WSMA(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【WSMA 2016 cultivate】

木造校舎 現代美術館 WSMA/ワズマ(Wood School Museum of Art)

期間:11月5日(土)〜11月13日(日)時間:10時〜16時(10時〜16時/土日)

於:奈良県宇陀市菟田野古市場135-2 (奈良カエデの郷)

昨年11月からはじまったWSMAプロジェクト、2016年2度目のWSMAは「cultivate」というテーマです。地元奈良はもちろん、遠くNYや九州など、国内外のアーティストが木造校舎を期間限定の現代美術館にします。

 

 

■参加アーティスト

坂本和之/堀尾貞治/倉貫徹/親谷茂/南城守/金子善明/ダグラス ディアス/山口和也/岡崎真悟/岡本直哲/岡本亮/山本恵/昼馬和代/北浦和也、奈良県障害者芸術祭 HAPPY SPOT NARA

■主催

アートウィークin菟田野開催実行委員会

問い合わせ:奈良県移住・交流推進室(0744-48-3016)

 

《cultivate》

1〈土地を〉耕す、 耕作する、 開拓する、荒野を開拓する。

2〈植物・作物などを〉栽培する;〈水産物を〉養殖する;〈微生物などを〉培養する。

3〈才能などを〉(教育・訓練によって)養う;〈頭・心を〉鍛える;〈人を〉教化する;〈芸術・科学・産業などを〉興す、育成する。

4〈友情・愛情などを〉はぐくむ;(人との)〈面識・親交を〉築く;〈人に〉取り入る、…と近づきになろうとする。

5 芸術・学問などに〉親しむ。

6〈ひげを〉はやす。

 

・・・「ヒゲ」をはやす、が一番楽しいですね。

 

 

・・・今年は「体育館」も会場になっていたので、見応えがありました。

 

参考《culture》

ラテン語の cultura から来ています。cultura の語幹は colere で、「守る、手入れをする、耕す」という意味。「教育によって知性を育てる」というより抽象的な意味は16世紀初頭、さらに現在の <culture> に近い広義の意味、つまり文明の知的な側面や、人々の生活様式などを含む意味を持つようになったのは19世紀に入ってからのこと。

<cultivate> は、近代に入って、西洋列強がアジアやアフリカの諸地域を植民地化するにあたって、現地の人を「啓蒙」する時によく用いられた言葉です。そこには、近代西洋の合理主義ではないものはすべてcultureではないという、ある種傲慢な態度がありました。その反省が、現代の植民地研究などでは盛んに行われ、<cultural studies(カルチュラル・スタディーズ)> といった新しい学問領域で、culture という言葉の再定義が繰り返し試みられています。

もう一つ、culture と深い縁のある単語が <cult>。こちらはもともと神を「崇拝」すること、その「儀式」を意味しましたが、現代では「新興宗教」などを表すケースが多くなっています。この cult の語源も cultivate と同じくラテン語の cultus で、「手入れをする、耕す」に加え、「敬う」という意味があります。日本でも、田畑を耕し、そこから恵みが与えられることは神への信仰の中心にあります。世界のどの地域でも、私たちの体に取り込まれ、命を与えてくれる「食べ物」には、神への深い感謝を持ちます。

何気なく使っている「カルチャー」という言葉には、大地に根ざした深い感謝の心が、実は込められていたのです。クラブ、ジャズなどの新しい音楽などの「創作活動」から生みだされる「クリエイティブ=creative」なものも、「無」から「生まれる=procreate」もの。古代の人は踊りや絵などの芸術は神と繋がる手段だと考えていたようですが、日本語文化の中に入り込んだ英語のルーツをたどることによって、はるか昔の記憶の残滓を見出すことができるのです。

 

 

・・・雨ですが、近くの「神社」にも行ってみましょう。

 

《宇太水分神社》

633-2226奈良県宇陀市菟田野古市場245/0745-84-2613

http://www1.odn.ne.jp/udanomikumari/

大和の東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分神社、葛城水分神社、吉野水分神社)。古市場の由緒によると、創立は崇神天皇の時代で、2003年の社殿の塗り替えの時にわずかに残された色彩が発見されそれを元に復元された。

 

 

★本殿3棟(国宝)

同形同大の社殿3棟が相接して並列する。向かって右から第一殿、第二殿、第三殿で、それぞれ天水分神、速秋津比古神、国水分神を祀る。建築形式はいずれも一間社、隅木入春日造で、屋根は檜皮葺きとする。第一殿の棟木に1320年(元応2)の墨書があり、第三殿も同時期の建立とみられる。第二殿は棟木に1558年(永禄元)の墨書があり、この時に新造に近い改築を経たとみられる。第一・第三殿は、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。身舎と向拝柱の間には繋虹梁を渡さず、手挟(柱上の組物と垂木の間に取り付ける三角形の材)を入れるのみである。繋虹梁を用いないのは、3棟の社殿を側面から見た場合の見通しを考慮したためとみられる。

 

 

・・・宇太水分神社の「手水舎」にはカエルさんがおられます。その件は、テーマ「カエル」で紹介したいと思います。帰り道、「談山神社」に立ち寄ります。