・・・片桐石州の「○」と「□」いいですねえ。
《庭園「香藕園」》
鎌倉時代に起源を持ち、桃山時代に完成した庭でしたが、後西天皇をお迎えするために、大和小泉藩主で茶人、作庭家★片桐石州が改修し、現在に至っています。「香藕園」の「藕」は、「蓮の根」の意です。池泉回遊式の庭園で、三重塔を借景し、極端に背丈が低い土塀で二段構えの構造を持ち、中心の心字池に様々な風景が影を落とすよう設計されています。吉野の竹林院群芳園、大和小泉の慈光院とともに、大和三名園と呼ばれ、昭和9年に国の名勝に指定されています。庭園改修の際に、片桐石州は二つの茶室を造営します。一つは大胆な大円窓を持つ四畳半の茶室★「丸窓席」で、もう一つは、一対一で客人をもてなすのに石州が特に好んだとされる二畳中板の茶室★「知足庵」です。
【参考】知足
“足るを知る”<老子>からの出典で、宗教、特に禅宗では、人間の欲を戒めるために、よくこの言葉を引用します。字句のとおり、充分に満ち足りていることを知り、不足感を持たないということ。人間というものは欲が深く、“足るを知る”ということがありません。満足することを知らず、充分な金や物を得ても、さらに『より多く、もっと欲しい』と、快楽をもたらすものを際限なく追い求めてしまいます。
・・・まるで、私に言われているようで、おはずかしい。
《當麻寺中之坊「写仏道場」》1930松室院客殿/登録年月日:20100428
http://www.taimadera.org/purpose/3/p1.html
「昭和の天井絵」「平成の天井絵」で飾られています。文化勲章・前田青邨画伯をはじめとする近代の巨匠画家や、上村淳之画伯、中島千波画伯、絹谷幸二画伯といった当代を代表する有名画家の方々が、一人一枚ずつ奉納された絵画およそ150点で飾られています。中には俳優・片岡鶴太郎氏の墨彩画や書家・森大衛氏の書作など幅広い作品も加わっており、たいへん見ごたえがあります。このような貴重な作品を頭上に仰いで「写仏」を行える環境は他に類を見ません。
中之坊の東に建ち、桁行18m梁間12m、木造平屋建、入母屋造桟瓦葺で、玄関の屋根を切り上げる。内部は仏間や客間の周囲に縁をめぐらす。数寄屋建築に造詣のあった★川上邦基と古代建築に精通した★大岡實の設計になり、軽快さと雄大さを併せもつ。
《霊宝殿(館)》
http://www.taimadera.org/guide/1/index.html
中将姫関連の宝物を中心に、白鳳・天平の遺物から近代美術に至るまで、幅広い宝物を展示する施設。展示は入れ替え制で、特別展も定期的に行われています。日本最古のかみそり「中将姫剃髪剃刀」は常設展示で公開されています。
《當麻寺塔頭宗胤院(そいにん)》
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/02west_area/taimaderasoinin/
享禄・天文時代を中心に當麻寺の営繕にたずさわった勧進聖の筆頭、宗胤上人(?-1547)を始祖とする寺である。上人は当時畠山の乱を代表とした戦国の乱による當麻寺の荒廃を復興したのみならず重文、當麻寺縁起(1531)三巻を発願した。とくにこの中巻は世阿弥の作と伝える謡曲「雲雀山」で名高い中将姫の継子いじめの説話を付加することにより、広く人々に知れわたる新しい縁起となったのである。また、曼荼羅堂の手前にある南無阿弥陀仏三界万霊の石塔婆は、大永七年(1527)四月宗胤が願主となって造立したものでありその功徳の大なることを宣揚したものである。なお、奥庭の妙道園からは双塔が見られ、両忘の門をくぐれば野点等楽しむことができるとともに、その周囲に咲く壱千種を越える茶花、山野草の誇らしげな姿は心憎い許りである。ぼたんの花よりも茶花、山野草に重きをおいている寺である。自然の花に触れることによって、自分自身が、自然に溶け込み、野草の可憐さ、素朴さ、やさしさ、強さを知る野草は、私達にこのことを教えてくれるのに充分な表情の豊かさを持っている。また、当院の点心風茶がゆ(要予約)は、こうした野草の素朴さの中から生まれたもので、贅沢を捨て、一時しのぎをすること、これが点心である。当院の玄関の前にある蹲踞には「吾唯足知」という文字が掘り込まれている。宗胤院は足りることを知る「知足」を根底に置きたいと思っている寺である。
・・・愛弟子の展示会場「西南院」へ。
《西南院》
http://taimadera-sainain.or.jp/
當麻寺塔頭西南院は、當麻寺の坤(裏鬼門)の守り寺院として創建、その後、弘仁十四年に弘法大師が当院に留錫し曼荼羅堂において『いろは歌』を御想念された時より真言宗となり、法灯は守り続けられいる。庭園は江戸中期の池泉回遊式庭園で、水琴窟の趣向が凝らされ、また、シャクナゲなどの咲く「花の寺」としても知られている。
★西南院庭園/江戸初期に造られたものを、中期ごろ一音法印によって改造された。山すそを利用し、樹木を植え込み心字の池泉を設け、中央に出島(亀島)、その東側に鶴島の石組を配す。四周は飛び石で回遊し、直線と曲線に打ち、庭全体の景観に役立てている。山すそより種々の樹木を植え、小丸・段刈り込みなどを用いて自然的な景観を整え、その作風は、天平建築の粋たる西塔を借景とし、女性的な和らかみのある感覚を見せている。春にはボタンが咲き、秋には山すその大紅葉が見事な景観を見せている。
★水琴窟/江戸の庭師によって、文化文政の頃考案されたという。「つくばい」より流れ落ちた水は、土の中に隠された素焼きの壺の中の水面に落ち、その音が反響して琴に似た音色を出す。水琴窟は音の文化の一つでもあり、妙なる音色に包まれた時、時間と空間を超え、先人と席を同じくして音を楽しみ、心を和らげ、無我への境地へと迎えてくれる。