王寺町(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《尼寺廃寺跡》史跡名勝天然記念物/指定年月日:20020319

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/211980

この地には基壇や礎石が残り、瓦も多く出土していたことから寺院跡の存在が考えられていた。しかし、近年、周辺の開発が進み、その景観が変わりつつあった。このため、香芝市教育委員会が塔跡と推定されていた基壇跡などを中心に遺跡の範囲・内容確認調査を平成3年度から12年度にわたって行ってきた。平成7年にはこの基壇から、巨大な地下式の心礎が検出され、一躍注目をあびた。

 

 

調査の結果、中心伽藍は東向きの法隆寺式伽藍配置であり、北に金堂、南に塔が配置され、その周囲を東に中門が設けられた回廊が巡っていることが判明した。回廊に囲まれた中心伽藍の範囲は南北約71.4m、東西約44.8mである。金堂の基壇は南北約16.2m、東西約13.6mで、塔は一辺約13.6m四方の基壇をもつ。この塔基壇では、長さ・幅とも3.8mの巨大な地下式の心礎が検出され、その柱座からは耳環12、水晶玉4、ガラス玉3、刀子1からなる舎利荘厳具が出土した。また、寺域は南北110m以上、東西約80mとみられ、南面と東面には築地塀が設けられていたことが確認された。東面築地塀のほぼ中央と推定される位置には東大門も検出されている。さらに、塔の瓦の型式や唐尺使用の可能性から7世紀後葉に創建され、平安時代初頭の9世紀から10世紀に焼失したと考えられるに至っている。

★香芝市尼寺廃寺跡史跡公園・学習館オープン

639-0261奈良県香芝市尼寺2-88

http://www.city.kashiba.lg.jp/kanko/0000004414.html

http://www.city.kashiba.lg.jp/kanko/0000004137.html

2016年4月21日(木)に史跡公園・学習館がオープンしました。史跡尼寺廃寺跡は、平成3年度から発掘調査を行い、平成8年に全国最大の心礎と舎利荘厳具が見つかり、「聖徳太子建立の葛城尼寺か?」として大きく報道されました。その後、平成14年3月に国史跡に指定され、このたび、史跡公園整備と学習館が完成しました。公園内には『万葉集』や『古今和歌集』などに詠まれている樹木を植栽しています。

 

 

《NEWS》2016.4.15奈良新聞より

香芝市尼寺の国指定史跡「尼寺廃寺跡」に同市教委などが整備していた史跡公園が完成した。21日に学習館がオープンするのを前に14日、同市教委などが関連施設を報道陣に公開した。同史跡は南北に二つある寺院跡のうち、7世紀後半ごろに存在した北廃寺にあたり、東向きの法隆寺式伽藍(がらん)配置だったことが分かっている。平成8年の調査で現存するものとしては国内最大の約3・8メートル四方の塔の心礎が見つかったほか、初めて基壇構築法が判明した。14年3月に国が史跡に指定、翌年から整備事業を開始していた。1万521平方メートルの敷地に実物の礎石が残る公園を整備したほか、鉄骨造り平屋建て、延べ床面積約282平方メートルの学習館(研修室、トイレなど)と、27台駐車可能な駐車場などを整備した。総事業費は13億7200万円。心礎は基壇の約1・2メートル地下に埋め戻したが、発掘状況を写真陶板で表し、その大きさを地表面に石を配置して表しているほか、学習館内の床下に樹脂製の実物大模型を展示している。また、学習館に構築法が解明される手がかりとなった厚さ約1センチのトレンチ断面(実物)も展示している。学習館は21日以降、月曜(祝日の場合は翌日)を除く毎日、午前9時から午後4時30分まで開館する。催しや団体利用の貸し出しにも対応。料金は無料だが、申し込みが必要。21日以降に生涯学習課で受け付ける。個人の休憩等の利用は時間内であれば自由。同廃寺は敏達天皇系の王族が造営したのではないかと考えられるが聖徳太子の一族とする説もある。

 

・・・隣にある神社は、王寺町です。

 

 

《白山姫神社》

636-0021奈良県北葛城郡王寺町畠田1965/0745-77-5069

http://www.town.oji.nara.jp/history/siroyamahime.html

送迎(ひるめ)の一部と送迎別所、小黒の一部の氏神で、明神山参道を境に火幡神社と氏子域を二分しています。東側に隣接する香塔寺とは江戸時代には神仏習合の関係にあり、境内の春日社殿前西側の灯籠は1687年(貞享4)に「畠田村 香塔寺氏子中」によって奉納されたものです。修験道の白山信仰により発展してきた白山姫神社は、本来、白山比咩命・伊弉諾命・伊弉冉命を祀り、修験道の流入がこの神社の信仰のはじまりとも考えられます。入り口にある石鳥居は、1831年(天保2)に現天理市域の人々や大坂の商家らが送迎太神宮に奉納したもので、火幡神社の灯籠と同じく送迎太神宮の撤去後、この場所に移されたものと考えられます。なお、石段にも「送迎太神宮道」と刻銘された道標が半砕された上で転用されており、送迎太神宮の遺品が残されています。

 

 

《奈良県王寺町役場》

636-8511奈良県北葛城郡王寺町王寺2-1-23/0745-73-2001

http://www.town.oji.nara.jp/

 

 

・・・あっちにもこっちにも、「雪丸グッズ」が置かれています。