王寺町~斑鳩町へ | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

《王寺町やわらぎ会館》

636-0002奈良県北葛城郡王寺町王寺2-1-18/0745-31-5555

《王寺町立図書館》
636-0002奈良県北葛城郡王寺町王寺2-1-18/0745-73-3398

《王寺アリーナ》

636-0002奈良県北葛城郡王寺町王寺1-1-1/0745-72-1033

 

 

・・・「王寺町」から「斑鳩町」へ。

 

《斑鳩》

地名の由来や正確な範囲については不明とされているが、法隆寺を中心とした矢田丘陵の南部・富雄川右岸(西側)地域を指して呼ばれることが多い。かつて、イカルが群居していたと言われる。アトリ科の鳥。全長23センチくらい。体は灰色で、頭・風切り羽・尾羽は紺色。くちばしは太く黄色。木の実を食べる。さえずりは「お菊二十四」などと聞きなされ、「月日星 (つきひほし) 」とも聞こえるところから三光鳥ともいう。東アジアに分布。まめまわし。いかるが。

用明天皇の皇子である厩戸皇子(聖徳太子)は、父の遺命により法隆寺を建立するとともに、推古天皇9年(602)には斑鳩宮を造営した。同12年(605)に聖徳太子は斑鳩宮に移り住み、その2年後には法隆寺(斑鳩寺)が完成した。ただし、この時に建てられた法隆寺は今日「若草伽藍」と呼ばれる仏教遺跡で、現在の法隆寺は7世紀後期から8世紀初頭に再建されたものとする説が有力である。また、法隆寺の近くにある中宮寺も、元々は聖徳太子あるいはその母で用明天皇の皇后であった穴穂部間人皇女が建立した尼寺(鵤尼寺)であったと言われている。斑鳩は大和川に近く、また河内や飛鳥方面とも街道でつながった交通の要所であった。このため、聖徳太子の一族(上宮王家)は斑鳩周辺に拠点を構えたと考えられている。聖徳太子は斑鳩宮で没し、その子山背大兄王が皇極天皇2年(643年)に蘇我入鹿によって攻め滅ぼされるまで、斑鳩は上宮王家の拠点として栄えた。その後も太子信仰の高まりとともに、多くの人々がこの地を訪れるようになった。

 

 

《JR法隆寺駅》

636-0123奈良県生駒郡斑鳩町興留9-1-1

世界遺産「法隆寺」の名を冠したJR大和路線の駅です。平成19年3月に橋上駅舎化されました。斑鳩らしいデザインと五重塔に代表される屋根の重なりの連続性や斑鳩の里の民家にみられる「入母屋風」の勾配屋根などをイメージしてデザインしています。橋上駅車の内装は寺院の「回廊」をイメージしているそうです。

 

 

《いかるがホール》

636-0123奈良県生駒郡斑鳩町興留10-6-43/0745-75-7743

http://www.town.ikaruga.nara.jp/ikaho/

 

《斑鳩町立図書館》0745-75-7733

http://www.libraryikaruga.jp/

 

 

《聖徳太子歴史資料室》

http://www.libraryikaruga.jp/topics/rekishi.htm

平成22年5月に開室した聖徳太子歴史資料室では、郷土資料の収集に努めています。斑鳩の本や郷土関係の雑誌を借りることができる「イかーりる」コーナー。いかるがホール2階にある聖徳太子歴史資料室にお目見えしました。資料室の本は、今まで保存を重視し、室内利用のみとしていましたが、このたび、「明日香風」「naranto」「月刊奈良」「月刊大和路ならら」「やまとびと」などの雑誌や、テーマごとの郷土の入門書が貸出できるようになりました。いかるがホール行事や、研修室利用のちょっとした待ち時間などにも、気軽にお立ち寄りください。

 

 

《参考》斑鳩の記憶データベース

http://archive-ikaruga.org/

斑鳩の生活、文化、自然環境の記憶を未来に伝えていくためのウェブサイトです。