画、書道、囲碁・将棋、工芸・手芸、くらし、おしゃれ、音楽、体操・エクササイズ、洋舞・邦舞、武道・スポーツ、通信講座など幅広い分野で、1,800余講座を開講しています。

★現代の絵画

講師:大阪芸術大学名誉教授「持田総章」月(第2・第4) 10:30~12:30

http://k-cc.jp/Course/Detail/01/11105011

誰もが出来る絵画表現を楽しみながら学んでいただきます。個性的な自己の絵画シーンをつくる・現代的な表現技術をマスターする・具象・抽象にこだわらないで各自の個有な絵画表現をする・既存の描画材料に制約されない表現の習得、3ヵ月を1クールとし、1クール毎に別の表現技法で作品を制作します。

 

 

【岡本(面屋)庄三】(1910~1994)

京人形師で、本名岡本庄三の名で新制作協会会員の彫刻家としても活躍した。1910年(明治43) 4月20日京都市下京区に生まれる。1929年 (昭和4)京都市立美術工芸学校彫刻科を卒業。人形を先代の12世面屋庄次郎に、彫刻を★藤川勇造に学ぶ。伝統的京人形を制作し、昭和28年に三ツ折人形で国の無形文化財保持者に認定された。同33年よりあまがつ会人形展を毎年開催。同38年からは荘人会人形展も開催し、京人形の普及に努めた。同45年に13世面屋を襲名。また、彫刻家として新制作協会展に出品し、昭和26年第15回展に「女像」を出品して新作家賞、翌27年には「習作婦」「首」を出品して同賞を受賞し翌28年同会会員となった。彫刻は婦人像を中心に人体を主要なモティーフとし、表面のマティエール等に人形との共通点が見いだせる。京都市文化功労者、国際芸術文化賞などを受賞。『京人形あれこれ』などの著書もある。三ツ折人形のほか、御所雛、相込人形等も得意とした。京都五條大橋西詰の「牛若弁慶像」を制作したことでも知られる。急性心不全のため京都市中京区押小路通富小路角橘町の自宅で死去した。享年83。

京都五條大橋西詰「牛若弁慶像」や、京都市地下鉄北山駅「大原女之像】」JR天王寺駅中央口改札★「来迎飛天」を制作したことでも有名です。

 

 

・・・しかし現在、「天女」さんは顔がほとんど見えない状態、「助けて」と叫んでいるようにも見えます。