安堵町~大和郡山市へ | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

《天理軽便鉄道「木戸池築堤」》

http://www.town.ando.nara.jp/contents_detail.php?frmId=1068

大正時代から戦時中まで、新法隆寺駅-天理駅を結ぶ、約9kmの「天理軽便鉄道」というミニ鉄道が存在しました。安堵町にその遺構『木戸池築堤』が遺っています。池の中央を築堤が横断し、その真ん中にイギリス積の煉瓦の橋台があります。

天理軽便鉄道の開業は1915年(大正4)のこと。全国各地から参拝に訪れる天理教信者を、関西本線で連絡し、法隆寺から天理へ輸送することを目的として作られたミニ鉄道です。しかし、1921年には大阪電気軌道(大軌。近鉄の創業母体)が買収。翌年には平端-天理間が標準軌へ変わり、これが後の近鉄天理線へと引き継がれます。分断された平端-新法隆寺は、SLからガソリンカーに代わるなどして営業を続けましたが、1945年に営業を停止、1952年に廃止となりました。

http://www.nantokanko.jp/isan/554.html

 

 

◆【安堵町歴史民俗資料館】◆

639-1061奈良県生駒郡安堵町東安堵1322/0743-57-5090

http://www.town.ando.nara.jp/contents_detail.php?frmId=45

江戸時代から代々村の庄屋役などを務めた今村家より屋敷の提供を受け、町内の歴史や伝統、民族資料などを展示している博物館です。主に、今村氏の関係資料や江戸時代より引き継がれてきた町の伝統技術「灯心ひき」について展示しています。年に数回、「灯心ひき」・「わらぞうり作り」の体験会が行われ、夏には「いぐさ刈り見学会」も行われています。邸内は、表門、主屋、茶室、蔵、庭園からなっており、古き良き時代の日本情緒を感じることができます。目で見るだけでなく、体験もできます。

 

 

安堵町の郷土資料とともに、天理軽便鉄道に関する資料や模型が展示してあります。「天理軽便鉄道 安堵駅とレールカー」のジオラマ。線路の幅の比較、新幹線などに使われる線路「標準軌」の幅は1435mmですが、軽便鉄道の幅はその半分近い762mmしかありません(JRや私鉄で使われる狭軌のサイズは1067mm)。

 

 

・・・安堵町から大和郡山市へ、気になることがいっぱいあるんです。

 

《大和まほろばスマートインターチェンジ》

http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/life/city/street/003501.html

平成26年3月23日、全面開通しました。近畿2府4県(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山)および西名阪自動車道では初めてのスマートインターチェンジである。

●2014.3.6大和まほろば工業ゾーンモニュメント除幕式

http://www.showa-kd.com/event.html?date=2013

大和まほろばスマートIC(大阪方面出入口)開通のプレイベントとして『大和まほろば工業ゾーン モニュメント』除幕式を開催しました。当日は小雪がちらつく寒い日となりましたが、上田 清 大和郡山市長様をはじめ多くの方々と共に大和まほろば工業ゾーン モニュメントの完成を祝いました。大和まほろばスマートICを活用し、安堵工業団地、結崎・唐院工業団地と手を取り合って地域発展に努めたいと思います。

 

 

《参考》【筒井順慶】

筒井といえば順慶、順慶といえば筒井、英潔を生んだ歴史の郷。南都奈良と西の京、斑鳩の諸大寺を結ぶ中間地点。しかも佐保川の船運にも恵まれた交通と物流の要衛とし、中世には「市」として栄えた。また室町時代より戦国時代にかけて名をなした興福寺の代官、筒井氏の本貫の地である。地名のおこりも筒井氏との関連からであろう。城跡寺垣内に鎮座する郷社菅田比売神社は「延喜式」神名帳に見られるとのことから集落の発生は相当古いものと考えられる。他方一辺約500Mに囲まれた城域内に寺院が五カ所もあることからこの地の経済力が推量できよう。筒井氏は大和統一まで二度この地を手放し、戦火が及んだことがある。順慶公治世の後期に至って居城を郡山に移すこととなり、この地の商家や諸職も移住させられた。このためこの地は急速に衰える。現在では遺構としては僅かに堀跡や地形等で当時を偲ぶにすぎない、一見平凡な風景の中に乱世の筒井氏や民衆の歴史が秘めらている。この地の商家や諸職も移住させられた。このためこの地は急速に衰える。現在でとしては僅かに堀跡や地形等で当時を偲ぶにすぎない、一見平凡な風景の中に乱世の筒井氏や民歴史が秘めらている。

●筒井順慶顕彰会・順慶まつり実行委員会

http://junkei.ftw.jp/index.html

639-1123奈良県大和郡山市筒井町574-18/0743-57-5333

戦国武将でこの辺りを治めていた筒井順慶の遺徳をしのぶおまつりです。光専寺南の筒井城跡で火縄銃の発砲が披露され、次いで出陣式。僧形の筒井順慶とよろい姿の島左近、松蔵右近が杯を交わし、これを打ち割ったあと、僧形・武者行列が筒井駅前を経由、筒井城址まで練り歩きます。当日は光専寺の筒井順慶坐像が公開されるほか、模擬店が出たり、イベントが行われるなど、いつもは静かな筒井の集落が大勢の人で賑わいます。

 

 

《賣太神社》

奈良県大和郡山市稗田町319

古事記編纂に携わった★稗田阿礼を主斎神(主祭神)、天鈿女命、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀る。稗田阿礼命は学問の神、物語の神。天鈿女命は芸能の始祖神。猿田彦命は土地・方位の神であり、天鈿女命の夫神である。稗田阿礼は猿女君稗田氏の出で、天鈿女命は猿女君の祖神・氏神である。中世には「祭神不詳」とされていた。

社名の由来として、猿女君が天皇より多くの養田を賜り、その田を猿女田と呼び、その持ち主を猿女田主と呼んでいたため、後に「猿」の字を略して女田主と呼ぶようになり、その祖神を祀るこの神社を「賣太神社」と称する事になった説が有力である。

江戸時代までは「三社明神」と呼ばれており、1874年(明治7)に「十三社明神」となり、1891年(明治24)に「賣田神社」、1942年(昭和17)に現在の「賣太神社」に改称した。

 

 

・・・「稗田環濠集落」を観に行こう。