街角ミュージアム(78) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ここまで来たら「天満宮」を欠かすことはできません。

 

《大阪天満宮》

530-0041大阪市北区天神橋2-1-8/06-6353-0025

http://www.tenjinsan.com/index.html

毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に★大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

★大将軍社

難波京の陰陽道による西北の鎮めとして建立。八衢比古神、八衢比売神、久那斗神を祀る。この社に道真公を祀ったのが、大阪天満宮の創始である。

 

 

《西山宗因向栄庵跡》天満宮「正門」前

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009954.html

宗因は肥後八代の人、主家加藤家没落後武士をすて、京都で連歌師を志した。1642年(寛永19)来坂、向栄庵を結んで談林派総帥として俳諧の世界に新生面をひらいた。門下には西鶴・鬼貫・来山らがいる。1682年(天和2)没、78歳。

《参考》「杭全神社法楽連歌会」

http://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?key=mupnfdbcr-7056#_7056

中世から近代にかけて、各地の神社で法楽連歌会が催された。連歌会は庶民の文芸であり社交の場であったが、明治には廃れてしまった。西山宗因は、大阪天満宮の連歌所宗匠であった。大阪天満宮には、現在「連歌所は」残っていない。平野「杭全神社」の連歌所は、室町時代に建てられが慶長十九年(1614)大坂冬の陣で失われ、宝永五年(1708)再建された。古くから平野郷の文芸の中心となった。現存する日本で唯一の連歌所である。杭全神社の連歌会は、明治時代に廃絶したが1987年(昭和62)5月5日に「杭全神社法楽連歌会」が再興された。現在も定期的に連歌会を行われている。

 

 

《蛭子門》

大阪天満宮には★六つの門があり、それぞれに用途と由来がある。正面西側(南西側)の蛭子門は、もともとこの門を入ってすぐ左手に戎社が祀られていたことから「戎門」と呼ばれており、現在「戎社」は移動されたがその名が今に伝えられている。駐車場はここから入ります。

《ガラス発祥之地碑》

1979年大阪硝子製品協同組合の設立30周年を記念して建立。日本で大阪が珍しい色のガラス玉細工を始めた最初で、日本のガラス工業界は大阪が発祥地とされている。

 

★大阪天満宮新鳥居にステンレスまほうびん(タイムカプセル用)奉納(象印)

http://mahobin.org/episode.html

1995年(平成7)1月17日に発生した阪神淡路大震災の際、天満宮西南にある石造鳥居が倒壊する危険な状態になったため当日深夜に撤去、新たに鋼製の鳥居を建立することとなった。新鳥居は同年6月28日夜間に建立され、その際に象印より奉納された「ステンレス真空調理鍋」SNB-B45に大震災の新聞記事や天満宮の古い境内図(版画)、関連図書などを納め、寺井宮司の手によって鳥居北側の鋼製柱内に納められた。大阪天満宮社報「てんまてんじん」第28号によると、タイムカプセルの取り出しは「御神退一千二百年祭(2102年)に改める予定」とある。

 

 

《象印まほうびん》

530-8511大阪市北区天満1-20-5/06-6356-2311

https://www.zojirushi.co.jp/index.html

◆【まほうびん記念館】◆

https://www.zojirushi.co.jp/corp/kinenkan/

「真空の力」による保温・保冷技術が誕生して100年あまり。象印マホービン株式会社は、日本のまほうびん草創期から真空のテクノロジーを基本に、かずかずの製品を開発し、”人”と”暮らし”を接点に歩んでまいりました。90周年を迎えた当社は、人類が発見した偉大なサーモテクノロジーとその進化をたどる記念館を設立いたしました。まほうびんと生活用品を研究・開発するすべての人々と、新しい明日に向かって歩むすべての人々にとって、この記念館が新しい発想を生むきっかけになることを祈っています。

日本でまほうびんが製造され始めた大正初期から昭和初期にかけて、大阪は日本のガラス工業をリードする地域でした。そのため、まほうびんの中びんを作る優秀なガラス職人も大阪に集中し、大阪は日本のまほうびん工業の中心地となったのです。象印マホービン株式会社の前身・市川兄弟商会は、この頃からまほうびん製造をはじめ、現在に至るまで、ここ大阪の地で人々の暮らしに役立つ様々な技術を開発してきました。日本のまほうびん工業にとってゆかり深い大阪に、まほうびん記念館を設立することは、たいへん意義深いことです。

 

 

《NEWS》2014.10.1ヤフーニュースより

「天満音楽祭」地元の音楽祭は、地域づくり・人づくり

全国に数多の音楽イベントがある。 「地元」が主催するアマチュアの音楽イベントは、 町おこしなどを目的に開催されているものがほとんどだろう。大阪天満宮界隈で毎年行われている「天満音楽祭、天音」ももちろん、町おこし、町の活性化に一役かっている。そこには「芯」がぶれずに15年間やり続けてきたことが受け継がれていた。2000年に地元天満の音楽好きの団塊世代が企画したこの音楽祭は、6カ所の会場、58バンドの参加で始まった。しかしそのキッカケは、1995年★阪神淡路大震災でのボランティア活動に遡る。天満の住人達がボランティアで被災地を支援した。芦屋にある公園に仮説住宅が立てられることになった時、音楽イベントが開催された。ボランティアが力を合わせて実施されたイベントだった。天満からのボランティアの中に、後に「天満音楽祭」のプロデューサーとなる人物がいた。「天満でもこういう音楽イベントができないか?」それから5年。『音づくり・仲間づくり・街づくり』をテーマに、第1回天満音楽祭は開催された。この音楽祭は、ボランティアスタッフが運営する。「何かできることはないか?」「友達、家族、そして誰かのために」そんな思いによって毎年開催されてきた。今年は300人を越えるスタッフが「天音」を支える。当初、自治会は乗り気ではなかったそうだ。摩擦もあったという。しかし今は、それぞれがそれぞれの参加の仕方で、天満音楽祭に関わるようになった。団塊世代が発案したイベントは、当時30半ばの実働世代を動かし、さらに若い世代も参加。世代を越えて、世代を繋いできた。人を、思いを繋いできた。今年15回目を迎える天満音楽祭。34会場、360バンドの参加数、縦2キロ余、横1キロほどのエリアを中心に、数年前からはJR大阪駅のイベント広場でも行われるようになり、1日3万人が訪れる地元音楽祭となっている。プロデューサーは「アマチュアの音楽祭では他にない規模に成長した」と語る。まさにそうだ。先月28日には、大阪環状線50周年記念として、電車内がライブハウスとなり、環状線を走った。今回は、関西テレビや毎日放送も会場提供として初参加。ますます「繋がり」は拡がっている。自立したボランティア精神とアマチュアリズム。派手さもなく、地道に積み上げてきた手作りの音楽祭は、「継続は力」によって、多くの理解と期待を繋いできた。5年後の20周年には、さらに素晴らしい「音・仲間・街」が作り上げられていることだろう。

 

 

★第17回「天満音楽祭」

http://ten-on.jp/

2016年10月2日(日)<入場無料>AM10:00より開催

メイン会場:OAPタワー大阪市北区天満橋1-8-30

天満の街を黄色で染めませんか?今回、「てんおん君」キャラの天満音楽祭オリジナル限定Tシャツを作りました。みんなで同じTシャツを着て、ライブを盛り上げましょう!今回特別に、「先行ネット販売(500円割引)」を致します。数に限りがありますので、お早めに!!そして、その売り上げの一部を「熊本震災義援金」「東日本大震災復興」の寄付金とさせていただきます。

 

・・・音楽祭当日、行けないかもしれないので、早速注文・購入いたしました。