コスモス(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《奈良豆比古神社》

630-8104 奈良市奈良阪町2489/0742-23-1025

http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/01jinja/01north_area/narazuhikojinja/

光仁天皇の父であり、万葉歌人としても有名なる志貴皇子(施基皇子)を祀る神社。毎年、10月8日の宵宮祭りに奉納される伝統芸能「翁舞」は、国の重要無形民俗文化財であり、能楽の原典と言われている。また、本殿右には、中国原産で万葉集にも歌われている「児の手柏」が今も保存されており、境内には樹齢1300年★「樟の巨樹」が保護されている。

 

 

《奈良豆比古神社翁舞》

http://www3.pref.nara.jp/kankou/1625.htm

奈良市奈良阪町に伝わる民俗芸能で、能楽の原典と言われ、2000年に国の無形民俗文化財に指定された翁舞は、毎年10月8日に宵宮祭りに奉納される。約1300年前に、志貴皇子の第二皇子である春日王が不慮の病でこの神社におこもりの時、その二人の息子が父の病気平癒を祈願して舞ったのが始まりとされている。その舞には他と違う著しい特徴があり、民間に伝わる翁舞として芸能史的に貴重な存在。なお、使用される面は15世紀には使われていたと言われる古面で、普段は奈良国立博物館に保管されている。

 

 

《NEWS》2012.10.10奈良新聞より

先日に式年造替が行われた奈良市奈良阪町の奈良豆比古神社で8日夜、能楽の起源ともいわれる国指定重要無形文化財の「翁舞」が行われた。この日は3連休の最終日とあって、多くの参拝者でにぎわった。能楽の古い様式を伝える行事で、翁講・翁舞保存会(松岡嘉平治会長)が伝承している。起源は奈良時代に志貴皇子の子、春日王の病気平癒を願って舞ったのが始まりとされ、室町時代の面や安土桃山時代の衣装なども残されている。この日、★同神社資料館では、普段は国立奈良博物館に寄託されている県指定文化財などの能面20面なども公開。そのうちの3面が翁舞で使用された。午後8時、かがり火がたかれた拝殿で行われた。市立鼓阪北小学校5年の農沢翔也君(11)による「千歳の舞」から始まり、面を着けた3人の翁が並んで舞う「翁三人舞」「三番叟(さんばそう)」などを舞った。参拝者は、由緒ある古い面を用いた古式ゆかしい舞の世界を楽しんだ。

 

 

★奈良豆比古神社の杜「樟の巨樹」

 水源:境内に井戸と池がある。地図で見る限り付近に川は流れていないが、木津川からの地下水が通っており、神社はその水をくみ上げている。境内の池から鎮守の森の地下へ水が流れている。神社の区域は昔から変化しておらず、社域に占める森の割合は8割。森は木の周りは開けているが、奥のほうの茂みはうっそうとしている。20年に一度行われる式年造替にあわせ敷地内の森の整備を行うなど、活発に管理活動がなされている。高木、低木問わず、四季を彩る多様な植生がみられる。落ち葉が沢山あり、地面はふかふかで土壌は栄養豊か。湿度が高く地面や木にコケがみられる。鎮守の森特有の「禁足地」ではなく、安全のための歩道がある。マント群落、ソデ群落が見られる。

樟の幹周りを計測したところ、9m20cmあった。木に巻かれている注連縄は、毎年正月に新しいものに取り替える。なお、最近この樟の穴にはフクロウが住みついたらしい。 一般的に、クスノキは成長がよい上に寿命が非常に長いので、巨木になりやく香り(樟脳)が他の植物の発芽と生長を抑えることも、巨木になりやすい理由のひとつである。防虫効果があるので、古来魔除けとして利用されていた。ここのクスノキは「樟」と書き、特に香りが強いという。

 

・・・これまで様々な寺社の巨木を観ておりますが、これは圧巻でした。木の生えている斜面と空間、周囲が整備され遊歩道が敷設されているので、「樟」の存在感が見事です。ぜひ、実際にご覧ください。

 

 

・・・「樟」に大満足しての帰路、思わず立ち寄りました。

 

《法起寺》

630-0102奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873/0745-75-5559

http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm

奈良県生駒郡斑鳩町に所在する法起寺は聖徳宗の寺院で、聖徳宗は法隆寺を総本山としている。法起寺の読み方はかつて「ほっきじ」とされていましたが、ユネスコ世界遺産の登録にあたり、「法」の字の読みに一貫性を持たせるため、★「ほうきじ」を正式な読みとして定めた。法起寺は岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺といった別名もある。本尊は十一面観音を祀っている。606年に聖徳太子が法華経を講説したという岡本宮が起源とされており、622年2月22日、聖徳太子が薨去(皇族、三位以上の人の死去)に臨み、長子の山背大兄王に岡本宮を改めて寺にすることを命じた。寺が完成したのは聖徳太子が亡くなってから10年以上経過した638年のこと。法起寺は法隆寺、広隆寺、四天王寺、中宮寺、橘寺、葛木寺と共に、聖徳太子が建立したと伝えられる太子御建立七ヵ寺(聖徳太子建立七大寺)のひとつに数えられる。聖徳太子に深い縁がある寺で、奈良を代表する観光地のひとつとして人気があります。

1993年に、「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産に登録されている。「法隆寺地域の仏教建造物」は法隆寺の建造物47棟、法起寺の三重塔の合計48棟が含まれており、法隆寺の建造物群は木造建築としての構造・配置の観点からみて傑作である、日本の宗教建築に深い影響を与えた、日本独特の様式を確立、聖徳太子の仏教奨励がみられるといった理由から、世界遺産に登録された。法起寺の三重塔は708年に創建されたと伝えられ現存する最古の三重塔。三重塔は江戸時代の延宝年間に大修理が行われ際に柱間が変更されたが、1970年〜1975年に解体修理を行った際、創建当時の形に復元された。法起寺の三重塔の高さは24m、高さ34.1mある薬師寺の三重塔・東塔に次いで2番目の高さを持っている。薬師寺の東塔は特異な形式を採用したため、三重塔としては、法起寺のものが最大です。

 

 

★斑鳩町では、花と緑が町に溢れる「花いっばい運動」に取り組んでおり、秋になると法起寺周辺に色鮮やかな可憐なコスモスが咲き乱れます。世界遺産法起寺の三重塔を背景にコスモスを楽しめる、秋の斑鳩の里を代表する風景の一つです。